サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

久々プロコフィエフ計画

2017-02-17 | プロコ日記裏話
今年はロシア革命100周年、というニュースを聞いて、
そうだ、来年はプロコフィエフ来日100周年ではないか!
と遅ればせながら気づく。

作曲家プロコフィエフが日本にやってきたのは1918年。
来たる2018年は確かに100周年。
であるならば、何かイベントがあってもいいのに…。
そんな思いつきをS先生にお話したところ、
俄然その気になって、即動き出してくださった。
さすが行動力と人脈をおもちのS先生!

まだまだ企画のたたき台段階ではありますが
面白いことが実現するとよいのですが…。
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『プロコフィエフ短編集』3刷

2013-04-25 | プロコ日記裏話
このたび『プロコフィエフ短編集』(群像社)3刷が完成し、
過日出版社から見本が送られてきた。
共訳のS先生の提案で、作者本人の顔写真を加えていただいたのだが、
日本滞在を挟み、まさしくこれらの短編を書いていた1918年当時の写真が
セレクトされていたので、より説得力のある仕上がりに。

本がなかなか売れない昨今、少しずつでも増刷できるのは嬉しい限り。
小部数を末長く発行し続けてくださる出版社は今や貴重であり、
このご縁を大切にしなければと思うことしきり。



日本滞在中に執筆された作品を含み、11編を収録。
「日本滞在日記」の付録つき。
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『プロコフィエフ短編集』増刷

2010-05-04 | プロコ日記裏話
『プロコフィエフ短編集』おかげさまで2刷が発行されました。
お買い求めいただいた皆様、書評を書いてくださった皆様、
ありがとうございました!



シュールで奇想天外、独特のリズム感とハズシわざ!
本邦初披露の短編小説11編と「日本滞在日記」を収録。
作曲家プロコフィエフが1918年の日本滞在時、
東京や京都などでしたためた作品も含まれています。
ご注文は群像社ホームページから。
アマゾンでのご購入はこちらから。

なお日本版には、作曲家の孫でパリ在住のセルゲイ・ジュニアから
献辞をいただいてますが、そのいきさつを少しご紹介すると…。
共訳者のS先生がプロコフィエフの日本滞在について記した論文を
ロシアの研究書に発表したところ、知らぬまにその英訳
ネット上に公開されており、それをセルゲイさんが発見。
モスクワの出版社を通して、S先生にコンタクトを求めてこられ、
ロンドンで発行される「プロコフィエフ日記」英訳第二巻
巻末資料に転載させてほしいと依頼があったのでした。
それが2007年5月のこと。
まだ「プロコフィエフ短編集」の日本発売も決まっていなかったので、
この一件はしばらく忘れ去られていたのですが、
昨年初夏の「短編集」入稿ギリギリになって
「そうだわ!作戦があります!」とS先生、練りに練ったメールを
セルゲイさんに送り、原稿依頼したところ、即快諾。
翌日にはもう原稿がメールで届いたというしだい。
パリ、ロンドン、モスクワ、東京の相互需要を瞬く間に結びつける
いかにもネット時代を象徴するかのようなエピソードであります。
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佐々玲子さん個展

2010-04-09 | プロコ日記裏話
「プロコフィエフ短編集」(群像社)に挿絵をつけてくださった
イラストレーター佐々玲子さんの個展が明日から開催されます。
お近くにお寄りの際はぜひ足をお運びください。

会期:2010年4月10日(土)~18日(日)
12:00~19:30(18日は12:00~18:00)
会場: Le Midi (ル・ミディ)
   杉並区善福寺1-4-1 phone 03-3399-8209
   最寄り駅 JR西荻駅

個展の詳細と会場へのアクセスはこちら
*本展は終了いたしました。
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プロコフィエフの手づくり本

2009-11-19 | プロコ日記裏話
「プロコフィエフの孫からメールが届いたんだけど、
転送するから見てちょうだい!」とロシア人のS先生。
なんでも、『ジェレヴャンナヤ・クニーガ(木の本)』なるものの
情報が送られてきて、リンク先を次々クリックしていくと
本のさわりが見られるんだそうな。
「それをUSBに保存できないかしら」
出たっ!それは要するに保存してこい、という命令ですね。
「USBはほとんど使ってません」と遠回しに拒絶すると
「あら!遅れてるわね~」(ムムッ!)
「大丈夫、あなたならできるはずよ」
そりゃできますけど、人の画像をむやみに保存していいのか!?
「まあとにかく見ておいてちょうだい」

