サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

ヨールカ祭

2006-01-29 | ダーチャ本関連
神奈川県日本ユーラシア協会さんの「ヨールカ祭」へ。
ヨールカ祭とは、ロシアのクリスマス。
サンタクロースにあたるジェド・マローズと雪娘が参上、
会食と歓談とコンサートをおおいに楽しむ。

が……。今回のわれわれには使命があった。
ダーチャ本のサイン会をしてくださるというご好意に甘え、
ついでにロシア本の行商にやってきたのだ。
しかし痛いことに営業担当が急遽来られなくなり、
不得手ジャンルの「営業」に自らあたらねばならぬ羽目に。

最初はおずおず、しだいにゴリ押し。
鋭い質問を浴びせられたり、へんなおじさんに絡まれたりしつつ、
お開き直前、ついに赤い本ことロシア本10冊完売~!

あ、しまった。赤い本にサインするのに忙しく、
1冊だけ売れたダーチャ本にサインするのを忘れてしまった。
なんの本のサイン会だったんだっけ??
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彷徨える塔

2006-01-27 | プロコ日記裏話
プロコフィエフの短編小説『彷徨える塔』完訳~。
1本目の『ひきがえる』に比べたら、はるかにわかりやすく
シュールでコミカルなプロコ節炸裂!といった感。

次は『誤解さまざま』を訳すのだとか。
しかし出版のめどはまだたっていない。
いまだに「プロコフィエフ日本滞在日記」のブログに訪れる
プロコファンの方々に、公開できるのは一体いつ??
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モスクワ寒波続報

2006-01-26 | ロシアコラム
「その後モスクワの気温はどう?」
「うん、だいぶ暖かくなったよ!マイナス24度」

その数日後――。

「今日のモスクワはどう?」
「もうすっかり暖かくなったよ!マイナス10度」

……これはアネクドート(小話)にあらず。
先週マイナス32度を記録したモスクワと東京との
その後のやりとりである。はー。
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雪の公園

2006-01-22 | etc.
モスクワには遠くおよびませんが……。

雪景色を見たくて早朝の公園へ。
誰もまだ歩いていないところを調子こいて歩いていたら
ずぼっとハマる。でもやっぱり雪は気持ちいい。
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大雪、なのか

2006-01-21 | ダーチャごっこ
雪降り積もる。
ビーツだいじょうぶか~。
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モスクワ大寒波に想う

2006-01-20 | ロシアコラム
ロシアは今、大寒波に見舞われているもよう。
「ウージャス!モスクワは32度ですってよ!」
と、昨日のロシア語教室にてS先生。
「32度」とはもちろん「マイナス32度」のこと。
冬は氷点下に決まってるので、ロシア人はわざわざ
「マイナス」とはいわないのだ。

「1978年、ペーチャが3歳だった年は40度だったのよ!」
ひぇー!シベリアじゃあるまいし、都会でマイナス40度とは。
しかしそれより……。素早く計算してギョッとする。
ってことは、ペーチャはもう30過ぎかよっ!

ペーチャ(ピョートルの愛称)とは先生のご子息で、
モスクワに行った時、小洒落たレストランに連れてってくれた頃は
まだまだ若僧だったのに……。ああ、少年老いやすく。
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『ロシア 世界の食文化』

2006-01-18 | ダーチャ本関連
ベランダ・ダーチャのことを書いた「出版ダイジェスト」届く。
先日も「読みました」とロシア文学のN先生からメールがあったところ。
N先生夫妻が執筆したロシアの食文化の本もようやく完成し、
そのなかでダーチャの歴史にふれているのだそう。

2年がかりの労作。早く読みたいものである。
発行は1月下旬、農文協より。
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樺太の眼鏡屋

2006-01-17 | etc.
ひきつづきボランティア団体の資料を見あさっていたら、
またまた面白いものを見つけてしまった。

富士メガネ創業・歴史
北の大地の眼鏡屋夫婦繁盛記、とでも申しましょうか。
樺太で開業、戦後は札幌を拠点に、機転のきいた判断と
危機を好機に転じる前向きな姿勢とで、
眼鏡チェーン店を拡大していったとある夫婦の物語。

ああ、好きだなー、こういうの。
戦前の樺太の描写にも胸躍る。
地方の商店にはまだまだ興味深い歴史が眠っていることだろう。
……って、そんなものばかり読んでるから仕事が進まんのだ。
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こちらダーチャの卵料理

2006-01-16 | ウラジオストク2005
ウラジオストクのダーチャにて、最後に食べた朝食がこちら。

白身魚のフライ(朝から揚げ物はムリ!とTさんパス)と
ロシアふうオムレツがメイン。
このオムレツがまた、すこぶるロシアでした。
材料はたっぷりの卵と牛乳だけ。
これを大きなシリコンの容器に流し入れ、
オーブンで焼く。油は使わない。

