北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

中越地震からの復興~山の暮らし再生機構の発足

2007-07-02 23:20:46 | Weblog
 今日の午後は、中越地震で大変な被害を被った長岡市が中心となって作られた、財団法人「山の暮らし再生機構」の設立記念シンポジウムをみてきました。

 直下型地震はいつどこで起きてもおかしくありませんが、被害を被った地方都市が、住民とともになんとか復興を果たしてきたこの3年間。

 これからは山古志がもっている地域の財産をさらに外部へ発信しようと作られたのが、この「山の暮らし再生機構」です。

 文京区白山の東洋大学で開催されたシンポジウムには約600人の聴衆が集まりました。

 基調講演はノンフィクション作家の柳田邦男さん。「山里に夢と展望を」と題して公園をしていただきました。

 柳田邦男さんはもう長く水俣病に見舞われた水俣市を取材しているのだそうです。そこである人の言葉に感動したと言います。それは、水俣病にかかって神経が冒されたSさんの言葉で、Sさんは病気にかかったときに周りから疎ましく思われていじめられたり石を投げられたりしたそうです。
 そしてそれを嘆いたときに父親から「仕方なかんね。だが人をいじめて死ぬのがよか。自分が変わらなければ。他人は変わらん」と言われたのだそうです。
 柳田さんはまずその言葉に感動しました。

 そして同じくその言葉を聞いた地元市役所のY課長が、「まちづくりも同じだ。周りが変わらないなら自分たちが変わるしかないじゃないか」と考えて、元気村づくり条例をつくり、村まるごと生活博物館を始めたのだそうです。

 博物館といっても何も新しいものはなく、ただ村の生活そのものが博物館だという思いで、自分たちの生活をみてもらおうというものでした。

「どんな村やどんな山間地にも生活してきたからには技術や歴史があるはずで、それを再確認するのだ」

 ひとたびそういう思いで村をもう一度みてみると、道ばたの雑草は薬草だし、古びた土蔵は文化財の価値があったのだと言います。

 水俣市の山奥に頭石(かぐめいし)という平家の落人伝説のある集落があるそうです。その集落も村博覧会を行ったところ外から多くの視察者が訪れて来るようになったのだそう。

 村が元気になるというのは、人の元気、自然が生き生きとする元気、そして経済が元気という三つのバランスが大事なのだ、といいます。

 頭石集落には高校の修学旅行が来るようになったそうです。そこに住み続けるには若い人がそこに価値を見いださなくてはなりません。年寄りががんばっても、それだけでは一代で終わってしまうのです。
 そんな若者を取り込む試みをしてほしいと思います。


 柳田邦男さんの講演はそんなことを伝えてくれました。まさに生涯学習の種と同じです。

 自分たちの周りをもう一度新しい目でみてそこから宝を探し出す、ほかとは違う差異を見つけ出す。それが資源になるということです。

 やるべきことはわかっている。あとはやるだけ。

 山の暮らし再生機構は十年限りの財団です。この十年で成果を出すことが求められています。機会があったら長岡市を訪ねてみてくださいね。
 
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