…というわけで転送されたメールを見てみると、
プロコフィエフ財団のホームページにリンクされていて
そのなかに確かに『木の本』が紹介されていた。
『木の本』とはプロコフィエフが革命前の1916年に想起し、
特注でつくった木製の表紙つきのサイン帳。
ここに出会った著名人に片っ端からサインならびに
「太陽について」の一言コメントを寄せてもらい、
計48人分を集めて完成したのが『木の本』だという。
この人、思いついたらとことんやらずにはすまないらしく、
木や紙質やらサイズにもこだわり、職人の手を煩わせて
世界にただ一冊のサインブックをつくりあげたらしい。
その実物はモスクワの国立中央文学芸術文書館に収められており、
このたびロシアの出版社からその複製本が刊行されたのだという。

本のさわりを見てみれば、サイン帳なので当然、全ページ手書き!
人によってペンも筆致も筆圧も異なるし、
なかには太陽のイラストを描いてる人もいる。
これぞアナログの醍醐味である。
いいな~、手づくり本!
プロコフィエフは小説家としての顔だけだなく、
エディター、プランナーとしての顔ももっていたということか。

それはさておき…。
S先生が保存したがってる「本のさわり」はパラパラ動画になっていて、
画像としては取り出せないようになっていた。
そりゃそうだ。そんなに簡単に画像をとられちゃたまらない。
仮に画像を入手できたとしても、木の装丁の立体感や紙の手触り感は
複製であっても「本」という実体を手に入れない限り、
感じることはできないのだ。ウラ~、アナログ!
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「シベ銀」にプロコ登場

2009-08-29 | プロコ日記裏話
閑話休題。ダーチャ報告はまだまだ続きますが、ここでお知らせ。

「ロシアの声」日本語放送8月31日(月)、日本時間21時台放送「シベリア銀河ステーション」で、『プロコフィエフ短編集』と併せてプロコフィエフ自作自演曲が紹介される予定です(音源はCDではなく、オープンリールテープ!)。その他のプログラムも面白そうなので、こちらのリスナーズサイト「ペーチカ」で「8/31シベ銀196」をチェックしてみてください!

*1週間後までオンデマンドで聞けます。
Japanese Пн(月曜)をクリック!
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新刊のおしらせ

2009-08-12 | プロコ日記裏話
『プロコフィエフ短編集』群像社ライブラリー22
本日から先行直販が始まりました!



本邦初披露の短編小説11編と「日本滞在日記」を収録。
ご注文は群像社ホームページから。
アマゾンでのご購入はこちらから。

いや~、長かったですねー。
ご協力いただいた皆様に感謝。
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S・プロコフィエフ

2009-07-16 | プロコ日記裏話
ようやく『プロコフィエフ短編集』の念校を戻す。
初校が出てからもう4ヵ月。あー、やっとこれで一段落だ~。

最後の最後まで、ロシア人のS先生が「気になります!」と
クレームをつけていたのがタイトルの名前の表記。
「なぜプロコフィエフに“セルゲイ”をつけないの? 
せめて“S”くらい、つけるべきです!」
さすがにプロフィール紹介ではフルネームを表記するけれども、
プロコフィエフと名のつく著名人は一人しかいないのだから
いちいち「セルゲイ・プロコフィエフ」とは書かないのが日本の常だ。
念のため、家にある本をひっくり返してみると、
『カラマーゾフの兄弟』の著者名は「ドストエフスキー」、
『スペードの女王』の著者名は「プーシキン」、としか書いてない。
ほーらね! 日本ではそうなんです!
…が、いざその理由を説明しようとするとハタと立ち止まってしまう。
「でもアベ・コウボウはアベ・コウボウでしょっ!」
確かに日本文学が世界に紹介される時に、苗字だけでは済まない。
でも日本では、ドストエフスキーの名前がフョードルで、
プーシキンの名前がアレクサンドルだなんて、知ってる人は稀である。

作家にしても音楽家にしても、いやさロシア人のみならず
外国人の名前は常に苗字だけ覚えればいいことになっている。
歴史の教科書でもそうだった。ヒトラー、チャーチル、スターリン。
日本名や中国名、即ち漢字の名前だとフルネームを要求されるのに
カタカナ名は苗字だけでいいのである。
そう思うとなんかヘンだ。いつからそうだったんだろう??
確かに一人の人しか思い浮かばない特徴的な名前が多いし、
カタカナだとスペースをとる、という物理的事情もある。
けど、人の名前を苗字だけで表すのはずいぶんに乱暴な気がしてきた。
ひょっとして、これは学習の効率化の弊害なんだろうか??

