サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

ふくおか農業体験農園

2013-02-20 | 都市農業。


打ち合わせ先に届いたボーリングの玉かと見紛う立派な梨!
普通の梨の4個分くらいある。
それでいてまろやかでしっとりした味。
軽くソテーして肉料理のつけ合わせにもなりそうだ。

梨のつくり手である福岡の「梨の平田果樹園」さんに
お礼かたがたお電話でご挨拶したところ、
代表の平田さんはダーチャの初版本を読んでいてくださり
「日本のダーチャ」を目指す活動の一端を担っていらっしゃるそう。

それが「ふくおか農業体験農園」。
平田さんの「緑の王国」をはじめ福岡県内各所の農園が、
一般市民に農を体験できる場所を低料金で提供。
農業指導もしながら、県ぐるみで「市民皆農」を目指す試みだ。
東京・練馬の例にならって始まったそうだが、
県がバックアップしているという点に注目したい。

去る2月17日には、福岡市内でセミナーが開かれ、
300人以上を集めて大盛況だったそう。
誰もがあたりまえのように土に触れ合い
余暇に野菜づくりを楽しむ新しい暮らし。
各地で広まってほしいもの!


「日本のダーチャを目指します」!
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しぶや区民菜園

2008-04-16 | 都市農業。
しぶや区ニュースに「区民菜園」利用者募集の案内が。
うわっ、応募せねば! が、驚異の倍率まちがいなしだなー。
農地ゼロの当区に菜園ができるのは喜ばしい話だ。
なのに「地価75億のセレブ菜園」などと揶揄されてもいる。
なぜ人はすぐ地価に換算したがるんだろう?
菜園用地を確保するために75億かけたというなら批判もされようが、
もとからあった土地が空き地になって、それを今売ったとしたら
おそらくウン十億になるであろうというだけの話だ。

ロシアには「空いている土地は菜園として提供すべし」という
法律さえある。(あるいは「あった」。)
土地は使わなければ価値はないし、
上物を建てるだけが土地の使いみちではないはずだ。
ほとんどの区民が存在さえ知らず、利用する気にもならないような
ムダな建物に巨額を投じてむりやり予算を消化するくらいなら、
土地のまま提供してくれたほうがよっぽどいい。
土地には「上」だけでなく「下」があるのだということを
都心でも実感できる場があってしかるべきだ。
農業がしたければ田舎へ行けという議論は今どき不毛である。

たとえ抽選に当たらなくても(たぶん当たるまい)、
近所に目障りなビルが建つより畑があったほうがいい、
と思う区民は少なくないと思う。
運良く抽選に当たった人は、はずれた人の分まで
丹精こめて野菜をつくってほしいし、周囲の人には
「セレブ菜園」とやっかむことなく見守ってほしい。
そしてこの場所に菜園をもつことの意味を深く考えたい。
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キューバの都市農業

2006-08-24 | 都市農業。
ソ連、北朝鮮、中国(上海だけですが)、ベトナム……ときたら、
次の社会主義国探訪はキューバでしょ!
と、きわめておたく的ミーハー心からこの国に興味をもち、
9年前にゲバラの故郷アルゼンチンを訪ねたときも、
次こそキューバだぁー!と息をまいたが、未だ機会を得ず。
そうこうするうち、この国はスゴイことになっていた。

アメリカの経済封鎖と崩壊したソ連からの援助喪失によって
ジリ貧に追い詰められたキューバは、独裁者政権ならではの
トップダウンの強みを活かして、決死的対抗策をぶちあげた。
そして今や、国をあげての都市農業と循環型エコ社会の実現に
世界で最も近いところに位置する国になってしまったのである!

