イエスが愛、愛がイエス

 「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。」(ヨハネ13:1)

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 ユング心理学者の河合隼雄さんは、「物と心、自と他などと明確に分割することによって、近代人は多くのことを得たが、…………。つまり、明確に分割した途端に失われるものが「たましい」だと考える」と書いている(「物語を生きる」,p.13)。
 このことを「愛」という言葉に当てはめてみると、愛だけを分割して取り出した途端に愛とは何かが分からなくなるということになるだろうか。
 そうすると、イエスが愛であり、愛がイエスである、という方がより近いだろう。
 愛の乏しいこの私にも、十字架と復活というイエスの愛は惜しみなく注がれた。

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 健やかな一日をお祈りします!

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