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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

石炭は日本の歴史を変えた~炭鉱展示館を訪ねる

2010-11-02 23:22:27 | Weblog

               【案外小さな建物です】

 市内にある炭鉱展示館を見てきました。正式には「旧太平洋炭礦炭鉱展示館」というのだそうですが、炭鉱に関する企業展示館です。

 太平洋と「太平洋炭礦」改め「釧路コールマイン」を見下ろす高台にあって、小ぶりな建物ですが、釧路に関する石炭の歴史が一回りすると分かるコンパクトな展示施設です。

 こちらにはかつてご自身もここ太平洋炭鉱で石炭を掘っていたというHさんという方が説明員でいらっしゃいます。

 このTさんは単なる施設の管理人ではなく、国内の様々な炭鉱を実際に訪ねては知識を増やしているなかなかの勉強家。しかもその軽妙な語り口にぐいぐいと引き込まれてゆくほど説明上手な方で、施設内を見て回るのが楽しくなってしまいます。


               【展示の様子】

 
「以前にある人から、旧太平洋炭鉱は石炭の質が悪いから機械化や安全対策が進んだので、結果として最後まで生き山として残った、と言われたのがどうお考えですか?」
「機械化が進んだのは、タンケイシャが関係していると思いますね」 
 
「タンケイシャってなんですか?」
「炭層が平らか斜めかということです。炭傾斜ですね。太平洋炭鉱の炭層は下に入ってみると、ずっと炭層が平らなんです。だからドラムカッターのように左右を行き来しながらどんどん掘れる切羽の機械を入れれば、数人のオペレーターと手伝いが何人かで済むという効率的な採炭ができたんです」

「ははあ」
「これが炭層に傾斜のついた炭鉱となると、機械化ができなくて、発破をかけたり削岩機で掘り進まなくてはなりませんが、それって炭鉱を掘る職人の腕一つでものすごく能率に差が出てくるんです。実はそういったことの差が大きかったように思いますね」

 なるほど、太平洋炭鉱がある種恵まれたところがあったということですか、深いですね。


               【平らな単層なので機械化が進んだのだそう】


    ※     ※     ※     ※     ※

「炭層というと皆さん石炭しかない層を思い浮かべるかもしれませんが、太平洋炭鉱では石炭層と礫層が薄く交互にあらわれてくるものでした。ですから、石炭とそれ以外のズリの比率は50:50くらいで歩留まりは悪かったんです」

「それを選別するのはどうやってやるのでしょう?」
「本当に初期のころは女性が手で分けていました。さすがに今は液体の中で遠心力で比重別に分けるやりかたになりました。これで再良質のものから中質、ズリまで分けることができるんです」 


               【炭層の間に礫層が混じります】


 面白い石炭の豆知識を得ながら、地下につくられた模擬坑道も拝見しました。実際の坑道のかつて風景が良くできていてわかりやすいものです。

 坑内で実際に見たドラムカッターとシールド枠の展示もあって、現物を見ているだけに説明がよくわかりました。Tさんの説明も実際に掘っていただけあってリアルな感じがよく伝わってきます。やはり現場を見た人にはかないませんね。


               【ほぼこれと同じものが今も石炭を掘っています】

    ※     ※     ※     ※     ※

 最後に、Tさんが訪ねてきた山口県の大嶺炭田の写真が目を引きました。大嶺炭田は日本でも最高品質の無煙炭を算出する炭鉱でした。

 日清・日露の帝国時代の海軍の船というのは実はみな石炭を焚いて動かしていたのですが、日清戦争のときは品質の悪い石炭を焚いていたために、煙で戦闘員が苦しんだといいます。

 またなによりも、煤煙のために敵に遠くから発見されてしまうという反省があり、日本海軍では燃やしても煙の出ない良質の無煙炭を探してこれを練炭にして船に積むようになったのだそう。

 当時イギリスにはカーディフ炭という最高級品質の無煙炭があってこれを利用しつつ、結構高価だったため日本国内で探したところ、ここ大嶺の無煙炭が良いというのでここは海軍によってその管理下に置かれたのだそう。

 日清戦争十年後の日露戦争では、ロシア海軍はアフリカの喜望峰をぐるりとめぐって日本近海までたどり着いたのですが、途中で日英同盟によって良質な石炭の補給を妨害することに成功。

 上海で石炭輸送船を切り離したという情報を得た日本軍は、「敵は太平洋の遠回り航路を取ることはできず日本海から旅順を目指す」と判断し、待ち伏せたところ質の悪い石炭もくもくと焚いてやってきたロシア海軍を発見することができました。

 バルチック艦隊との日本海海戦は、東郷平八郎総司令官の指揮のもとで日本軍が勝利を収めましたが、その陰に石炭の品質の問題が絡んでいるとは目からうろこでした。


 たかが石炭と馬鹿にするなかれ、今我々がいるのは高品質の石炭のおかげだったのかもしれませんぞ。 


コメント (2)
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