サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

文化とビジネス

2009-02-23 | ロシアコラム
過日、ロシア文化フェスティバル事務局を訪ね、今年のプログラムやフェスティバルの趣旨などを取材。このフェスティバルは2006年から毎年開かれ、コンサートやバレエ・オペラ公演、展覧会など多彩な催しを通し、ロシアの文化・芸術を日本に伝えるものである。じつはロシア政府は日本のみならず、各国でこの手のロシア文化啓蒙イベントを開催していたそうで、いかにロシアが経済復興をバネにして文化政策に力を入れていたかがよくわかる。ところが昨今の経済危機の影響で軒並み中止となり、そのなかで辛くも日本でのフェスは続行が決定したのだそうだ。

とはいえ日本もあいかわらずの不景気で、「消費者の購買力が極端に落ち、チケットが売れないのが現状」と事務局長N氏は嘆く。経済状況の悪いときに、まっさきに援助が打ち切られるのは文化・芸術。国や企業の援助を得るためには、経済活動に結びつける必要があり、そのためにも「これからは文化・芸術を担う側も、ビジネスに積極的に関与していく必要があります」とN氏。あー、耳が痛い(笑)。

わかってはいるのです。みんな。「よいものなら支援してもらえるはず」という甘い考えは通用しないということも、「採算とれなくてもやることに意義がある」などというきれい事は自己満足でしかないということも。けれどもビジネスの才や営業力は一朝一夕に身につくわけでなく、これまで文化活動しかしてこなかった者は、ぐるぐると堂々巡りを続けるのみでそろそろ目が回ってきたが、ここであきらめてはいけないのだ。というわけで、足かけ4年目に突入したVプロジェクト、勝手に再起動!である。
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ドュケルスキーの謎

2009-02-20 | プロコ日記裏話
プロコフィエフ短編集の入稿も大詰め。資料として掲載するため
日本滞在日記を読み返していたら、あれこれ疑問が噴出してきた。
なにしろ4、5年前に訳したものなので、今読むとツメが甘い。
なかでも気になりつつも放置されていたのが、
「ドゥケルスキーは日本にいる」というプロコの一言。
ドゥケルスキー=作曲家ヴァーノン・デュークの本名、と
S先生に言われるままに注をつけておいたのだが、ほんとかいな。
なぜなら彼は1903年生まれで、プロコが上記を記した1918年には
まだ15歳だし、彼が一家で国外に逃れたのは1919年のこと。
仮に本当に日本にいたことがあったとしたら、事実確認が必要である。

…といったようなことをS先生にお伝えすると、表情険しく
「ドゥケルスキーの足跡を調査し始めたら大変なことになるわよ!
プロコフィエフがそう書いてるんだから、そのままでいいじゃない。
彼の勘違いかもしれないし、あるいは日記を編纂した息子が
書き写すときに名前を間違えたのかもしれないわね」
なるほど。プロコは子音だけで日記を書いていたので、同じような
子音から構成される別の姓である可能性もあるという。
じゃあとにかく注は外しましょう、と提案すると
「そうよ、ヴァーノン・デュークであるはずがないわ!
15歳で日本に来て何すんのよ!」
ですからー、さっきからそう言ってるんですけど。
と、ここで先生、「そのコピー、もらってもいいかしら」と
ロシア語ウィキペディアのドゥケルスキーの頁を指差す。
そこに添付された彼の写真を見て、「いい男ねー!」ですと。

さらに、プロコがウラジオストクの港で目にした警備艇「朝日」を
「戦艦」とすべきか「軍艦」とすべきか、とか
「エシポ“ワ”」と「ルマノ“ヴァ”」が混在してると気になるので
「ルマノワ」の表記に統一すべきではないか、とか
数字はすべて漢数字に変更し、訳注の入れ方も要統一、とか
表記上の極めて日本的な重箱の隅つつきに露骨にうんざりするS先生。

