容疑者

 「殺してはならない。」(出エジプト20:13)

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 私たちは、日常の生活において人をあやめるということはない。
 万が一、過失によって人を殺すことはあるかもしれなくとも、殺そうと思って実際に殺してしまうことはまずない。
 しかし私たちの心の内には人を殺す心で満ちていて、と、話はつながっていくのだが、毎回はくどいので今回はやめておく。その代わりに、河合隼雄 著「影の現象学」(講談社学術文庫)に引用された少女による詩を、ここで引用する。この詩を嫌がる人もいるだろうことを予めお断りしておく。


窓ガラスが割れている
そのわれがするどくとがっている
人が人を殺すごとき
そんな形にわれている
二つの影が(四文字不明)ている
一つの影は刃物を持っている
相手の影もせまっている
じっとみていると
今にもぬけだしてきそうだ
だんだん大きくなってくる
黒い影はとびだしてくるくらい大きくなった
ガラスが机の上におちている
それを拾ってにぎった
先がとがっている
不気味に光っている
殺せ
その先でのどをつけ
殺せ
戸のすきまから死の神がはいってきて
死ね死ねと叫ぶ
殺せ
            (pp.41-43)

 心も凍てつくダイレクトな質感とその高まりを感じるが、この詩で表現されているものは、実は自分の最も奥底のところに確かに存在するものだということに気付かされる。
 そうだとすれば、私の中には、大きく黒い影を殺せ、というものが、どうしようもなくあるのだ。
 それを御父は、頭ごなしに「殺してはならない。」と押さえつけてくる。
 だから私は、一番奥底にあるこのものをひた隠しにしておびえながら生きることになる。容疑者として常に疑われている、と。
 しかしその容疑者の日々はイエスによって過ぎ去り、今は、おびえることもなく、上の少女の詩にあるものが自分の奥底にも確かにあるよね、とあっさり認めている。
 神との和解は、自分自身との和解へと進むのである。

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 健やかな一日をお祈りします!
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