神に仕えるという益

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:28-30)

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 「すべてのことを働かせて益としてくださる」の箇所が一人歩きしがちな聖書箇所。
 では、ここでいう「益」とは何だろうか。
 御父によって義と見なされて救われることである。
 金銭的または物質的利益のことではない。むしろイエスは、「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)と言っている。
 富(マモン)が与える満足感は、人間にとってもっとも大切なこの満足感とは全く異なる。
 それどころか、このマモンは、救われたいとする切望をかえって麻痺させてしまうのである。

 さまざまな困難、さまざまな患難が、外的にも、また内的にもある。こういったものがなくなることは終生ない。
 しかし、振り返ってみると、今あるこの満足感のためには、こうした事々が確かに必要であったのだ。
 おそらく、このような事々も御父が用意されたものなのだろう。
 神のお造りになったこの世界とは、なんと素晴らしいものだろうか。

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 健やかな一日をお祈りします!
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