サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

畑拝見

2007-06-29 | ロシア取材2007
タチアナさんのお向かいのダーチャに住むニーナさんが、
自慢の畑を見せてくれた。
畑には囲いがあって、一段高く土が盛られてる。
その全体をしっかりシートで覆って苗をガード。
かなり仕事が細かいニーナさん。

かたやタチアナさんは、細かいことは気にしない性格で、
苗の植え方もアバウトだし、シートもかぶせないまま
街に帰ろうとするものだから、ニーナさんのご注進を受けていた。
で、渋々物置からシートを引っ張り出してきたタチアナさん、
ひん曲がったシートを適当に苗にかぶせ、
そのへんにあった大きな石を重しに置いて、おしまい!
畑には性格が出るのである。


こちら、ご近所のおばあちゃんの畑。
まだ日本の冬並みの気候だったのに、
夏に向けてもう準備万端。
この寒さを乗り越えて、強い野菜になるのだろう。
夏にまた見てみたい!
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ダーチャへの道

2007-06-25 | ロシア取材2007
            もし、どちらへ??

列車とバスを乗り継いで、ベロオーストロフのダーチャへ。
この日は土曜日。まだ肌寒い5月上旬だというのに
ダーチャに向かう人が、列をなして森のなかに消えていく。
じつはこの前にダーチャ協会への取材があった。
協会の幹部たちは、「今のダーチャはホビー」と言い切るのだが、
何をもってホビーなる言葉を定義してるのか、
日本の感覚では推し量れないものがある。


手にしているのは「バケツトイレ」。
これをこのままトイレ小屋に設置して、たまったら肥溜めに。
ううむ、合理的だが豪放すぎ。
ダーチャ嫌いの人には耐えられないだろうなぁ。


今回泊めていただくのはタチアナさんのダーチャ。
6年前に家つきで購入し、修理・増築したのだそう。


着くなり労働奉仕に汗する若い衆。
雑草を抜き、土を耕し、これから苗を植えるところ。

春のダーチャを見るのはこれが初めて。
まだ誰も来てないんじゃないかと思っていたのに、
どこのダーチャでも、畑の準備に余念がなかった。
これを「ホビー」と呼ぶのだとしたら、
「ホビー」のレベルが違いすぎ!
Comments (2)
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夏野菜出遅れ

2007-06-23 | ダーチャごっこ
ロシアの思い出に浸っているうちに、ベランダはようやく夏モード。
留守中にスズメに種や新芽を食べられてしまったので
今年はすっかり出遅れてしまいましたが、
先日、某編集部から猫好きのお二人が
ベランダと猫を見にみえるというので焦って形を整えた。
その甲斐あってか、なんとか去年に追いついてきたような。

種をまきなおしたキュウリは、
これこのとおり成長。


ゴーヤは発芽に失敗したため、急遽、苗を購入。
去年の10日遅れで、わっしわっしと支柱をつかみ始めた。


今年、初挑戦のピーナッツ。
この花が地下にもぐって豆になるらしい。
(正しくは、花が落ちるとその脇から子房のついた根がのびてくる)


そして、冬越えのビーツ、本日ついに収穫っ!!


うきうきとビーツを運んでいたら、むにゃっ……と
サンダルの裏に、柔らかい妙な感触が。
うぎゃーー!!ツバメの赤ちゃんが無残な姿で転がっている~!
ひょっとして猫の仕業かと思って猫に聞いてみたが、
ムスっとしているので違うらしい。
そもそも狩りなどしたことのない猫なので、
ツバメの亡骸を見せても、情けないほど無反応である。

さて気をとりなおして、次回はあまり紹介される機会のない
サンクトペテルブルクのダーチャ報告をお届けします。
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ホームステイ

2007-06-15 | ロシア取材2007
5月10日夕刻、サンクトペテルブルク、プルコヴォ空港着。
迎えにきてくださったI さんと共に、車で市内へ向かう。
ヴォロネジのあとで見るペテルブルクは、郊外からして華がある。
この街に来るのは3度目だけれど、
高度成長ガンガンの勢いが、車窓からも見てとれる。

今回はダーチャに泊まる関係上、ホテルをとらずにホームステイ。
目指すは、プリモルスカヤ地区にそびえる
ソ連時代の超モダン(当時)巨大アパート群のひとつである。
Oさんとは同じ建物の別の部屋に宿泊するので、
とりあえず両方の部屋にご挨拶。すると!!


こちらシュトゥーパ。4ヵ月。Oさんの部屋在住。


こちらムィーシカ(ねずみちゃん)。美猫!
スーツケース、開けたら入るは万国の猫共通。
どこに行っても猫ちゃんがいて嬉しいかぎり!