……といった具合に、ロシア人のS先生と本づくりを進める過程で
「え?」と困惑したり、「ううむ」と考えさせられること多々あり。
さまざまな発見のあった貴重な体験でありました。
とまれ、『プロコフィエフ短編集』(群像社ライブラリー22)は
群像社の8月の新刊としてお目見えする予定です!

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ドュケルスキーの謎

2009-02-20 | プロコ日記裏話
プロコフィエフ短編集の入稿も大詰め。資料として掲載するため
日本滞在日記を読み返していたら、あれこれ疑問が噴出してきた。
なにしろ4、5年前に訳したものなので、今読むとツメが甘い。
なかでも気になりつつも放置されていたのが、
「ドゥケルスキーは日本にいる」というプロコの一言。
ドゥケルスキー=作曲家ヴァーノン・デュークの本名、と
S先生に言われるままに注をつけておいたのだが、ほんとかいな。
なぜなら彼は1903年生まれで、プロコが上記を記した1918年には
まだ15歳だし、彼が一家で国外に逃れたのは1919年のこと。
仮に本当に日本にいたことがあったとしたら、事実確認が必要である。

…といったようなことをS先生にお伝えすると、表情険しく
「ドゥケルスキーの足跡を調査し始めたら大変なことになるわよ!
プロコフィエフがそう書いてるんだから、そのままでいいじゃない。
彼の勘違いかもしれないし、あるいは日記を編纂した息子が
書き写すときに名前を間違えたのかもしれないわね」
なるほど。プロコは子音だけで日記を書いていたので、同じような
子音から構成される別の姓である可能性もあるという。
じゃあとにかく注は外しましょう、と提案すると
「そうよ、ヴァーノン・デュークであるはずがないわ!
15歳で日本に来て何すんのよ!」
ですからー、さっきからそう言ってるんですけど。
と、ここで先生、「そのコピー、もらってもいいかしら」と
ロシア語ウィキペディアのドゥケルスキーの頁を指差す。
そこに添付された彼の写真を見て、「いい男ねー!」ですと。

さらに、プロコがウラジオストクの港で目にした警備艇「朝日」を
「戦艦」とすべきか「軍艦」とすべきか、とか
「エシポ“ワ”」と「ルマノ“ヴァ”」が混在してると気になるので
「ルマノワ」の表記に統一すべきではないか、とか
数字はすべて漢数字に変更し、訳注の入れ方も要統一、とか
表記上の極めて日本的な重箱の隅つつきに露骨にうんざりするS先生。

ようやく日記の確認を終えたら、今度は「あとがき」の打ち合わせ。
先生が用意してきた一大論文を前にして、Uさんとともに唸る。
「うーん、これは本のあとがきの内容じゃないですなー。
これは研究論文として発表されたらいかがです?」とUさん。
「そんなのとっくに発表しました!
あとはお任せしますから、お好きなように!」
晴れやかな笑顔と、ここからが肝要な入稿・校正作業を残し、
S先生はモスクワに帰ってしまわれたのであった。
え~ん、なんでいつもそうなるの~!?
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プロコ拾われる

2008-10-17 | プロコ日記裏話
仕込み5年……。ついにこの日がやってきた。
S先生、Uさんと最寄り駅で待ち合わせ、出版社との打ち合わせへ。
ようやくプロコフィエフ短編集出版のメドがたったのである。

「ちょっと訳してみましょうか」とS先生のお戯れから始まった
プロコフィエフ日記の部分翻訳。あくまでロシア語の勉強のつもりで
授業の一環でUさんと共に訳していただけのハズだったのに、
「ぜひ発表を」と来日ロシア人研究会会報に連載されることになり、
ついでにプロコフィエフが日本滞在時に書いた短編4作を訳出。
「プロコフィエフが日本滞在時にしたことを小冊子にまとめたい」
というS先生の野望を叶えるための資料はこれでひと通りそろい、
ああやれやれ、と作業はいったん終わるハズだったのに、
「むしろ短編集のほうが貴重だからこっちを全部訳したほうがいい」
との助言を多方面から受け、それから早くも足かけ3年。
ああ、長かった。特有のこのプロコ節からとっとと解放されたい!
と思うこと度々だったが、読めば読んだで面白いから困る。
かくしてようやく本年春には全編の翻訳が完了したのだが、
最初に出版企画を持ち込んだ出版社からはナシのつぶて。
業を煮やしてロシア研究の第一人者の先生方にご相談したところ、
しかるべき出版社につないでくださったというわけなんである。
しかもその出版社からは、偶然にもこの夏、ダーチャがらみで
書評依頼を受けたばかり。このご縁、ありがたく頂戴しよう。