ようやく日記の確認を終えたら、今度は「あとがき」の打ち合わせ。
先生が用意してきた一大論文を前にして、Uさんとともに唸る。
「うーん、これは本のあとがきの内容じゃないですなー。
これは研究論文として発表されたらいかがです?」とUさん。
「そんなのとっくに発表しました!
あとはお任せしますから、お好きなように!」
晴れやかな笑顔と、ここからが肝要な入稿・校正作業を残し、
S先生はモスクワに帰ってしまわれたのであった。
え~ん、なんでいつもそうなるの~!?
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ロシア料理と大阪万博のゆうべ

2009-02-14 | ロシア料理とその仲間たち
またまたS先生が腕によりをかけてくれちゃいました。
今度はなんとロシア料理フルコース~!

事の発端は1週間ほど前にさかのぼる。
プロコフィエフ単行本の挿絵家探しに決着をつけるべく、
かねてから根回ししていた友人R嬢の絵をS先生についに紹介。
じつは、紹介も何も、出版社とはもう話をつけてしまったので
ここでNGを出されてなるまじ!とR嬢の大アピールを展開したのだが、
わがロシア語では微調整がきかず、話はどんどん大げさになり、
S先生の関心を過剰にひきつけてしまったらしい。
「私…その方をお招きしてロシア料理をご馳走したいわ。
そうだそうしましょ!予定を聞いておいてちょうだい!」
…というわけで、急きょロシア料理のゆうべとあいなったのだ。

豚足と牛肉を煮込んだロシアふう煮こごり、つけあわせはなぜか梅干。
そして絶品のブリヌイ&キノコのサワークリーム煮、
さらに、写真には写ってないが具だくさんのボルシチを経て、
出た!メインはアヒルの丸焼きだっ!

いつも食え食え攻撃の集中砲火を受けているので
同席のUさんと共に食べる前から戦々恐々としていたのだが、
本日は主役R嬢を迎え、歓談に花を咲かせながらの3時間余。
「おいしいです~」と次々完食するR嬢にS先生の気が向いてるうちに
ワインで胃袋をリセットしつつ、マイペースで食べられたおかげで
大量と思われたフルコースもいつのまにやら腹のなか。

そして話はいつしか、1970年大阪万博のソ連パビリオン裏話に…。
コンパニオンはどのようにして選ばれたのでしょう?希望して審査を受けたのでしょうか?と尋ねてみると、「とんでもない!当時はソ連時代ですから“任命”されたんです!」と胸をはるS先生。その栄えある名誉にあやかったのは、モスクワ大学の日本語科学生8名のうち5名。ちなみにはじかれた3名は、ユダヤ人、既婚者、日本共産党の通訳でトラブルを起こした学生だったそう。なにしろ時代が時代。コンパニオン候補者たちは、KGBの面接を受け、「ソ連邦を代表するにふさわしい学生」とのお墨つきを得て、休学扱いで来日したのだという。

とはいえ、若い学生たちのこと。ミニスカートの制服を自分たちで選んだり、ソ連パビリオン施工担当、T工務店のGさんがすてき~!と嬌声をあげたり、ひとりずつ車に乗せられてパレードしたり…と、エリートの青春を謳歌。ただでさえ大阪万博最長蛇、5時間待ちの人気パビリオンであったうえ、「共産国からの使者」への好奇も手伝ったのだろう。コンパニオンたちはマスコミの取材を多々受け、「ソ連のお嬢さん、大阪弁に四苦八苦」などと新聞に書かれたそうだ。

ソ連がアメリカと拮抗する紛れもない超大国だったころ、
日本がまだローカルな小国だったころの、今だから言える逸話の数々。
万博体験者には、聞けどもあきない裏話である。
そのお話、ぜひ研究会で発表してください!とリクエストすると、
「来年は大阪万博40年の集いがあるからそのときにね」とS先生。
「…よ、よんじゅうねん!!」
R嬢と思わず顔を見合わせ絶句した。光陰矢のごとし。
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赤い本めでたい4刷

2009-02-11 | ロシアコラム
「赤い本」と某氏に命名されて以来、内輪でもこの名で親しむ自信作、
『ロシアの正しい楽しみ方』、このたびめでたく4刷発行!

