塩気をなくした塩は塩気をつけてもらえる

 「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイ5:13)

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 塩気をなくした塩は、どうなるのであろう。
 神の御国の役には立っていないようになる。
 では、どうすれば、あるいは、どうであれば、神の御国の役に立つことができるのだろうか。
 それは自分一人でできることではなく、このことのためにイエスが受肉して公生涯を開始したのである。塩気はこのイエスがつけてくださるのだ。
 塩気をなくした私たちに会いに来て、ご自身と同じように私たちを死なせそしてよみがえらせる。
 罪が赦され義と認められ、御父との和解に至る。
 こうして、私たちはイエスを介した御父への信仰を与えられ、塩気をつけてもらって地の塩たるを回復する。
 神の御国の役に立つとは、このような信仰者であることだけで足りるのである。

 イエスは、自分が塩気を失ってしまったと嘆く人々を歓迎する。
 自分は地の塩だと思っているパリサイ人に対しては、イエスは容赦がなかった。

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[一版]2021年 1月 2日
[三版]2024年 7月15日

 イエス様の平安がありますように!

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