メメントモリ

 「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(2テモテ4:6-8)

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 「メメントモリ」、死を想えという言葉を私は好きだ。
(調べてみると、時代や文脈によっていくつかの意味があるようだ。)
 死という時点から今を見て、死ぬときに悔いのないようにと自分を励ます。
 今という地点から今を見るのだったら、後先なんか考えないでズルしてうわべだけ整えれば済んでしまう。
 だが、それでは生きていることにはならないのではないかといつも思う。少なくとも充足感などは乏しいような気がする。
 パウロは上の聖書箇所で、死を前にして「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」と振り返っており、やるだけやったという、悔いのないすがすがしさにあふれている。
  そうできるために、今をどうするかが大切なのだと思う。

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 ヨハネ伝の10:28まで続けて読んできましたが、しばらくアトランダムに進めます。

 健やかな一日をお祈りします!

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