マタイ24章

 「イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。」(マタイ24:3-4)

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 黙示形式でイエスが終末を語る。

 ところで私は暗記という作業を非常に軽んじているのだが、10年ほど前だろうか、教会の余興で詩篇119篇の暗唱ということをやった人がいて、まだ教会に通い始めたばかりの私は「……聖書ってそれ自体が大事なのではなく暗記の道具なの?」と思ったことがあった。
 多くの教会でやっている暗唱聖句も、心の中で小馬鹿にしていた。

 こんにち東日本は周知の状況にあるが、それとこのマタイ24章との関係について、私などには分かりようがない。

 だが、それはそれで、上に冒頭だけを引用したマタイ24章は、まるごと暗記して覚えるべき箇所なのでは、と思い始めた(東日本のこの状況がヒントになってそう思い至ったことは否めない)。
 この聖書箇所は救いの「型」で、産みの苦しみ(24:8)は救いについても全く同様に当てはまる。
 なのでマタイ24章を暗唱しておくと、救いの際に必ず伴う苦難を堪えやすくなると思うのだ。

 個人的に大切だと思うのは、「主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。」(24:45)で、今やっていること、任務、責務は投げ出すな、というように今は解釈している。

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