北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

パソコンの不具合と歯を抜いたときの気持ち

2021-12-23 23:54:28 | Weblog

 

 昨年買ったまだ新しいノートパソコンに突然の故障が発生。

 家で飛ばしているWifi電波を受信しなくなってしまい、インターネットができなくなってしまいました。

 仕方がなく、パソコンを買ったショップへ持ち込んで有償サポートで簡易チェックをしてもらいました。

 まだ若いショップの店員さんは、「どうやらネット関係のデバイスドライバに不具合があるようですね。ここにビックリマークがついています」と素早く障害を発見。

「これを削除して再度インストールすると治ると思うんですが…」と手早く作業してくれて、一度は治ったかに思えたのですが、パソコンを再起動させるとやはり同じ症状が出てきます。

「何かのソフトと干渉しているのか、ハードが壊れたか、本格的な診断をするにはお預かりしないといけませんが、そうなると中のデータが全部失われる可能性があります。どうされますか?」

 一度持ち帰って中の必要なデータをバックアップしてから再度持ち込んで診てもらうのが良いのかなあ、と思いつつ、「それってどれくらいの時間がかかりますかね」と訊くと、「大体1カ月から2カ月です。今は年末なのでもう少しかかるかもしれません」
「1カ月から2カ月!そんなに手放してもいられないなあ、うーん…」

 どこに不具合があるのかを一つずつチェックするとしたら確かにそれくらいかかるかもしれません。

 そのうえ、「どうしても不具合が発見できなければ、Windowsを再インストールして初期化するというのが普通です。しかしそうなると今このパソコンの中にあるデータは全部消えてしまいます」という、どうしようもない選択肢です。

 さんざん考えてもなかなか良いアイディアが浮かびません

「ほかに何か手はないでしょうかね」

 すると店員さんは、「今はWifiが使えないという不具合ですが、Wifiの受信だけを無線LANの子機で補うというのはどうでしょう。それならば本体のデバドラは使わずに通信ができます」と強い断言で、その口調に頼もしさを感じます。

「それであればとりあえずそれで凌いでおくことにします」

 店員さんは店内から「これがよろしいと思います」という商品を探してくれました。


 どうして事件はこんな年末の忙しい時に起こるのか、と心が折れそうになりますが、これが現代社会についてゆくということなのだ、と心を奮い立たせて無線の子機を買ってきました。

 幸いにも自宅へ帰ってからこれを取り付けてみると、無事に機能して再びインターネット通信ができるようになりました。

 
 ことは確かにできなくなったインターネットが新しい子機をつけることでできるようになった、ということなのですが、なんとなく心には本来のマシンの性能が制限されたような、残念な喪失感があります。

 以前歯の治療で歯を抜いたときにやはり感じた喪失感と似たようなものです。

(また一つ体の機能が失われてしまったなあ)という寂しさでしょうか。

 しかし、抜いた歯をインプラントで補い、焦点の合わなくなった目はメガネで機能を補うなど、衰えて失われてゆく機能をなんとか補ってくらしているわけです。

 パソコンも結局は、年月の移ろいとともに衰えてゆくもので、それをなんとか補うことで最善の機能を果たすことができるようにすれば良いだけのことなのかも。

 パソコンに自分の体の衰えを重ね合わせてみて少しの寂しさを感じるとともに、「いや、ここで意気消沈してはいけない」と心を奮い立たせて、次善の策を練り続けることに決めました。

 事件はなぜ忙しい年末に起こるのか。

 世の中は少しだけ皮肉にできているのです。

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