サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

『紫外線の勝手』

2008-02-24 | プロコ日記裏話
プロコフィエフの短編小説『紫外線の勝手』の翻訳、ただ今清書中。
この作品は、アメリカのとある街の摩天楼のどまんなかに
ある日忽然とピラミッドが現れる、という荒唐無稽な筋書き。
日本に向かうシベリア鉄道の車中で書き始め、
書き上げたのは1919年のニューヨーク滞在時である。

日本滞在時の日記には「(小説の)構想が4つ」とあるだけで
この作品について具体的に触れられていないが、
おそらくこの4つの構想のうちの1つが当作品であろう。
「もしも時空がねじれたら」というありがちなSF的命題を
作曲家は当時興味をもっていた古代文明を絡めて
独創的に描こうとしたものと思われ、日本滞在中には
エッフェル塔がバビロンの塔と呼応して歩き出すという
同じ系統の荒唐無稽小説『彷徨える塔』を書いている。
一方の『紫外線』は、構想のまま据え置かれ、
アメリカ入りしたのちに一気にイメージが膨らんだのに違いない。

なにせ、主人公は大金持ちのアメリカ人。
金儲けしか頭にないステレオタイプな資本主義者。
ピラミッドとファラオの出現という異常事態にあってなお
頭にあるのは投資のことだけ……。

目の当たりに見たアメリカのド資本主義は、
イデオロギーとは距離を置くプロコフィエフにとってさえ
よほど滑稽に映ったと見え、その皮肉っぷりは容赦ない。
これはシュール小説の名を借りた痛烈なアメリカ批判でもあり、
プロコフィエフのアメリカ観が垣間見える一作である。
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受賞の意味

2008-02-13 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
ヴォロネジの子供音楽スタジオ「ヴァルシェブニキ・ドヴァラ」の
責任者ヴィタリーさんは、ロシア連邦文化功労者の称号についで、
またしても何やら権威ある賞を受賞。そのインタビューで彼は、
子供たちにまず教えるのは「忍耐」だと答えていた。
音楽を教えるのにまず忍耐!とは。

もちろん、音楽にせよスポーツにせよ学習にせよ、
反復訓練に耐えられる粘り強さが必要であることは言うまでもないが、
彼のいう忍耐の発揮どころというのは例えば、
ユーラシアを遠距離移動するツアーの強行スケジュールだったり、
吹きさらしの屋外ステージで暑さ寒さに耐えることだったり、
小さな楽屋に全員押し込められて万全の準備をすることだったり。
要するに、セミプロとしてステージに立つからには
子供といえどもガマンしなければならないことが多々あり、
かといってスターではないので、天狗になってはいけない、
というようなことを、日々の活動のなかで学ばせているらしいのだ。

これには唸った。
子供たちにおもねらない。甘やかさない。あえて苦労させる。
そういえば昨年春、彼らのコンサートに同行させてもらった時も、
どしゃぶりの雨の中での屋外公演、帰宅は深夜3時半という
10歳前後の子供たちにとってはきつい状況だったにもかかわらず、
子供たちは終始笑顔で充実感にあふれているように見えた。
帰りのバスのなか、ヴィタリーさんは、1曲だけソロを歌った
セルゲイくんという男の子にこう声をかけていた。
「セルゲイ、きょうの歌、よかったよ」
じつはソロの途中でマイクを落としてしまったセルゲイくん、
もともと無口な彼は、黙ったままうつむいて聞いていたけれど、
ヴィタリーさんの一言は、どれだけ彼を安堵させたことだろう。
失敗には一言も触れず、よいところをちゃんと誉める。
ただ耐えさせ、苦労させるだけでなく、努力は必ず評価される、
というところまできっちりフォローする。
そういう指導者もまた正しく評価され、
しかるべき賞を与えられる国、それがロシアだ。
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音の心

2008-02-03 | ロシアコラム
S先生のお誘いを受けて、来日ロシア人研究会の定例会へ。
いつもながらバラエティに富んだ興味深い発表の数々。
なかでも、戦前ニコライ堂で聖歌指揮者を務めたポクロフスキー氏が
ロシア語の聖歌を日本語に訳すにあたっていかに苦労したか、
というMさん発表のお話が面白かった。
いわく、ロシア語では重要な言葉が語尾にくる。
そのため語尾を強調するようなメロディがつく。
なのにそれをそのまま日本語に訳すと語順が転倒。
「○○なり~」「なり~」と意味のない言葉が強調されてしまう。
そこでポ氏はさまざまな工夫を凝らしたという……。

そうそう!そのとおりなり~!
歌詞の大意は伝えなければならない。
けれど音そのものにも、その音でなければならない意味がある。
当然、先行させなければならないのは音である。
ここ1年ほど子供音楽スタジオ「ヴァルシェブニキ・ドヴァラ」の
歌を訳してきて、常々そう感じていたので、
先人のご苦労に共感すること大であった。

さて定例会後の懇親会では、若いロシア人夫妻と同席。
プロコフィエフの日記や小説を訳していることを話すと、
「プロコフィエフといえば『ピーターと狼』!
学校の授業でやりました。それぞれのパートを聞いて、
何をイメージするか答えるんです」と美人の奥様。
その授業がひどく印象に残っているらしいのだが、
「音を聞かせて子供たちに自由に想像させる」という
指導のしかたはいかにもロシア的。
日本でも音楽の授業で『ピーターと狼』が題材になることはあるが、
のっけから「これはピーターの旋律、これは狼」と
説明して終わってしまうのが関の山ではあるまいか。
音楽は解説するものではなく感じるもの。
ここが日露の教育の分かれ目だ。

さまざまに、「音の心」について考えさせられた夜だった。
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プロコフィエフ停滞

2008-02-01 | プロコ日記裏話
相変わらずプロコフィエフの短編を翻訳中。
ひとりで訳せばあっというまに終わる量なのに、
週に1度、ロシア人のS先生に逐一チェックしていただいているうえ、
決まって途中で「その日本語はどういう意味?」と
いつのまにか日本語教室になってしまうのでいっこうに進まない。
足かけ何年かかるんだ!

が、いくらなんでも今年中には決着をつけねばなるまい。
なんとなれば、今年はプロコ来日90年にあたる節目の年。
だからなんだ?といわれればそれまでだが、
やはり締め切りという目標がなければ人は動かないのだ。
なのに、残りあと1作!というところで、
「春休みはロシアに帰るから。戻りは4月1日かしら」とS先生。
嗚呼、またしても不毛のブランク……。

と、ここでS先生が得意の強行採決。
「春になったら敦賀に行きましょ。行くでしょ?行くわよっ!」
え?は、はい……。同席のU氏も抵抗のいとまなく同意。
敦賀とは、プロコフィエフが初めて踏んだ日本の地。
昨年夏、プロコフィエフ日本滞在日記を読んだ地元の方が、
「わが町に来た有名外国人」として、立派な記念誌に
日記の一部を掲載してくださったという経緯があり、
かねがね一度訪ねてみようという話をしていたのだ。
「敦賀にはどうやって行くの?ネットで調べておいてね!」
出たっ! 満面の笑顔の命令。
そんなことしてると、また翻訳が遅れてしまうんですけど……。
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