というわけで、いつになるかは未定ですが、
プロコフィエフ短編集の日本語訳が世に出ることが決定!ウラ~!
だが問題は、Uさんと二人して、いかにS先生のたずなをさばくか。
研究者で、しかもロシア人のS先生は、時おり日本の常識から
突拍子もなく外れていくので、それをやんわり、かつ断固として
軌道修正していくのが我らの役目なのである。あ~やれやれ。
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三つのオレンジ

2008-06-29 | プロコ日記裏話
過日、来日ロシア人研究会でN.Sさんに久方ぶりにお会いし、
プロコフィエフ財団発行の「three ORANGES journal」15号を頂戴す。
この号の特集はズバリ「日本におけるプロコフィエフ」。
N.Sさんはこの号に、プロコフィエフが日本滞在時に親交をもった
数少ない日本の知識人、大田黒元雄と徳川頼貞について
英語論文を寄稿されたのであるが、そのなかにもっともな指摘がある。
大田黒の日記には頻繁にプロコフィエフとの出会いが出てくるのに、
プロコの日記では大田黒の記述はきわめてそっけなく、
それに比べて作曲を依頼してきた徳川氏は頻繁に登場する…と。
何度も家を訪ねて、より親密に会話を交わしたのは大田黒なのに、
徳川氏の依頼(=ギャラ)にまつわる話のほうが露骨に多いのは、
それほどアメリカ行きの旅費に切実に困っていた心中が
日記という超個人的なメモに反映された結果であろうか。
なんとも正直な人である。

それにしてもプロコフィエフの日本滞在日記は、
往時の日本を知りたいと思う者にとっては肩透かしの連続。
「作曲家になっていなかったら作家になった」と本人は書いてるが、
少なくともジャーナリスティックな視点は皆無の人だ。
せっかく大正時代の日本にきてるのに、突っ込みが足りん!
ここはどこなんだ! それはなんなんだ!
…と編集者なら確実にダメ出しをするであろうほどに
情景描写が極端に少なく、あっても中途半端であっさり終わる。
ひたすら自分が何をし、何を思い、何をすべきかに焦点が置かれ、
訳してるときは、あ~この人って自分しか関心ないんだ~
と天才のオレ様ぶりに正直呆れ果てたもの。
でも、大田黒日記に登場する彼は、いかにもロシア人的な
鷹揚さや茶目っけや人間くささを感じさせる27歳の若者なのだ。
日記をクロスさせて読むと、他者から見たその人のありようと、
本人のセルフイメージのギャップが見えて面白い。
そして恐らく、その両方が共に真実なんだろう。
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『紫外線の勝手』

2008-02-24 | プロコ日記裏話
プロコフィエフの短編小説『紫外線の勝手』の翻訳、ただ今清書中。
この作品は、アメリカのとある街の摩天楼のどまんなかに
ある日忽然とピラミッドが現れる、という荒唐無稽な筋書き。
日本に向かうシベリア鉄道の車中で書き始め、
書き上げたのは1919年のニューヨーク滞在時である。

日本滞在時の日記には「(小説の)構想が4つ」とあるだけで
この作品について具体的に触れられていないが、
おそらくこの4つの構想のうちの1つが当作品であろう。
「もしも時空がねじれたら」というありがちなSF的命題を
作曲家は当時興味をもっていた古代文明を絡めて
独創的に描こうとしたものと思われ、日本滞在中には
エッフェル塔がバビロンの塔と呼応して歩き出すという
同じ系統の荒唐無稽小説『彷徨える塔』を書いている。
一方の『紫外線』は、構想のまま据え置かれ、
アメリカ入りしたのちに一気にイメージが膨らんだのに違いない。

なにせ、主人公は大金持ちのアメリカ人。
金儲けしか頭にないステレオタイプな資本主義者。
ピラミッドとファラオの出現という異常事態にあってなお
頭にあるのは投資のことだけ……。

目の当たりに見たアメリカのド資本主義は、
イデオロギーとは距離を置くプロコフィエフにとってさえ
よほど滑稽に映ったと見え、その皮肉っぷりは容赦ない。
これはシュール小説の名を借りた痛烈なアメリカ批判でもあり、
プロコフィエフのアメリカ観が垣間見える一作である。
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プロコフィエフ停滞

2008-02-01 | プロコ日記裏話
相変わらずプロコフィエフの短編を翻訳中。
ひとりで訳せばあっというまに終わる量なのに、
週に1度、ロシア人のS先生に逐一チェックしていただいているうえ、
決まって途中で「その日本語はどういう意味?」と
いつのまにか日本語教室になってしまうのでいっこうに進まない。
足かけ何年かかるんだ!

