闇の子ども、光の子ども

 「イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。
 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。」(ヨハネ12:35-36)

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 イエスがいるあいだ、イエスは光であり、私たちはその光によって歩むことができる。
 その間に信じて光の子どもになれ、とイエスは言う。

 ここで、光と対置されているのは闇であり、つまり、闇の子どもというのがある。
 私たちは皆闇の子どもであり、方向性なく訳も分からず苦しんでいた。
 肉がもたらす死を、全く理解していなかった。

 だが、その闇の中に十字架という光が現れ、そのイエスを信じることが出来るようにしてくださった。
 光の子となって分かったことは、肉を肉と知ること、その肉がイエスの十字架により罪赦されたこと(肉の罪はなくならない)、そしてよみがえりということだ。
 そうして「いのち」をいただき、この闇の世にあって引きずる肉に苦しみつつも、見るべき方向が明らかになった。私たちは救われたのだ。

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