ここのところ降る雪は、もう春めいたボタン雪のようです。暖かいんだなあ。
【砥石を研ぐ】
私の趣味の一つは包丁を研ぐことです。
家にある包丁はステンレス製でそれほど高価なものではありませんが、それでもやはり道具たるものは、日常の手入れをするとしないのとでは、その使い勝手に雲泥の差がついてしまうものです。
特に包丁は、普通の家庭では大体毎日使うものなので、まめに手入れをしてあげると非常に気持ちが良くストレスのない台所仕事に繋がります。
最近は家で料理をしない家庭も増えているということですが、実に憂うべき事です。
我が家には合成で作られた、目の度合いが#1000と#3000の砥石が裏返しについている砥石があります。この番号は大きければ大きいほど細かな目で、小さければ小さいほど荒いことを表しています。
#3000番ともなるともう仕上げに使う、充分に目の細かい砥石です。
ところがこれまた合成の安物の砥石であるために、使っているうちに表面があちこちで薄く削れて、砥石の表面が凸凹になってしまったのでした。
これでは研いでいて刃が凸凹に引っかかってしまうと、却って刃こぼれを起こしてしまいます。
ここ一、二ヶ月の間、困ったなあ、と思っていたのですが、掛川に砥石を一つ持って行っていたことを思い出して、しまってあった段ボール箱から見つけ出しました。
こちらも合成の#1000番の砥石ですが、表面がきれいな平ら面をしています。この砥石で砥石を研いでやろうというのです。
お互いに水を充分に含ませて、面を合わせてぐりぐりと動かしていると、ぬるぬるの研ぎ汁が出てきて、凸凹だった砥石の表面がきれいになってゆきました。目論見が当たりました。
やっと砥石が復活。改めて我が家の包丁を入念に研いでやりました。
シャーッ、シャーッ…と小気味よい音がして良い感じです。いかにも刃先が鋭くなっている音がします。
頃合いを見て、試みに髪の毛に当ててみるとカミソリのように引っかかってくるようになりました。これが良いのです。
そして早速その包丁をうちの奥さんに使ってもらいました。
今日の夕食はカレーライスでしたが、「良いわ~、タマネギを切っても目が痛くならない!」と絶賛です。カレーライスも普段より美味しいような気がしますよ。
※ ※ ※ ※
包丁を研ぐためにある砥石とはいえ、自らもときどきは研がれなくては用をなさないものなのですね。
普段人を教えるような偉いことを言っていても、その自分自身も磨かれる、研鑽を怠ってはいけないということなのかもしれません。
明後日は我が師、榛村さんが来札されるのでお会いすることになっています。それが今から楽しみなのです。
【砥石を研ぐ】
私の趣味の一つは包丁を研ぐことです。
家にある包丁はステンレス製でそれほど高価なものではありませんが、それでもやはり道具たるものは、日常の手入れをするとしないのとでは、その使い勝手に雲泥の差がついてしまうものです。
特に包丁は、普通の家庭では大体毎日使うものなので、まめに手入れをしてあげると非常に気持ちが良くストレスのない台所仕事に繋がります。
最近は家で料理をしない家庭も増えているということですが、実に憂うべき事です。
我が家には合成で作られた、目の度合いが#1000と#3000の砥石が裏返しについている砥石があります。この番号は大きければ大きいほど細かな目で、小さければ小さいほど荒いことを表しています。
#3000番ともなるともう仕上げに使う、充分に目の細かい砥石です。
ところがこれまた合成の安物の砥石であるために、使っているうちに表面があちこちで薄く削れて、砥石の表面が凸凹になってしまったのでした。
これでは研いでいて刃が凸凹に引っかかってしまうと、却って刃こぼれを起こしてしまいます。
ここ一、二ヶ月の間、困ったなあ、と思っていたのですが、掛川に砥石を一つ持って行っていたことを思い出して、しまってあった段ボール箱から見つけ出しました。
こちらも合成の#1000番の砥石ですが、表面がきれいな平ら面をしています。この砥石で砥石を研いでやろうというのです。
お互いに水を充分に含ませて、面を合わせてぐりぐりと動かしていると、ぬるぬるの研ぎ汁が出てきて、凸凹だった砥石の表面がきれいになってゆきました。目論見が当たりました。
やっと砥石が復活。改めて我が家の包丁を入念に研いでやりました。
シャーッ、シャーッ…と小気味よい音がして良い感じです。いかにも刃先が鋭くなっている音がします。
頃合いを見て、試みに髪の毛に当ててみるとカミソリのように引っかかってくるようになりました。これが良いのです。
そして早速その包丁をうちの奥さんに使ってもらいました。
今日の夕食はカレーライスでしたが、「良いわ~、タマネギを切っても目が痛くならない!」と絶賛です。カレーライスも普段より美味しいような気がしますよ。
※ ※ ※ ※
包丁を研ぐためにある砥石とはいえ、自らもときどきは研がれなくては用をなさないものなのですね。
普段人を教えるような偉いことを言っていても、その自分自身も磨かれる、研鑽を怠ってはいけないということなのかもしれません。
明後日は我が師、榛村さんが来札されるのでお会いすることになっています。それが今から楽しみなのです。