『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

小さな死

2017-03-01 08:18:00 | 風景
来週から
立て続けに
現勤務校を
3校離任する。

それで、
ちょっとセンチになっており、
これが見納めと思って
縁のあった風景なぞを撮って
心に納めている。



あまりマッチングのよくなかった
学校もあったが、
生徒たちとは
一足先に互いに別れを
惜しんできた。

「来年、先生がいなくなって残念だ」
と言ってくれた
生徒の言葉を餞(はなむけ)として
ありがたく受け取った。




夕暮れ時の退勤時に、
車を走らせていると
右側の電線にムクドリの群れが
飛び交って、まるで
五線譜の上を動く
音符のようであった。

ちょうど、
その時にかかっていた音楽と
その瞬時の光景が
見事にマリアージュして
不思議な感動を覚えた。

そして、
「生きている物」
という「生命の躍動」を
鳥たちの飛翔に強く感じた。






年間5冊届く
ジャーナル(学会誌)の
最新刊に目を通した。

巻頭の
『二世信者であったクライエントの心理療法』
という論文が、
六十年来の教会を離脱した
今の自分の心境に合っていて
興味深く読めた。

引用されていた
ユングの言葉が印象的で
我が意を得たりと思った。

「宗教は、心の中に
神を体験しようとするのに対し、
宗派は、心の外に神を見ようとし、
しばしば形骸化したドグマに執着し、
生きた宗教体験から離れる」

宗教は、人の為にあるもので、
人は、「○○教」の為に
生きているのではない。

宗教家が、
自ら神事に没個的に奉仕するあまり、
神と一体化したか如く
自我肥大を起こして万能感に支配され、
他者を誹謗したり、信者を見下げたり、
私的に利用までするのは
言語道断の所業である。

「この方といえども
 油断したら神様からお暇が出る」

「知って無礼をはたらけば
 主から取る」

…という言葉が
脳裏に浮かんで仕方がない
今日この頃である。







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