イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
怒るイエス
「それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」(マタイ21:12-13)
---
宮清め。
イエスは、怒っている。
祈りの家であるべき宮が、強盗の巣に成り果ててしまっているからだ。
イエスは時々怒る。例えば、マルコ10:14「イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。」。また、マタイ23章は丸ごと「怒りの章」と言ってもいいだろう。
公生涯において、イエスは我々人間と同じように、きわめて人間的に怒っている。
それはイエスが、人間の肉をまとっているからに他ならない。
イエスは、時に憤り怒る人間の私たち肉の弱さを、身をもってわかっている神なのである。
だからこそ、復活のイエスは私たちに同情できる大祭司(ヘブル4:15)として、神と私との間のとりなしができるのである。
---
[一版]2010年 7月27日
[二版]2013年12月18日
[三版]2016年 8月13日(本日)
よろしければクリック下さい。
![にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ](http://philosophy.blogmura.com/christian/img/christian80_15.gif)
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」(マタイ21:12-13)
---
宮清め。
イエスは、怒っている。
祈りの家であるべき宮が、強盗の巣に成り果ててしまっているからだ。
イエスは時々怒る。例えば、マルコ10:14「イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。」。また、マタイ23章は丸ごと「怒りの章」と言ってもいいだろう。
公生涯において、イエスは我々人間と同じように、きわめて人間的に怒っている。
それはイエスが、人間の肉をまとっているからに他ならない。
イエスは、時に憤り怒る人間の私たち肉の弱さを、身をもってわかっている神なのである。
だからこそ、復活のイエスは私たちに同情できる大祭司(ヘブル4:15)として、神と私との間のとりなしができるのである。
---
[一版]2010年 7月27日
[二版]2013年12月18日
[三版]2016年 8月13日(本日)
よろしければクリック下さい。
![にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ](http://philosophy.blogmura.com/christian/img/christian80_15.gif)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« なにゆえにイ... | 神の国と世知 » |