が、いくらなんでも今年中には決着をつけねばなるまい。
なんとなれば、今年はプロコ来日90年にあたる節目の年。
だからなんだ?といわれればそれまでだが、
やはり締め切りという目標がなければ人は動かないのだ。
なのに、残りあと1作!というところで、
「春休みはロシアに帰るから。戻りは4月1日かしら」とS先生。
嗚呼、またしても不毛のブランク……。

と、ここでS先生が得意の強行採決。
「春になったら敦賀に行きましょ。行くでしょ?行くわよっ!」
え?は、はい……。同席のU氏も抵抗のいとまなく同意。
敦賀とは、プロコフィエフが初めて踏んだ日本の地。
昨年夏、プロコフィエフ日本滞在日記を読んだ地元の方が、
「わが町に来た有名外国人」として、立派な記念誌に
日記の一部を掲載してくださったという経緯があり、
かねがね一度訪ねてみようという話をしていたのだ。
「敦賀にはどうやって行くの?ネットで調べておいてね!」
出たっ! 満面の笑顔の命令。
そんなことしてると、また翻訳が遅れてしまうんですけど……。
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悪魔的暗示

2007-10-28 | プロコ日記裏話
昨夜は台風による暴風雨のなか、銀座へ。
以前、プロコフィエフ日本滞在日記のブログに連絡をくださった
女性ピアニストの方のリサイタルにうかがったしだい。
お目当ては、プロコフィエフの4つの小品より『悪魔的暗示』Op.4-4。
これがえらくカッコよくって、目も耳も釘付けだった。

この曲は1918年7月6日、作曲家本人が帝劇で弾いた演目の一つで、
当時のパンフは「最も近代的の奔放な曲(原文ママ)」、
音楽評論家・大田黒元雄は、ひとこと「怪奇」と表現しているが、
今聞くとむしろユーモラスでスリリングで気持ちよくて素敵。
こういう即効性のカタルシスのある音楽は明快でいいな。

ちょうど今、訳しているプロコフィエフの短編小説集のなかに
ズバリ悪魔が登場するものがある。
この曲ほど躍動感のある悪魔ではないが、
ブラックな笑いを内包する点で共通するものがあり、
翻訳のイメージを膨らますうえで少々の参考になる。
そういえば、夏真っ盛りに聞きにいったコンサートでは
プロコ作曲のおしゃまな女の子の歌があって、
それもやっぱり小説に登場する女の子とダブるものがあり、
歌を聞いてから翻訳のピッチが俄然あがった。
こんなふうに同じ作者による音と文章を行きつ戻りつするなんて
あまりできない経験なので、ここは乗りかかった舟、
次は『スキタイ組曲』を聞かねば……。
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『毒キノコのお話』

2007-09-16 | プロコ日記裏話
ダーチャ訪問ツアー報告の途中ですが……。
夏休みの宿題になっていたプロコフィエフの短編小説のひとつ
『毒キノコのお話』を昨日完訳。
かつてない不思議な余韻に浸っております。

「ターニャは5歳の女の子。あるとき森で赤いキノコを拾いますが、
家族は毒キノコだといって相手にしてくれません。
数日後、チョウチョを追って森に迷い込んだターニャは、
人間の言葉を話す、赤いキノコに出会います。
その〝ベニテングダケ17号〟に導かれ、地中のキノコ帝国へ…。」

…という、子供向けの平易なお話。
ありがちな物語では、冒険から現実の世界に戻った子供は
家族に温かく迎えられ、やっぱりおうちが一番!となるのだが、
そうは問屋が卸さないのがプロコフィエフ。
子供の夢はぴしゃりと打ち砕かれ、突き放されたまま終わるのだ。

ミもフタもない。救いがない。展開が読めない。残酷で辛らつ。
これらはプロコフィエフのいくつかの短編に共通するもので、
正直これまであまり共感できなかったのだけれど、
このお話の結末には、じわりと納得できるものがある。
というのも、ほかの作品の主人公たちはオトナなので、
これも人生、と読者もまた突き放すしかないのだが、
気まぐれで無作法で懲りない5歳の少女には、
したたかな未来が待っていることを予感させるからだ。

そして特筆すべきは、この作品には音と色があること。
はっきりと書き分けられたキャラクターは
それぞれに音色をもち、ときに合唱する。
またプロコフィエフの短編では、モノのディテールが
書き込まれることは極めて稀なのだが、
この作品では「色」が事細かに指定されている。
まるで、音楽劇を想定して書いたかのようなのである。
この作品、単独で絵本にしても面白いかも…。
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