イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
わたしを信じなさい
(1)
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ伝14:1)
(2)
「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18:21-22)
(3)
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。」(マタイ6:14)
---
ほんじつ聖書を開き、するとたまたま(1)が目に入って、心底安堵した。
心騒がすな、神を、イエスのみを、信ぜよ、それでいい、と。
幾度も幾度も「わたしを信じなさい」を見やっているうちに、不可思議な化学反応が生じて、赦しについての聖句(2)を思いついた。
赦し。
「七度を七十倍するまで」。
つまるところ、およそ全てを赦せよということと思う。
もっぱら、自らが「赦された!」と心底味わうことのできる、そのために(3)。
イエスは十字架に掛かることで、実に「全てを」お赦し下さった。
そう、実に私は赦されたのであり、それゆえ私も、全てを赦す。
このスタートラインにやっと立ったか、という思いがこみあげる。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ伝14:1)
(2)
「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18:21-22)
(3)
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。」(マタイ6:14)
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ほんじつ聖書を開き、するとたまたま(1)が目に入って、心底安堵した。
心騒がすな、神を、イエスのみを、信ぜよ、それでいい、と。
幾度も幾度も「わたしを信じなさい」を見やっているうちに、不可思議な化学反応が生じて、赦しについての聖句(2)を思いついた。
赦し。
「七度を七十倍するまで」。
つまるところ、およそ全てを赦せよということと思う。
もっぱら、自らが「赦された!」と心底味わうことのできる、そのために(3)。
イエスは十字架に掛かることで、実に「全てを」お赦し下さった。
そう、実に私は赦されたのであり、それゆえ私も、全てを赦す。
このスタートラインにやっと立ったか、という思いがこみあげる。
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