埋葬

(1)
 「そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。」(ヨハネ19:40-42)

(2)
 「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、……」(1コリント15:3-4)

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 十字架に死んだイエスの埋葬。

 埋葬とは、死んだ者を弔う営みだろう。
 ここでイエスを埋葬したヨセフとニコデモにとっても、そうであったと思う。
 だが、この埋葬は弔いとは異なる意味を持つ。

 イエスは死んで埋葬され、確かに閉じこめられた。
 そのことは、少なくともヨセフとニコデモが証人である。
 それにもかかわらず、それから三日目に、イエスはその墓から消えている。
 イエスはよみがえったのだ。
 仮にイエスが火葬に付されたとしても、やはりイエスはよみがえったろう。
 死んで葬られ、もう外には出られないように処理されたにもかかわらず、イエスは復活した。
 この一連の流れが、「最も大切なこと」、福音の核心である。

 この「最も大切なこと」は、復活のイエスに出会ったときにはっきりと分かる。

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