心の貧しさ

(1)
 「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」(黙3:17-18)

(2)
 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)

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 復活のイエスは仰る。「わたしはあなたに忠告する」。

 何を忠告なさるのだろう。
 「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」ということだ。
 つまり、満足しているようでいて、実は貧しくて素っ裸の醜悪な存在にすぎない。
 盲目であるから、自分ではその姿に全く気付かない。
 気付かずに騒ぐ。やれ豊かだ、富裕だ、乏しいものは何もない。身もこころも。

 それで、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」とイエスは仰る。
 真の姿が見えてしまうと、そこにあるのは心貧しくて裸の自分。
 だが実は、天の御国はそのような本当の自分を直視した人に開かれている。
 そこでイエスは「目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい」と勧める。
 その目薬とは端的に、律法であり山上の説教である。
 それによって自身の罪深さがはっきりと見えるようになり、その自らの心の貧しさに身も震えて救いのスタートラインに立つ。
 このスタートラインに立った人こそ、幸いなのである。

 醜いアダムの肉を覆う義認の白い衣も、十字架と復活のイエスからただで売ってもらおう。


 なお、イエスが「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」と言っているのが、パリサイ人や一般大衆に対してではなく、ラオデキヤの教会に対してであることは興味深い。

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[付記]
 記事履歴
         初版 2008年 2月 8日
         二版 2010年 4月17日
         三版 2011年12月18日 (本日)

 今回大幅に書き換えました。タイトルも変えました。

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