ロシア人の書く数字は独特である。
「1」は棒の前のハネをやたら強調して書いたり、
「4」はクサビ型文字みたいだったり、
数字を形として視覚的にとらえる際の「何か」が
少なくとも日本人とは違う気がする。
それがとてもロシアっぽいので、単行本のなかでも
ノンブルにはロシアの手書きふう数字を使いたいと思ってた。
そこで現地の方にロシア語フォントのサイトを
いくつか教えていただいたのだが、
これだ!と思うようなフォントがなかなか見あたらない。
かといって、自分で書くと全然違う。
見よう見真似で書いても、ロシア人と同じにはならないのである。
そんなとき、あっ!と目に留まったものが…。
今回のロシアの部屋の取材では、現地コーディネーターさんが
事前に簡単な質問票を作成してくださり、
取材対象者に基本データを記入していただいていた。
転送されてきた、いくつかの質問票を見ていると…。
なんと!0から9までのすべての数字が、
住所や電話番号、年齢のなかに含まれている
手書きの回答を2通発見!
早速デザイナーさんがそれをスキャンして補正して
自前フォントをつくってくださったのがこちら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/26/b9/155d68508b84f3a71109ff6a25692609_s.jpg)
左はアレクサンドラさん、右はイリーナさんの
手書き文字をベースにして作成。
これを写真とそれに対応するキャプションとに
ひとつずつはめこんでいただいたのでした。
「ちょっと読みにくい」という反応もなきにしもあらずですが、
ロシアっぽさを少しでも味わっていただけたらと思います。
「1」は棒の前のハネをやたら強調して書いたり、
「4」はクサビ型文字みたいだったり、
数字を形として視覚的にとらえる際の「何か」が
少なくとも日本人とは違う気がする。
それがとてもロシアっぽいので、単行本のなかでも
ノンブルにはロシアの手書きふう数字を使いたいと思ってた。
そこで現地の方にロシア語フォントのサイトを
いくつか教えていただいたのだが、
これだ!と思うようなフォントがなかなか見あたらない。
かといって、自分で書くと全然違う。
見よう見真似で書いても、ロシア人と同じにはならないのである。
そんなとき、あっ!と目に留まったものが…。
今回のロシアの部屋の取材では、現地コーディネーターさんが
事前に簡単な質問票を作成してくださり、
取材対象者に基本データを記入していただいていた。
転送されてきた、いくつかの質問票を見ていると…。
なんと!0から9までのすべての数字が、
住所や電話番号、年齢のなかに含まれている
手書きの回答を2通発見!
早速デザイナーさんがそれをスキャンして補正して
自前フォントをつくってくださったのがこちら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/67/26/08383e9d9dd97062e0ddbee1803d1d87_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/26/b9/155d68508b84f3a71109ff6a25692609_s.jpg)
左はアレクサンドラさん、右はイリーナさんの
手書き文字をベースにして作成。
これを写真とそれに対応するキャプションとに
ひとつずつはめこんでいただいたのでした。
「ちょっと読みにくい」という反応もなきにしもあらずですが、
ロシアっぽさを少しでも味わっていただけたらと思います。
確かに「1」の前ハネを強調する書き方は、欧州各地で見られます。7との違いを強調するためだったと思います(却って紛らわしいような気もしますが…)。
でも、ロシアの方々のビローンと曲線を帯びたハネは、私も非常に興味を持ちました。確かにロシア独特の書き方のような気がします。
シベリア鉄道の有り余る時間のなかで、いろんな書類やレシートの文字を、同じコンパートメントの方に書いてもらったり、時間を忘れて興味深く眺めていた事を思い出しました。
最後の一文が間違っていたので、以下の通り訂正します。
シベリア鉄道の有り余る時間のなかで、同じコンパートメントの方にキリル文字や数字の筆記体を書いてもらったり、様々な書類やレシートの文字を、時間を忘れて興味深く眺めていた事を思い出しました。
凝った甲斐がありました。
数字もですが、キリル文字の筆記体も
クルクルと波打つようで独特ですよね。
真似ようにもなかなか真似できないし、
筆記体で手紙をもらっても解読にてこずります。
それにしてもシベリア鉄道、うらやましい!
体力のあるうちに全線乗ってみたいです。
お店のおばさんも入出国審査官も、あのクルクル波打つ文字を、サラサラと書いてますよね。
私がモスクワに滞在した際、モスクワ在住20年と言う中国人のお医者さんも、あの波打つような文字を書いてました。
帰国してから手紙を書こうとしたのですが、住所と名前が解読できず、手書きメモをそのままコピーして手紙を書きました。
私がシベリア鉄道に乗ったのは、ソビエト最後の年で、車輌の傷みなど社会的な混乱が所々に目に付きました。
乗車後はじめて食堂車に行こうとして車輌間のドアを開けたところ、幌も無く、足場の鉄板も壊れて連結器がモロ見えの状態に、肝を抜かされたことはずっと忘れられません…
(モスクワから西方面に行く列車は、当時もしっかり整備されていましたが…)
現在のシベリア鉄道そのもの、ロシアの人々、車窓の風景…、何もかも今の姿が知りたいです。
私は夏に乗車しましたが、次回は冬と決めています。
3月頃に飛行機でヨーロッパに行った時、一面冬景色のシベリアの大地を見ることが出来ました。たまたま雪のなかを進む列車が見えた瞬間、そう心に決めました。
ウラジボストーク-モスクワ間でなくとも、北京やウランバートルから(ウラン・ウデ経由で)モスクワに行くのも面白そうですよ。