植わった木

 「その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。

 悪者は、それとは違い、
 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。」(詩1:3-4)

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 東に騒ぎあればすぐさま東に飛び行き、南の群れを見いだすや乗り遅れまいと群れに混じる。
 あるいは世渡り上手というのかもしれないが、根がない、というか、まさに「もみがら」だ。
 彼らは自らのことを「みんな」と言う。

 一方で、「水路のそば」というのは土が軟らかいと思うのだが、そういうところにしっかり根を張る「植わった木」。
 一本、芯があり、彼は自らのことを「私」と言う。

 根は水路の土手が崩れることを防ぐ。
 木の実を喜んでもぎ取る人がいる。
 そして葉でできた木陰で人は一息つく。
 こういうのをこそ「栄え」というのだろう。

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[一版]2007年 5月10日
[二版]2007年 9月14日
[三版]2008年11月13日
[四版]2020年 3月30日
[五版]2020年12月20日(本日)

 健やかな一日をお祈りします!

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