そのうえおいしい家庭料理!

じつはモスクワの空港で食べ過ぎて腹いっぱいだったのだが、
なぜかバクバク入ってしまう。不思議だ…。

ところでこのアパートからは、フィンランド湾が見える。 

ひょっとして、プリバルチスカヤ・ホテルの近くとか??
「ダーダー!すぐそこよ!」とホストファミリーのタチアナさん。
なーんだ、ソ連時代に泊まったホテルのすぐ近くだったのか。
ってことは、最寄りのプリモルスカヤ地下鉄駅は「あの」駅か?
記憶を呼び返すと確かに、17年前に右往左往した駅の面影が
あるのだけれど、周囲があまりに栄えていて見違えてしまった。
ほんとにロシアは今、スゴイことになってるわい。
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さらばヴォロネジ

2007-06-11 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
5月10日 朝8時、ホテルロビー集合。 
思いがけず、空港まで送ってくださるナタリアさんばかりか、
ヴィタリーさんと息子マクシムくんまで来てくれた。
おまけにヴォロネジのチョコレートのお土産まで…。
これは永久保存版!包みを開けることもできませぬ!

これからマクシムくんを保育園に送っていく、
というヴィタリーさんとはここでお別れ。本当にお世話になりました!
しかしなんという人だろう、この人は。
昨夜のコンサートから戻ったのは午前3時半。
ほとんど寝てないだろうし、今日はオクサーナちゃんを連れて
モンテネグロの音楽祭に向けて出発するはずなのに、保育園??
この人たちの前で日本の少子化の理由を語っても、どれもこれも
大人が楽をするための言い訳としか聞こえないだろうなー。
ちなみにヴィタリーさん、弱冠35歳である。

ナタリアさんの車で一路ヴォロネジの空港へ。
3日前の深夜に着いたときは、真っ暗でよくわからなかったが、
車窓には緑濃いのどかな光景が広がっていた。
郊外にはヴィタリーさんの両親が住むダーチャがあって、
夏になるとナタリアさんもマクシムくんを連れていくのだそうだ。
ナタリアさんとは一緒にいた時間が一番長かったので、
本当にいろんな話をした。仕事や育児の合い間を縫って、
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました!
気持ちのいい時間をすごさせてくれた、
ヴォロネジのすべての人々に感謝!



再びサーブ2000に乗って、モスクワのドモジェドヴォ空港へ。
ここから、モスクワのホテルに戻るKくんとは別行動。
Oさんと共に、第二の使命の待つペテルブルクに飛ぶのだ。
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ウクライナ国境の町へ

2007-06-06 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
コンサートに向かうバスの中で折り紙大会。
中央はトップソリストのヴラッドくん。カメラを向けると即、この笑顔!
*当ブログではズバリの顔写真は掲載いたしませんので、クリアな写真をたっぷり見たい方は、本国公認カピトシュカ・ブログへどうぞ!

5月9日午後2時半。
ナタリアさんの案内で、ヴォロネジ鉄道駅前へ。
すでにそこには、『ヴァルシェブニキ』の子らを乗せたバスが待機。
これから戦勝記念日のコンサートに向かう〝魔法使いたち〟と共に、
ウクライナ国境の町シェべキノを目指すのだ。
てっきり我々が最後の乗客かと思ったら、
「○○ちゃんのママがまだよ!」と遠足バスのようなノリである。

バスは町を抜け、郊外に出て、車窓にダーチャが見えてくる。
家の前にはニワトリやら羊やらブタやらが
好き勝手に走り回る、なんともアナーキーなダーチャ!!



でも残念ながら、道中の写真をほとんど撮っていない。
なぜなら出発して間もなく、女子組の12歳コンビ、
ダリアちゃんとオクサーナちゃんがやってきて、
ずっと英会話ごっこをしてたからである。
「英語学校に通っているので、英語でお話してもいいですか?」と、
隣の席にピトっと座ったダリアちゃん。
普通の学校以外に英語学校、加えてこの音楽スタジオの活動!
なんて学ぶことに意欲的なんだろう。

4時間をとうに過ぎて、バスは村に毛が生えたような小さな町へ。
どうやらここがシェべキノらしい。
会場となるのは、公民館みたいな建物前の広場。
トイレ休憩のあと、バスのなかでいっせいに準備が始まる。
衣裳に着替え、髪をつくり、女の子たちは軽くメイク。
次々に〝魔法使いたち〟ができあがっていく。

すると「あのね。本番の前に、私たち必ずすることがあるの。
教えてあげましょうか?」とダリアちゃん。
「こうやってお互いに顎をさわり合うの」とやってみせる。
日本ならさしずめみんなで手を重ねて「オー!」だけど、
ここでは子供たちが寄ってたかってお互いに顎をクチュクチュ。
なぜか我々もクチュクチュに加わって、一心同体の気分。

