北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

北海道の山菜を取る人には絶対に読んでほしいアイヌ説話

2017-04-28 21:58:15 | Weblog

 アイヌ語研究家である知里真志保氏の「分類アイヌ語辞典~植物編」は、現代の植物和名を書いて、それをアイヌ語でどう言ったか、という辞典です。

 地域ごとに差があるアイヌ語に対しては、どこで採取された言葉かということ要素なども加え、さらに各植物に関する伝説や物語なども収録されており、優れた研究業績の集大成になっています。

 さて、先日うろ覚えで、「オオウバユリと行者ニンニクの神が表れて、山菜をとらないことを嘆く」という話を、上記の「分類アイヌ語辞典だったと思うのだが」と書きました。もう30年以上も前に読んだ本の記憶なので、本当だったかなと思い、先日札幌市中央図書館まで行って、この本を借りてその箇所を再読してきました。

 結果的にはほぼ記憶のとおりだったのですが、良い話であることと、私のうろ覚えの書き方では誤解を招きかねないことから、備忘録の意味も含めて、下記に書き写しておくことにします。
北海道に住んでいて山菜取りに興味のある方には特に読んでおいていただきたい物語だと思います。

 ちなみに、原文は旧漢字・旧仮名遣いであり、また独特の発音記号で書かれていたりする個所があるのですが、読みやすくするために旧漢字・旧仮名遣いは現代に改め、また発音表記の部分は割愛して書くことにします。興味のある方は原典にあたっていただきたいと思います。
 それでは原文をどうぞ。

【オオウバユリに関連する説明の中の話で「参考2」として】

【オオウバユリ】

 オオウバユリとギョウジャニンニクは「ハル・イッケウ」(”食料の・背骨”、”食料の中心”)だと言われる。太古、人間がまだ野草を食べることを知らなかった時代、これら野草が人間の国土の山野に、年々歳々採る人もなしに空しく咲いては散って、それらの霊魂が祭られることもなく泣きながら神の国へ引き上げていくのを嘆いて、オオウバユリとギョウジャニンニクの頭領が人間の女に化けてウラシペッの酋長を訪ねてくる話がある。

「ウラシペッ」とは、北見のオホーツク沿岸に昔あったコタンで、そこの酋長たる「ウラシペトゥンクル」は、胆振日高の説話にまでヒーローとして出てくるほどに有名であった。次に掲げるものは、胆振国幌別の説話で「ウェペケレ」(=伝説物語)というジャンルに属するものである。

 俺は立派な酋長で立派な妻を持ち仲良く暮らしていた。するとある日次のような噂が聞こえてきた。

――東の方から、小さな女が小娘を連れて、村ごとに酋長の家を訪ねて泊まり込み、お椀を借りては物陰に行って脱糞し、酋長に食べてちょうだいと言って差し出す。

 酋長が汚がって食べないと、ひどく怒ってさんざんに罵倒しながらまた次の村へ来て、同じことを要求しつつ、今はもうこの村の近くへやって来ている ――というのだった。

 もしそれが事実なら、おれの村だけ避けて行くわけはないと思ったので、俺は心の中で、火の媼神や家の神、憑神たちに聞かせて、神様というものは何事もご存じなのだから、噂の女どもがもしも悪性の者ならば、この村へ向けさせないでくれるように、とひたすら念じていた。妻も俺の身を案じて、ひどくしょげきっていた。

 するとある日、戸外で犬の吠える声がした。妻が戸口へ出てからすぐ戻ってきて、例の女どもがいよいよやって来たと告げた。それでは座席など整えてお入れ申せ、と俺が言うと、妻は忌々しげにざっと客席の塵を払ってから、女どもを案内してきた。見ればなるほど小さな女ではあったが、悪性の者とはさらに見受けられず、続いて入ってきた小娘と共に神貌を具えているように見えた。左座に並んで座った。俺が会釈すると、二人ともひどく喜んで、炉の火に当たりながら四方山話を始めた。聞いているとそれが皆神々の噂話ばかりであった。

 俺も良い話ばかりを選んで話していると、小女が話の隙をとらえて、お椀を貸して下され、と言う。貸してやると聞きしにたがわず物陰へ向いて何かごとごとしていたが、やがて大椀にいっぱい何かしらどろどろした変なものを入れて、俺の前へ差し出した。