ひとくち目はおいしい。
ぷるぷるした食感で、甘くないプリンみたい。
っていうより、ダシも具も入っていない茶碗蒸って感じか。
この味が延々とつづく。
気が遠くなるほど、どこまでもつづく。
塩味を加味するためにもフライは必要でした。
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ロシアの目玉焼き

2006-01-15 | ウラジオストク2005
ウラジオストクのホテルの朝食で目玉焼きを頼んだら、
写真のような物体が出てきた。

これは卵の白身のクレープか?
目玉は流れて押しつぶされてる。
この料理をどういうものだと解釈しているんだろう。
Comments (2)
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ビーツ×ビール

2006-01-14 | ウラジオストク2005
ベランダに植えたビーツに動きがないので閑話休題。
忘れぬうちにウラジオストク話のおまけ……。

写真はホテルのカフェで食べたビーツのサラダ。
ニンニクが強烈に効いていて、食べた瞬間ツンとくるが
その下からポテトの甘味が出てきて絶妙の味でした。
これをつくりたくて、ビーツを待ってるのに~!

ところでロシアに限ったことではないが、
うしろにあるビールのグラス、これがとてつもなくデカかった!
ドイツ居酒屋で出てくるたぐいの500ccのくびれたグラス。
大陸の人々にとって、ビールの最低単位は500なのだ。

おまけに我々はスーパーで買った缶ビール(これも500)を
隠し持っていた。「勝手に持ち込み」である。
買ったからには飲まねばならぬ。ビン500に缶500、
1リットルのビールなどたいしたことないはずなのに、
巨大グラスに注ぐと、なかなか減らずキツいのはなぜだ。
日本人はやっぱ、わんこそばみたいに小さいコップで
少量ずつクイクイ飲むのが性に合ってるのね。
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常に備えよ!

2006-01-12 | ダーチャ本関連
Всегда готов!(フセグダ・ガトフ:常に備えよ!)
というソ連時代のスローガンが、近頃の仲間うちの合言葉。
なんで今頃?といぶかる視線をかわしつつ、
常に宣材七つ道具をバッグにしのばせ、
遅ればせながらのロシア本PR作戦を展開しておる。

先日も、神奈川県日本ユーラシア協会さんから
ダーチャ本サイン会の打診があったので、
便乗してロシア本も紹介してもらえるよう着々と準備中。

ここで嬉しいお知らせが。
本を取り寄せるべく版元に問い合わせたところ、
ロシア本は今も「動いている」とのこと。
そうでしょう、そうでしょう。
どのジャンルにもマニアは必ず1万人いる。
根拠はないが、そうと信じればそうなのだ。
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シベリアの魔術師

2006-01-07 | ロシアコラム
ボランティア団体の資料に目を通していたら、面白い記述に遭遇した。
現在、施設慰問で得意のマジックを披露するAさんは、
10代のころから手品にのめりこみ、
シベリアに抑留された際も旧ソ連兵を前に腕前を披露。
「おまえは魔法使いか」と驚かれ、特別待遇を受けたという。

娯楽のない極寒の地で、素人手品に素直に感動するお人よしロシア人! そして、生き延びるために知恵をしぼる若き日本兵!

シベリア抑留はむろん悲惨なことではあるのだけれど、
この手のほのぼのとした交流エピソードは実はきわめて多く、
憎いはずのソ連・ロシアに、老境を迎えた今となっては
郷愁さえ覚える方が少なくないことも事実である。

そういえば、以前ロシア語教室でお隣の席だった某氏は、
チタの収容所でよく耳にしたソ連兵の言葉が今も忘れられず、
その意味が知りたくてロシア語を学び始めたという。
お元気でいらっしゃるだろうか。
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ロシアの著作権

2006-01-03 | ロシアコラム
新年おめでとうございます。

年末年始にもかかわらず、プロコフィエフ日記のアクセス数が
まったく落ちないのはどうしたことか。
ビッグネームって、やっぱすごいわ。

プロコの短編小説もいずれブログで公開されるのか、
との問い合わせコメントあり。
さすがにそれは……ナイ!と断言しよう。

日記の翻訳全公開だって、相当に太っ腹だし、
それができるのはロシア人が権利関係に疎いせいもある。
ついこないだだって、ロシア大統領府発行の由緒ある雑誌に、
知人の研究者Sさんの論文2本が堂々と「無断掲載」されていた。

なのにSさん「この雑誌面白いでしょ!」とまんざらでもないようす。
原稿料もらって当然ですよ!的なキャピタリスト発言は慎んだが、
官庁からしてが率先して著作権無視とは、どーよ!?
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