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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

日本唯一の運炭列車、釧路臨港鉄道に乗ってみる

2010-11-01 23:37:03 | Weblog
 釧路に、いや日本に唯一残る石炭を運ぶ運炭鉄道が釧路臨港鉄道です。

 今日はこれを運営している太平洋石炭販売輸送(通称「洋販)さんにお願いをしてこれに乗せていただくことができました。

 春採(はるとり)駅と知人(しりと)駅を結ぶ鉄道路線である臨港線(りんこうせん)は、太平洋炭鉱の事業を引き継いだ(株)釧路コールマイン(KCM)が掘り出して選別した石炭を運ぶ貨物専用の路線です。


               【線路がどこかわかりますか】


 距離にして約4キロの単線の線路ですが、今でも石炭を選炭場から知人の石炭の積み込み場所まで立派に運んでいます。

 太平洋炭鉱がその歴史上もっとも石炭を算出したのは昭和52年のことで、年間260万トンでした。その頃は三交代制で昼も夜も、土日も休まず港まで石炭を運んだものですが、今では石炭が出た時だけ運ぶようになり、大体一日に六往復くらいなものだそうです。

 実は今の時期はKCMの石炭の産出を休止して、石炭を掘る切羽の位置をセットしなおしている時期なのですが、石炭が出なくても線路の異常確認とさび落としなどのために週に2度ほど走らせなくてはならないのだそうで、その時に合わせて乗せていただいたというわけです。


               【近くで見ると機関車はでかい】


    ※     ※     ※     ※     ※

 実はこの臨港鉄道を愛する鉄道ファンは多く、写真を撮ったりするばかりか、この列車をまちにとっての大切な宝物として大事にしよう、残そう―と呼び掛ける「釧路臨港鉄道の会」という会までできていてDVDを作るなど大いに楽しんでいるのです。 
 
 現在は石炭を運ぶというビジネスがあるので存続しているこの鉄道ですが、国の石炭政策は風前の灯で最後の生き山として後何年続けられるかは心もとない状態が続いています。

 せっかく残された鉄道資産を何か活用するすべはないものか、と考えてはみるものの、突然良いアイディアが浮かぶわけもなく、(まずはどんな鉄道なのか乗せてもらいたいものだ)と担当者を通じてお願いをしていて、今日の登場が実現したというわけです。

    ※     ※     ※     ※     ※

 残念ながら今日は雨でしたが、ヘルメットに軍手という装備で機関車に乗り込むと、出発の汽笛の合図とともに列車は走り出しました。試験走行ですが石炭を運ぶ貨車は引っ張ったままです。  

 わずか10分ほどの乗車時間ですが、石炭を掘る山の中から春採湖が大きく開けてきたり、千代の浦の海に出たり、そこからは道路と海の間の細い線路を単線がゴトゴトと走り続けます。なんだかとっても懐かしくなる風景が続いていてノスタルジーを誘うなあ。


               【がっちり装備で乗り込みます】



               【車上からの風景、出発進行!】



               【千代の浦漁港のあたりで海が見えてくる】



               【もうすぐ荷卸し場、旅の終了】



 石炭の積み下ろし場所が近づいたところで汽車は止まり、ここで臨港鉄道の旅は終わり。引き続いて洋販さんを訪ねて、幹部の方と意見交換ができました。

「この鉄道だったらファンは多いのではありませんか」
「ええ、結構写真を撮る方はいますよ」

「この鉄道を観光資源として残す可能性というのはいかがでしょう」
「それができれば面白いと思いますが、やはり線路や機関車の補修やメンテナンスにお金がかかります。現在は石炭輸送が仕事としてあるのでそれらを行えますが、観光でどれほどの収入が期待できるものでしょうか」

「確かにそうですね」
「それにまともに旅客輸送をしようと思うと、ホームを新たに設置したり安全装備などをJRと同じ基準で守らなくてはならず、相当な投資も必要となります。ですからこの状態で客車を引っ張るというのはやはり現実的ではないように思います」

「なるほど、ではJRさんが開発したDMV(デュアル・モード・ビークル)などのように、タイヤと鉄車輪が付いた新しいタイプの乗り物が臨時で走るというのはいかがでしょうか」
「JRさんが貸してくれるかどうかもありますが、面白いお話ではあると思います。企画として持ち込まれれば決して消極的ではありませんが、我々にビジネスでやれないか、と言われると実際には難しいでしょうけれど」

「もし石炭が算出されなくなるようなことになると鉄路はどうなるのでしょう」
「おそらく危険なことにならないように線路を取り外したりして施設は取り除いて後始末をすることになるでしょう。」
「そうですか…、なんだか寂しいですね」


 かつてはJR根室本線の東釧路駅までつながっていた臨港鉄道。太平洋炭鉱が地域を丸ごと整備できていた時代には、JRからこの臨港鉄道に乗り換えて通勤をする社員もたくさんいたのです。

 産業用の施設を観光用に転用するというのは安全面などでかなり厳しい指導が入るのも事実でしょう。

 しかしその難題を乗り越えて鉄道を存続させて、もはや釧路にしかない唯一の資源として未来に向けて大化けさせることができないものでしょうか。

 たくさんの関係者を集めて知恵を出し合いたいものです。

 釧路臨港鉄道。なんだかもう自分の中で心の故郷の風景になってしまいました。

コメント (3)
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