3月末をもって『ロシアの大人の部屋』絶版決定、とのお知らせを
1週間ほど前に辰巳出版のご担当者からいただく。とても残念ですが、
別チームが制作した『パリの大人の部屋』も同様に絶版とのことなので
『ロシア…』だけがお役目終了というわけではないらしいのが救いです。
この本が発行されたのは、もう11年前、
東日本大震災の衝撃冷めやらぬ2011年3月25日のこと。
こんな時期に、外国のインテリアを紹介する趣味の本を出してる場合か⁉
いや、日本中がこんなに鬱々とした気分に覆われている時だからこそ、
ほっこり温かいロシアの家を見て心を和ませてもらえたら…
と葛藤しつつ、本を送り出したのを思い出します。
本書は、女子大生から90代のおばあちゃまのお宅まで、
モスクワのアパート24件のインテリアを紹介したもの。
その裏話の一部はカテゴリー「モスクワ取材2010」でお読みいただけます。
当時のロシアは、バブルは弾けたといえ、暮らしは豊かになり、
街もきれいになり、若い女の子たちはモデルばりのカッコよさ。
モスクワに同行したK君など、カッコいいお姉さんを見つけては
「きゃー、何あの人カッコいい~!女優さん!?」と狂喜してたっけ。
日本でも、ロシア雑貨やチェブラーシカやダーチャのおかげで
ロシアのイメージが少しずつ良くなってきた頃。
だからこそ、この企画も通ったわけで、
ソ連崩壊から20年たって、面倒だった旅行手続きも簡便になり、
ほぼ自由に旅程を組んで、自由に一般市民に取材できる
「普通の国」になりつつあったことに、当時は感無量でした。
なのにそのまた10年後に、ウクライナ侵攻という暴挙によって、
「怖い国」「危ない国」に逆戻りしてしまうとは。
今このタイミングで本書の絶版が決定したことは全くの偶然ですが、
本書に紹介したモスクワ市民の自由で温かな暮らしが、
二度と戻ってこないことを暗示するかのようで、暗澹たる思いです。
左から『ロシアの大人の部屋』中国版(2018年8月中信出版集団)、
台湾版(2012年1月悦知文化)、中国版(2011年12月中信出版社)
本書は、上記の中国版、台湾版が発行されたほか、
ロシアの出版社からロシア語版オファーも受けていたのですが、
誌面に登場する取材対象者の方々から許可を得られず、叶いませんでした。
遠く離れた海外での出版だから取材を受けたのであって、
国内でプライバシーを公開されるのは嫌、というのがその理由。
表向きは、開かれた国になったように見えていた当時も、
ソ連時代に培われた、人の目を本能的に警戒する習い性は、
消えていなかったのでしょう。
1週間ほど前に辰巳出版のご担当者からいただく。とても残念ですが、
別チームが制作した『パリの大人の部屋』も同様に絶版とのことなので
『ロシア…』だけがお役目終了というわけではないらしいのが救いです。
この本が発行されたのは、もう11年前、
東日本大震災の衝撃冷めやらぬ2011年3月25日のこと。
こんな時期に、外国のインテリアを紹介する趣味の本を出してる場合か⁉
いや、日本中がこんなに鬱々とした気分に覆われている時だからこそ、
ほっこり温かいロシアの家を見て心を和ませてもらえたら…
と葛藤しつつ、本を送り出したのを思い出します。
本書は、女子大生から90代のおばあちゃまのお宅まで、
モスクワのアパート24件のインテリアを紹介したもの。
その裏話の一部はカテゴリー「モスクワ取材2010」でお読みいただけます。
当時のロシアは、バブルは弾けたといえ、暮らしは豊かになり、
街もきれいになり、若い女の子たちはモデルばりのカッコよさ。
モスクワに同行したK君など、カッコいいお姉さんを見つけては
「きゃー、何あの人カッコいい~!女優さん!?」と狂喜してたっけ。
日本でも、ロシア雑貨やチェブラーシカやダーチャのおかげで
ロシアのイメージが少しずつ良くなってきた頃。
だからこそ、この企画も通ったわけで、
ソ連崩壊から20年たって、面倒だった旅行手続きも簡便になり、
ほぼ自由に旅程を組んで、自由に一般市民に取材できる
「普通の国」になりつつあったことに、当時は感無量でした。
なのにそのまた10年後に、ウクライナ侵攻という暴挙によって、
「怖い国」「危ない国」に逆戻りしてしまうとは。
今このタイミングで本書の絶版が決定したことは全くの偶然ですが、
本書に紹介したモスクワ市民の自由で温かな暮らしが、
二度と戻ってこないことを暗示するかのようで、暗澹たる思いです。
左から『ロシアの大人の部屋』中国版(2018年8月中信出版集団)、
台湾版(2012年1月悦知文化)、中国版(2011年12月中信出版社)
本書は、上記の中国版、台湾版が発行されたほか、
ロシアの出版社からロシア語版オファーも受けていたのですが、
誌面に登場する取材対象者の方々から許可を得られず、叶いませんでした。
遠く離れた海外での出版だから取材を受けたのであって、
国内でプライバシーを公開されるのは嫌、というのがその理由。
表向きは、開かれた国になったように見えていた当時も、
ソ連時代に培われた、人の目を本能的に警戒する習い性は、
消えていなかったのでしょう。