福音

 「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」(マタイ9:35-36)

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 福音を伝えるイエス。

 会堂で教えること、福音を宣べ伝えること、また、病気や患いの癒しが同列に並べられている。
 こういったことはみな、つまるところ「ついに救世主(キリスト)」が来ました」ということを分かってもらいたいから、それでイエスはやっている。

 では、キリストが来たことの何が福音なのか。
 「群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている」、イエスには群集の人々がそのように映る。
 その人々にはみな、「いのち」がないのだ。
 イエス・キリストは、そのような人々に「いのち」を与えて救いをもたらすためにこの世に来られた。
 極刑の十字架によって肉を処罰し、三日目によみがえる。
 アダムの肉はこれによって赦され、復活のキリストは恵みによってその肉の赦しをもたらす。
 それが「いのち」であり、「いのち」とは例えていうと「羊飼い」である。
 「いのち」は、その人をもっとも根源的なところで支えてくれるものだ。
 この「いのち」の主であるキリストが遂に来られた、これが福音である。

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