コレに関しては吉田太郎氏のサイトや著作に詳しく記され、
ちょうどダーチャの本を書いたころに知ったのだが、
つくづく土・自然・環境に直結する問題は
社会主義的思考がないと解決できないものだと思う。

しかしそれを実践できるのは、コンパクトでフットワークの軽い国。
ソ連・ロシアのように象のごとき大きさでは、政府にできたのは
「土地をタダで与えること」どまり。
ダーチャを今日のような心豊かな農的空間に変えたのは、
むしろ無政府主義と個々人の自助努力の賜物である。
よって、個人の幸福が達成されれば、全体の幸福はどうでもよくって、
じつはダーチャはスローであってもエコではなかったりするのだ。

その点キューバは、食料確保と環境保全を対のものとしてとらえ、
環境にやさしい地産地消国家モデルを、わずか15年で構築。
首都ハバナの空き地という空き地は菜園と化し、失われた森は蘇り、
どんな辺境の学校でもソーラーパネルによる自家発電が可能とか。

もちろん現実はそう甘くはないだろうし、
プロジェクトのトップにいる人と底辺にいる人とでは
温度差もあるだろうけど、目指すところのものはかなり正しい。
それだけにカストロの容態と今後が気にかかる。
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食べられる建物

2006-06-17 | 都市農業。
エディブル・ランドスケープ(食べられる景観)から転じた
「エディブル・ビルディング」なる言葉に遭遇。
食べられる建物、といったってお菓子の家じゃないですよ。
野菜や果物を育てるための工夫を盛り込んだ建物のこと。

その一例としてイギリスのサイトに出てたのが、
ロシア第二の都市サンクトペテルブルクの屋上菜園。
これは多分、アメリカ主導のNGOがバックアップした
プロジェクトのことを指しているんじゃないかと思う。
そのプロジェクトとは……。

ソ連崩壊後のいわゆる物不足の時代、都市住民の野菜不足を補うために、アメリカのとある組織の呼びかけでサンクトペテルブルク・アーバン・ガーデニング・クラブを発足。タダで使用できる市内のアパートの屋上を利用し、希望者を募って野菜を育てる実験的試みをしたところ、市場で買う野菜やダーチャで採れる野菜よりも〝安全な〟野菜の収穫に成功したという。

ううむ。都会の屋上菜園といえば、数年前に日本の某テレビ番組で
ジャニーズJr.もやってましたねー。
いっそ娯楽ネタとして提示されたほうが「ほほう」と思うのに、
イノセントな善意の押し付けって正直苦手。
ダーチャ文化のあるロシアに、余計なお世話って感じである。

現代の「運動」は往々にしてNGOやNPOが率先する形となり、
それはそれで決して悪いことではないのだけれど、
なんか違う。うまくいえないけど、違うと思ってしまうのである。
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アヴァン・ガーデニング

2006-06-09 | 都市農業。
過日、新理論誌『VOL』のアヴァン・ガーデニング特集を読む。

アヴァンガード(前衛)にひっかけたアヴァン・ガーデニングとは、
単に「最先端の今どき園芸」程度の意味で使われることもあるけれど、
もともとはニューヨークのスクワット(不法占拠)運動とも結びつき、
打ち捨てられた場所に地元住民が緑を植える運動を指すんだそう。
(↑かなりはしょってますので詳しくは同誌参照のこと)

ハキム・ベイの農にまつわる論考(これ面白い!)を踏まえて
広く解釈すればこうもいえる。

商品化した農生産物およびそこから派生する食べ物ビジネスや、
土地所有制による地球の私物化などに対するアンチテーゼとして、
都市の空きスペースで自給的有機農を行うこと。

なるほど。ほとんどのモダン菜園家はそこまで肝入りじゃないが
無自覚ながらも近い意識はあるわな。

ところでロシアのダーチャは、市民運動でも都市農でもないけれど、
「土地は万民のもの」という社会主義時代の建前を最大限に利用して
使い道のない国有地を合法的に〝占拠〟したものであって、
その意味ではアヴァン・ガーデンの成功例といえなくもない。
地球や命や食べ物のことを真剣に考えるのなら、
社会主義的思考の部分的取り込みは不可避なのだ。
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都市に菜園を

