イエスの友

 「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。
 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネ15:13-15)

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 十字架に架かる直前のイエス。
 イエスはいのちを敢えて捨てる。
 なぜか。友にもいのちを捨てさせるためである。いのちを長らえさせるためではない。
 このとても難しいことについて、イエスは自ら手本を示す。これこそ神の愛なのだ。
 このイエスはいのちを捨てて、そしてよみがえる。
 友にもこの道を歩ませて、永遠のいのちの喜びに満たされて欲しいとイエスは願っている。

 しもべは、イエスが何故敢えていのちを捨てるのかが分からず、想像も付かない。
 だが、友はよく分かっている。あるいは、あとで合点がいく。
 友としもべとでは、だから全く違う。
 しかし、イエスのしもべが恵みによってイエスの友になるということが、ままあるのである。

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