初刷から早8年。細々とPRを続けてきた甲斐がありました。
あまたある本のなかから選んで買ってくださった方々、
さくさく売れないと即、廃本・絶版のこのご時世に
地道に増刷してくださった出版社に感謝である。

本は「出したら終わり」ではない。それが始まりなのだ、
ということをつくづく思い知らせてくれたのはこの本だ。
思えばこの本の「あとがき」からダーチャの本が生まれたのだし、
この本を携えて、幾人の人にお会いしたことか。

怒涛の経済成長を遂げるロシアゆえ、情報はちょっと古いが
ロシアの本質はお伝えできていると自負しております。
ただし素直すぎる方にはおすすめしませんのであしからず!
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野生の王国

2009-02-09 | 自然・動物
冬になるといつのまにかいるのがハクセキレイと写真のツグミちゃん。
このところ早朝の公園ウォーキングをさぼっているので
ほかにあまり変わった鳥にはお目にかかれずにいる。

そのかわり!えらく変わった生き物を見かけてしまった。
それも朝、部屋にいながらにして、窓のすぐ外で
電線の太いケーブルの上を歩くまん丸お尻と太くて長いシッポを!
一瞬、えらく身のこなしの軽いペルシャ猫だなー、と思ったが、
いや、そんなハズはない! ちらりと見えた横顔はアライグマふう。
でも薄茶のシッポはタヌキっぽい。
即、検索して「東京タヌキ探検隊」なるHPを見つけて報告したところ
「電線を歩く生き物は間違いなくハクビシン」なんですと。
ハクビシン!こんなとこにも潜んでいたとは!

ハクビシンがいた場所は、以前ここらにニホンザルが出没した時
頻繁に目撃されたエリアと一致する。
おサルが某大使館の庭でターザンのように木をつたっていたり、
向かいのマンションの屋上を走り回っていたり、
教会の屋根の上にいて通行人にパトカー呼ばれてたり、
民家の庭先でレトリバーに抱きついて遊んでたり…
それすべてうちのベランダからの目撃例である。
ここは野生の王国の展望台か!?
今度は何が見られることやら。 
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グルジアワイン発見

2009-02-06 | ロシアコラム
先週、久々に麻布十番のスーパーNISSINへ。
もともとこのお店は、「ビーツや珍しい野菜があるわよ」と
ロシア人のS先生に教えていただいたもので、
いわゆる外国人御用達スーパーである。
過日お邪魔したS.Rさんのお宅でも、NISSINで調達したという
サワークリーム「トロイカ」を見せていただき、これは買わねば!
と馳せ参じたわけですが、残念ながらこの日は見当たらず。
そのかわり、以前に来たときには1本もなかった
グルジアワインがたくさんあるではないですか!

赤のサペラヴィ(右)、
白のツィナンダリ(左)。

ほかにピロスマニとキンズマラウリもあったけど、
両者とも甘口なのでこの日は上記ドライ系を購入。
輸出仕様なのか、ラベルが英語表記なのが残念だー。

このスーパーの2階にはほかでは見かけないワインが揃ってて、
本屋さんのようについつい長居してしまう。
ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、そして懐かしのスロヴェニア…。
ああ、見ているだけで行きたくなってくる!
おや、イギリスワインなんてのもあるぞ。
さらにはインドワインにタイワイン…。ううむ、想像がつかん(笑)。
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ロシアンアートのお土産

2009-02-04 | ロシアコラム
「ロシアンアート手作り工芸の世界展」で、自分へのお土産に購入。
クリスマスカードとマトリョーシカペン、ベレスタのライターケース。
カードに描かれた少女の表情がとっても愛らしくて
雪景色のなかの小鳥を慈しむように見ている視線がすごくいい。

窓の外を見るよ 春の光待つよ♪
(ヴァルシェブニキ・ドヴァラ『春を呼ぶ』より)
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