2006-06-01 | 都市農業。
「日本でダーチャはできない」というのが、本を書く前からの結論で、
それゆえ「今ある暮らしのなかでダーチャ的精神をもとう」的方向に
落とし込んだのだけど、お金と時間と体力のある人なら、
もちろん日本でもダーチャ暮らしはできましょう。
実際やってる方もおられます。

でも残念ながら、私にあるのはあり余る(?でもないか)体力だけだし、
それ以前の問題として、「週末ごとに田舎に通う自分」
というものが、まったく想像できないのである。

むしろ「農的暮らし」を都市に引き寄せることのほうが
自分にとってのリアルだったので、たとえば
ベランダも屋上も壁面も利用できる
菜園マンションがあればいいのに、とか
巨大団地の管理されたツマラナイ緑地帯を畑にして
住民主体で団地産野菜をつくればいいのに、とか
やれ税金対策だのなんだのと批判されがちな都市農家は
畑の一部をコミュニティに開放すればいいのに、とか
漠然と勝手に妄想してきた。

そうか、これがアーバン・アグリカルチャーだったのか。
何もどこか別の場所に〝通う〟必要はないのだ。
むしろ〝ここ〟になければ意味がないのだ。
帰る故郷のある人にとって、都会は使い捨てる場だったりも
するのかもしれないが、「原風景は東京のキャベツ畑」
というマイノリティー(今や!)に言わせれば、
都会から土が消えたのは、たかだかここ何十年かのことで、
それは異常なことなのだから。

つまりこれは「農」の問題ではなく「都市」の問題。
もうちょっと妄想と勉強を続けてみようっと。
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文化としての都市農業

2006-05-16 | 都市農業。
かつて農業が「文化」として世界に呼応した時代があったのだろうか。
農耕文化のことじゃない。
時代を映し出す表現としての文化のことだ。

1980年代、観葉植物(位置づけはインテリア。バブルでしたから)
1990年代、花・ハーブ(いわゆるガーデニング。癒しの時代)
2000年代、野菜(主眼は「食べる!」自給時代の到来)

もちろん、子どもの頃ウサギや小鳥にやる小松菜を庭で育てたり、
下町の一戸建てにいた頃はキュウリを苗からつくったりもしていたが、
おおざっぱにいえば、上記が個人的な植物変遷。
そしてこの流れは、どうやら世界的なものでもあるらしい。

経済的に豊かになりすぎた欧米先進国では、
“安全”や“精神的豊かさ”を求め、あるいはエコ的観点から
シティ・ファーマーを目指す人が急増中。
かたや中南米・アフリカでは、経済的貧しさからの脱却のために
ビルの谷間で地域ぐるみの自給農業に精を出す。

アプローチは真逆であるのに、やってることは同じとは!
都市の隙間に種をまき、自分の食べ物は自分でつくる。
無機的な都市空間に、有機的な循環経済をもたらす。
アーバン・アグリカルチャーは、すでに世界的傾向なのだ。

でもこの訳語は「都市農業」でいいんだろうか?
日本でこの言葉は、東京なら練馬に代表されるような
職業的農家による〝業〟をさすことが多いのだけど、そうじゃない。
アーバン・アグリカルチャーの定義には、
ベランダ菜園や屋上菜園、キッチンガーデンも含まれるようだから、
これはむしろライフスタイルであり、文化なのだ。

そして文化であれば国境を越えて呼応する。
それは中心から裾野に伝播するグローバリズムとは別物で、
共有する時代精神に突き動かされて同時多発的に発生するものだ。

このアーバン・アグリカルチャーは、ひょっとしたら
とても重要で大きな文化の潮流になりえるのかもしれないが、
そうなるためには象徴的な「形」や「スタイル」が必要だろう。
たとえば都市建造物を巻き込んだ農空間デザインとか、
植物の即興性にまかせた菜園アートとか、
そんなものがでてくると面白いのにな、と思う。
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