昨年釧路市では外部委員会から「釧路市の都市経営の在り方に関する提言書」というレポートを策定していただきました。(http://bit.ly/mdVWCV)。
これを受けて、市では釧路市都市経営戦略プランを策定しつつあるのですが、この中には厳しい財政を効率的に運用するための「公有資産マネジメント」について述べられているほかに、「仕事を分かりやすくする」、「組織を活かす」などといったことも目標とされています。
私自身、すでに釧路へ来てから11か月が経過しようとしていますが、まだまだ会っていない人も多く、なかでも市役所の中でこれからの釧路市を背負って立つであろう若手職員との対話が少ないことを危惧していました。
そこで何人かの課長クラスに、「若手の皆さんとともに勉強会などできないだろうか」と相談を持ちかけていたのですが、「それなら若手を何人か集めますから、意見交換をしてみましょう」というセッティングをしてくれました。
私の問題意識は、
①仕事で縁のできた人なら知り合えるが、縦割りの仕事が多くなると、横同士の知り合いネットワークも連携が不足しがち。
②一人一人が「自分は何だ」、「お互いは何だ」と切磋琢磨しながら自己研鑽を普段の中で気軽に行える機会がある方が良い。
③一人一人の情報発信能力やプレゼンテーション能力を高めるような機会があるべき。(市役所のパソコンにはパワーポイントというプレゼンソフトが限られた人にしか入れられていない)
私としては、細かなスキルアップを図るよりも、日々を前向きに明るく創造的に過ごすことができるような「人間力」とは何か、を考えるきっかけができるとよい、くらいに思っていて、若手の皆さんとの間で意見交換ができました。
なんでも上司から「おい、やるぞ!」と引っ張るやり方もありますが、若手が自ら何事かを考えて企画するのも勉強だと思い、まずはちょっと考えてみてもらうことにしました。
どういう考えが出てくるか、楽しみです。
※ ※ ※ ※ ※
昨日に続いて二宮尊徳先生は、よく「芋こじ」ということを奨励しました。芋こじとは、サトイモなどを桶の中で辛抱強く回していると芋同士がこすられて皮がむけてゆくことから、誰かがやるのではなく、互いに切磋琢磨し合って磨き合う精神を言ったものです。
学ぶということはひとえに自分の内発的なものであるべきです。自らの心に火がつくことが肝心なのです。
※ ※ ※ ※ ※
門下生の心に火をつけたといえばなんと言っても、幕末の志士としての気概を植え付けた松下村塾の吉田松陰でしょう。
東京の世田谷には区役所の近くに松陰神社があって吉田松陰が祀られていますし、赤坂の乃木神社にも松陰ゆかりの正松神社があります。あやかりたい人がさぞ多かったのでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/d7/4fd7bb8dd05331935475246d78f0023e.jpg)
【吉田松陰を祀る松陰神社(世田谷区)】
以前吉田松陰の遺書である「留魂録」について読んだ時の記事を思い出しました。読んだ本はレビューを書いておくと後で思い出すのに便利です。
【吉田松陰「留魂録」を読む】(開拓記)20070627
http://bit.ly/jyro0T
【世田谷松陰神社へ行く】(開拓記)20070623
http://bit.ly/lHvY1P
(それと参考)松下村塾門下生について
(…前略)
松陰が塾生達の指導に当たったのは僅か2年余りにしかすぎなかったが、松陰の指導・薫陶を受けた松下村塾門下生達は尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる者など幕末・明治において大きな活躍を果たす。
久坂玄瑞や高杉晋作、吉田稔麿など倒幕運動の中で重要な役割を果たしながらも、それ故に明治維新を前にして道半ばで斃れた者も多いが、生き残った者は、伊藤博文、山県有朋の内閣総理大臣を筆頭に、多数の国務大臣、大学の創業者など近代日本に繋がる大きな役割を果たした。
塾生名簿は現存しないが、著名な門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳、渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎などがいる。 (…以下略)