 人間の汚物なら悪臭を発しそうなのに、悪臭どころか、旨そうな匂いがぷんぷん鼻をついた。押しいただいて食べてみると何とも言われぬ良い味。一人で食べるのも惜しいので、食べさしを妻に伸べると、妻も押しいただいて受け、大変旨そうに食べたのであった。それを見た女たちは非常に喜んで、にこにこしながら歓談を交え、やがて妻が敷いた花ござの寝床に入るのだった。

 俺たちも良い気持ちで寝につくと、いつかぐっすり寝入ってしまった。すると、枕がみに先ほどの女たちが立っていて、小女の言う事はこうだった。

「これウラシペッの酋長どの、良く聞かれよ。私どもは人間でもなく、また悪神でもない。私はオオウバユリの頭領、これなるはギョウジャニンニクの頭領である。

 太古国造りの神が国土を造りたまいしとき、人間の国土の表の、野にも山にも一面に、人間に食べさせようとて、木の実・草の葉・草の根などを用意されておかれたのに、人間どもはその大部分が食物であることを知らない。中でもギョウジャニンニクとオオウバユリは食料の中心だったのに、採る人もなしに年々歳々人間の国土の山野に花を開いては空しく散っていく。そしてその霊魂が泣きながら神の国へ帰るのだ。

【ギョウジャニンニク】

 それが悲しいので、何とかしてオオウバユリとギョウジャニンニクも食べられるものだということを人間に教えて、自らも神に祭られたいと思い、人間の女に化けてこれなるギョウジャニンニクの頭領と一緒に東の方から人間の国土をやって来たのだが、人間どもはあまりに愚かで、ただ汚いとばかりかんがえて私たちの食糧を試みに食べてみようともしない。それで憤慨しながらあなたのところへ来たのだが、あなたも私たちの食糧を食べない場合は、もはやこれまでと諦めて、一族を引き連れて神の国へ引き上げようと決心していたのだ。

 しかるにさすがは代々音に響いていたウラシペッの酋長の末裔だけあって、私たちの食糧を汚がりもせずに食べてくれた。心からありがたく思う。あなたのおかげでこれからは神となれるのだ。

 オオウバユリの食糧やギョウジャニンニクの食糧の採取法・調理法をあなたは学んだのだから、今よりは遠い村近い村にもそれを伝えるが良い。ギョウジャニンニクの食糧を守護神として祭るならば、いかなる疾病にもかかることなく、子々孫々繁栄するであろう。

 あなたはとても賢く、心も善いから、今より一層立派な首領になるであろう」と言ったかと思えば夢さめたのであった。妻も同じ夢を見たのであった。さきほどの女たちの寝床を見ればもぬけのからだった。

 そこで幾度も手をもんで礼拝し、妻と共に里川に沿って行ってみると、言うがごとくオオウバユリと称するもの、ギョウジャニンニクと称するものが、地面を覆って見渡す限り繁茂していた。そこで妻と一緒にコダシいっぱいオオウバユリの根やギョウジャニンニクを採ってきて、オオウバユリの根は臼でついてデンプンを取り、残ったかすは干して団子にした。そして村の人や遠い村近い村の人々にも教えたので、今では同族も異族もこれらの食糧を知って、大いに俺を徳としたのであった。

 神様も俺たちを見守って下さると見えて、まるで何か上から降って来るように、限りなき長者となって、多くの子供を持ち孫を持ち、「どんな飢饉があっても疫病が流行っても、オオウバユリやギョウジャニンニクがあるおかげで村が立っていくので、子々孫々に至るまで、ゆめゆめオオウバユリとギョウジャニンニクとを忘れず、食料として暮らしていきなさい」と教訓しつつ、今は極楽往生を遂げるのだ。――とウラシペッの酋長が物語った。


 いかがでしょうか。こういうアイヌの人たちの山野草に対する神観が非常に面白いと思います。また、このような野山からの贈り物に対して敬意をもって山菜取りに入れば、根こそぎ採って消滅させてしまったり、食べられる以上に採りすぎたりするというようなこともなくなるのではないでしょうか。

 ちなみに私はこの文書を改めて読んで、「コダシ」というのが、山菜取りの時に使う肩掛け式の布袋のことだと知りました。知らない事って多いですね。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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