そしていよいよコンサート開始時刻が近づく。
バス中に響きわたる大声で、ヴィタリーさんが曲順を確認。
子供たちのスタンバイを横目で見ながら
先回りして屋外コンサート会場の最前列に陣取る。
ほどなくしていきなりコンサート開始。



…なんでしょう、これ。想像をはるかに上回る面白さ!
20人近い子供たちが入れ替わり立ち替わりする展開の早さ、
歌と踊りの緩急のつけ具合、合い間で煽るMCの絶妙のタイミング!
もちろん、もろもろの意味での洗練さにかけては、
大金と膨大な数のスタッフをつぎこんだ
日本のアイドルのステージにかなうよしもないが、
この子たちにはそんな後ろ盾はないのである。
おまけにきのう、部分的なリハをしただけで、
本番の会場では一度も通し稽古をしていないのに、
ぶっつけ本番でこの完成度の高さはどうよ??
振付けがアブナイ子も、自信たっぷりにごまかして
それなりに見せちゃってる。スゴイ舞台度胸だ。
音響や照明にしたって、一度もテストしてないのに、
(しかもロシアなのに・笑)なぜこうも舞台と同調してるのだ!

しかし、どうにもこうにも悩ましいのは、ステージ開始前から
無情にも降り始めた雨。ステージにはかろうじて屋根があるが、
観客はどんどん強くなる雨足にさらされて悲惨な状況。
ロシア人はビクともしないでノリまくっているが、
精密機器を抱えた日本人一行はたまらない!
そのうちに「ソ連のリリー・マルレーン」といわれる戦時歌謡
『青いプラトーク』のテクノ・ヴァージョンが始まると、
それまで子供らのつきそいだった会場のバブシュカたちが、
突如熱狂して歌いだした。ひえ~、なんなんだこりゃ!?
あ、そうか、戦勝記念日だったんだ。
なるほどツボをわきまえた選曲ですね。
以後、老若男女入り乱れての大盛り上がり大会。
すっかり暗くなった空に、シメの花火がぶちあがる…。

高揚感と満足感。久々に気持ちのいいものを見た。
バスに乗り込み、帰路につく。
そしてそれは、夢の子供たちとのお別れのとき…。
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戦勝記念パレード

2007-06-03 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
          パレード行進が目指すはレーニン広場。
          ヴォロネジにはまだレーニンさんがいた!

5月9日。戦勝記念日。
『ヴァルシェブニキ』のコンサートに同行するのは午後からなので、
ナタリアさんがその前にパレード見学に連れて行ってくれるという。
のっけから飛ばしすぎのKくんは、電池切れ間近のヤバイ状態。
午後の部に備えて寝かせておき、Oさんと二人で出かける。

朝8時半。パレード開始は10時だというのに、
すでに目抜き通りの革命大通りは人ごみでごった返していた。
町のあちこちでバブシュカが花を売っていて、
道行く人々がそれを2本、3本と買っていく。
ナタリアさんもチューリップを手早く選んで購入。
これを無名戦士の墓に供えるのだという。
大通り沿いにはいくつか仮設ステージが設けられ、
子供たちや民族楽団が歌や踊りを披露している。
『ヴァルシェブニキ』の歌を歌っている子供グループもいて、
ナタリアさん、ちょっぴり誇らしげ。


こちら、グルジア少年少女舞踏団。
衣裳がめちゃくちゃかっこいい!



10時。無名戦士の墓の前で式典が行われ、パレードが始まる。
「先回りしましょ!」というナタリアさんに手をひかれて、
再び革命大通りに戻る。子供の姿がやけに多い。
花を手にして沿道にズラリと並んでる。
「退役軍人がきたら、子供たちが花を渡すのよ」とナタリアさん。
本当にそうだった。行進してくるパレードの列のなかに、
勲章を胸につけたご老人の姿を見つけると、
子供たちが駆け寄って次々に花を手渡すのだ。



なんなんだろう。これって。
これがソ連時代であれば、「戦争功労者を労う模範的少年達」
とでも安易にキャプションをつけてしまうのだろうけれど、
そういうこととはまったく次元が違う気がする。
戦争功労者だからというのではなく、
何かを成し遂げた人生の先輩たちを心から敬う
という教育が、この国ではなされているのだ。
そうとしか思えない。

この日、またしてもナタリアさんにお昼をごちそうになる。
おまけに、明日はホテルの支払日だというのに
まだ両替を済ませていなかった我々のために
休日に営業している両替所を見つけてくれたうえ、
両替所でのトラブルにも根気よく立ち会ってくれたりして、
本当に頭の下がる思いだ。
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魔法使いたちの宮殿

2007-06-01 | ヴァルシェブニキ・ドヴァラ
5月8日正午。ナタリアさんとホテルロビーにて待ち合わせ。
いよいよヴォロネジ本番。夢の子供たちと会える時がきた。
ナタリアさんは『ヴァルシェブニキ』の音楽監督ヴィタリーさんの
奥さんであり、元歌手。楽曲の歌詞を手がける作詞家でもあるが、
本業はインテリア雑誌のディレクターだ。
彼女とヴォロネジ大学の学生さんの案内で、市内観光へ。
…って、こんなことまでしてもらっていいのだろうか??