引用:「吉田松陰.com」より
これを受けて、市では釧路市都市経営戦略プランを策定しつつあるのですが、この中には厳しい財政を効率的に運用するための「公有資産マネジメント」について述べられているほかに、「仕事を分かりやすくする」、「組織を活かす」などといったことも目標とされています。
私自身、すでに釧路へ来てから11か月が経過しようとしていますが、まだまだ会っていない人も多く、なかでも市役所の中でこれからの釧路市を背負って立つであろう若手職員との対話が少ないことを危惧していました。
そこで何人かの課長クラスに、「若手の皆さんとともに勉強会などできないだろうか」と相談を持ちかけていたのですが、「それなら若手を何人か集めますから、意見交換をしてみましょう」というセッティングをしてくれました。
私の問題意識は、
①仕事で縁のできた人なら知り合えるが、縦割りの仕事が多くなると、横同士の知り合いネットワークも連携が不足しがち。
②一人一人が「自分は何だ」、「お互いは何だ」と切磋琢磨しながら自己研鑽を普段の中で気軽に行える機会がある方が良い。
③一人一人の情報発信能力やプレゼンテーション能力を高めるような機会があるべき。(市役所のパソコンにはパワーポイントというプレゼンソフトが限られた人にしか入れられていない)
私としては、細かなスキルアップを図るよりも、日々を前向きに明るく創造的に過ごすことができるような「人間力」とは何か、を考えるきっかけができるとよい、くらいに思っていて、若手の皆さんとの間で意見交換ができました。
なんでも上司から「おい、やるぞ!」と引っ張るやり方もありますが、若手が自ら何事かを考えて企画するのも勉強だと思い、まずはちょっと考えてみてもらうことにしました。
どういう考えが出てくるか、楽しみです。
※ ※ ※ ※ ※
昨日に続いて二宮尊徳先生は、よく「芋こじ」ということを奨励しました。芋こじとは、サトイモなどを桶の中で辛抱強く回していると芋同士がこすられて皮がむけてゆくことから、誰かがやるのではなく、互いに切磋琢磨し合って磨き合う精神を言ったものです。
学ぶということはひとえに自分の内発的なものであるべきです。自らの心に火がつくことが肝心なのです。
※ ※ ※ ※ ※
門下生の心に火をつけたといえばなんと言っても、幕末の志士としての気概を植え付けた松下村塾の吉田松陰でしょう。
東京の世田谷には区役所の近くに松陰神社があって吉田松陰が祀られていますし、赤坂の乃木神社にも松陰ゆかりの正松神社があります。あやかりたい人がさぞ多かったのでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/d7/4fd7bb8dd05331935475246d78f0023e.jpg)
【吉田松陰を祀る松陰神社(世田谷区)】
以前吉田松陰の遺書である「留魂録」について読んだ時の記事を思い出しました。読んだ本はレビューを書いておくと後で思い出すのに便利です。
【吉田松陰「留魂録」を読む】(開拓記)20070627
http://bit.ly/jyro0T
【世田谷松陰神社へ行く】(開拓記)20070623
http://bit.ly/lHvY1P
(それと参考)松下村塾門下生について
(…前略)
松陰が塾生達の指導に当たったのは僅か2年余りにしかすぎなかったが、松陰の指導・薫陶を受けた松下村塾門下生達は尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる者など幕末・明治において大きな活躍を果たす。
久坂玄瑞や高杉晋作、吉田稔麿など倒幕運動の中で重要な役割を果たしながらも、それ故に明治維新を前にして道半ばで斃れた者も多いが、生き残った者は、伊藤博文、山県有朋の内閣総理大臣を筆頭に、多数の国務大臣、大学の創業者など近代日本に繋がる大きな役割を果たした。
塾生名簿は現存しないが、著名な門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳、渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎などがいる。 (…以下略)
引用:「吉田松陰.com」より
切磋琢磨も自己啓発も切っ掛けが大切ですから
素晴らしい資質を引き出してください!