神の権威

 「そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」(ヨハネ19:10-11)

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 神の権威は律法という文言に顕れている。
 ここでピラトは、この律法の下にいる者ではない。
 なのでそのピラトがイエスに命じても、その命令はイエスにとって根拠がない。

 一方、イエスをピラトに引き渡した人々は律法の下にいて律法を守ろうと励んでいる。
 それにもかかわらず律法に反してイエスを亡き者にしようとしている。
 だから彼らの罪は大きく、その大きさにおいて、神を仰ぎ見つつ神の律法に違反せざるを得ない私たちの肉もまた、変わるところはない。
 その肉を救うために、イエスは十字架に架かる。
 これが神の義、神の権威である。

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