14時になったところで、学生さんは大学に帰っていき、
ナタリアさんの車で録音スタジオ「ブラックボックス」へ。



廃屋のような建物の奥に、薄明かりのともるスタジオ。
そこではヴィタリーさんとサウンドエンジニアのイーゴリさんが、
女子組トップのオクサーナ・ヴォイトヴィチの新曲『ドルフィン』
のレコーディング中。レコーディングといってもCDを出すわけではなく、
あしたのコンサート用。ロシアのステージは口パクが基本なのだ。
ガラス越しに見えるオクサーナは、想像していた以上にオトナ!



「ハハハハ~♪」と何度も自分で歌ってみせるヴィタリーさん。
それにくらいついていくオクサーナは、まだ12歳。
ワンフレーズ録音してはモニターで何度も確認。
「いいビブラートだ!」とようやくOKが出て、録音終了。

スタジオをあとにして、車でヴォロネジ鉄道駅前へ移動し、
ヴィタリーさんの幼馴染みが経営するレストラン「ヴォヤージュ」へ。
着いてびっくり!2階のVIPルームに通される。
ここでナタリアさんは息子マクシムくんの保育園お迎えのため、
一時中座。その間にヴィタリーさんにインタビューをしつつ、
ボルシチ、サラダ、川魚の料理などをごちそうになる。
またまたこんなによくしてもらっていいのだろうか!?

 美味~!

18時すぎ。ヴィタリーさんの車で「青少年会館」到着。
この場所はすでにネットで何度も見たことがある。


ここぞ『ヴァルシェブニキ』の本拠、
直訳すると「子供と青年の宮殿」である。

船の形を模した3階建ての建物内には、広い吹き抜けホールに面して
いくつもの部屋がある。クラシックからロシア民謡まで、
さまざまなジャンルの青少年音楽グループが、各部屋を使用。
そのうちの何部屋かが『ヴァルシェブニキ』の専用であり、
4歳から15歳まで、300人の子供たちが、
ヴォーカルや振付けを担当する11人の教師に学ぶ。

そこに登場したのは『ヴァルシェブニキ』の十数人の精鋭たち。
真っ赤なトレーナーを着て、ひときわ目をひくのは、
トップソリストのヴラッド・クルツキフくん。これはもう、
赤い服のせいとかじゃなく、生まれもったオーラのせいだ。
でも、写真や映像で見ていたより、はるかに幼くてちっちゃい!

そして、ボリショイ・ザル(大ホール)でリハーサルが始まる。
ホール後方の席からヴィタリーさんが指示を出す。
一列目は誰と誰、二列目は誰と誰……。
そうか。コンサートによってフォーメーションが違うのか。
慣れないポジションに立った子は、振付けもおぼつかない。
容赦なくヴィタリーさんからダメ出しが飛ぶ。
ヴィタリーさんは普段は物腰柔らかだけど、このときは別人。
でもひるまず、「ヴィタリー・イワノビッチ!」と
意見を出す子もいて、共にステージをつくっている感覚である。


このもようについては、Kくんのもうトマラナイ発狂寸前レポート
『中庭への道』
をご覧いただくとして……。

ここで書いておきたいのは、
客席でじっと見守っていた子供たちのパパやママの存在だ。
いわゆる「ステージママ」とはちょっと違う。
「保護者」としてそこにいるのがごく自然で当然な感がある。
後日、この「参観する父兄」の写真をロシア女性Sさんに見せたところ
「あたりまえでしょ!」と言われた。
「これは夜でしょ?子供には送り迎えが必要でしょ?
どうして日本では子供を夜ひとりで歩かせるの?信じられないわ!」
確かにこの日、リハーサルが終わったのは午後9時すぎ。
両親がタンボフという町に引っ越して、ヴォロネジ市内の親戚の家に
帰るというジェニスくんは、お迎えがないので
ヴィタリーさんがわざわざ車に乗せて送り届けていったっけ。
子供をちゃんと子供扱いして、大人たちで守る国。
ロシアの健全さにまたひとつ触れた。
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