神との平和

 「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)

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 人は本来、神との関係性の中にのみ存在する。
 だが、アダムの違反によって、その関係は破綻してしまった。
 神はアダムを、園から追い出してしまう。

 この、神-人という関係性の中では、神が絶対的に上位にあり、人は絶対的下位にある。
 その絶対的上位にある神がお怒りであるならば、人は脅えるほかない。
 だが、神の子イエスが身代わりに極刑の十字架に架かって下さったという和解の手を信じることができるならば、神と自分との間に平和が取り戻され、もはやそこに怒りはない。

 こうして、信じる者にとって、世界は神との絶対的な二者関係に収束してしまう。
 神は世界そのものなのである。
 もちろん私たちは、この神にひざまずく立場であり続ける。
 ひざまずきつつ、これ以上ない平和をかみしめている。

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[一版]2008年 4月 6日
[二版]2011年 8月21日
[三版]2015年 4月18日(本日)

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