御父、御子との交わり

 「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
 ――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――
 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(1ヨハネ1:1-3)

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 私たちはイエス・キリストに実際に出会ったことで、御父、御子との交わりの中にいます。
 そのことをイエスを知らないあなたがたにお伝えするので、あながたにもこの交わりの中に入って下さい。
 上の聖句の趣旨はこの2行になると思う。

 もしもヨハネが、上の2行からなる手紙を誰かに書かなかったとしたら、私たちは御父および御子イエス・キリストとの交わりに入ることができるのだ、ということ自体、思いつかないだろう。
 しかし、イエスの肉が処罰されて2000年も後に生きる私たちも、恵みによってこの交わりに入ることができ得ることヨハネらのお陰で知っている。
 ヨハネがイエスに出会ったのと同様に、復活のイエスが私たちのもとを訪れるときが来る。
 そのときには、「いのちのことば」すなわちその人にとって最も大切なみことばが示される。
 だから、聖書のことばは希望をつなぐためにとても必要なものであり、ここにいう希望とは、「御父および御子イエス・キリストとの交わり」に入ること、すなわち、いのちにあふれることである。
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 健やかな一日をお祈りします!

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