親しい友人と久しぶりに会って、最近の近況などを語り合いました。
建築系の仕事をしている友人は、「最近は建築の仕事で就職した子たちが、その先の資格を取りたがらないんです」と嘆きます。
「えー? 二級建築士とか一級建築士なんかは必要になってくるのじゃないんですか」
「もちろん、資格はあったほうが良いのですが、『苦労して資格を取っても給料が上がるわけではないし、責任の重い仕事をさせられる』という理由で、取ろうとしない子が増えているんです」
「資格がないと特定の業務にはつけませんよね」
「特に市役所などで特定行政庁になっているようなところは、建築士の資格を持った職員をその役職につけないといけない、ということがあるのですが、資格を持っている職員が少なくなると人事配置に苦労してきますよね」
ちょっとショッキングな話でした。
この世に生まれて学生を経て社会人になったなら、少しでも勉強をして周りや社会の役に立つような立場になり、より多くの貢献をしたいと思ってくれるような人材になってほしいものだ、と思うのですが、実際には事は簡単ではないようです。
「うちは建築系なので、大学で建築を学んだ子たちを採用して仕事をしてもらいますが、3年くらいすると、『今の仕事よりももっとやりたいことがあるので辞めます』と言い出して本当に辞めていく子がいるんです。でも僕が見る限り、彼らは新しい職場へ行っても待遇は今よりも下がると思うんです。なぜ今をもう少し耐えて、自分の壁を越えてゆければ良いのに、と思います」
「自分の壁を超えられるような指導などはどうしていますか」
「現場を見せて、現場に参加してもらうことが有効のように思います。建築の仕事って、図面を書いてそれを施工舞台に渡せば終わりのようなところがありますね。でもそういう図面を書いている子たちに、現場に行かせて実際にボルトを締めさせたりするんです」
「ほほう」
「そうすると、『ボルトってこんな重さなんだ』とか、『この隙間だったら締め付けのドリルが入らないんだな』とか、いろんなことに気付いてくれます。そういう気づきがあれば、頭にリアルな現場が浮かんでくるということもあるでしょう。彼らは現場の作業は思った以上に喜々としてやっているので、これは続けたいと思います」
「なるほど、そうやって『気づき』のある子は多いですか」
「それなりにいます。最近は女子社員の方が気づきが早いと感じます。しかし男子社員の方には、ずっと気付きのない子がいるようで気になります」
叱るだけではだめ。褒めるだけでもだめ。背中を見せるだけでもだめ。
やらせてみて、手を動かし頭を働かせるという肉体の体験を伴ってこそ、初めて頭の中の考えがリアルになるということがあるのだと思います。
それにしても、次の世代を育てるのに『昭和な精神論』はだめだし、『平成的な優しさ』でもだめとなると、令和の時代の人材育成キーフレーズはどんなものになるのでしょうか。
王道を行くような人格の陶冶などということがあるのでしょうか。
アーサー・W・ワードという教育家の言葉にこういうものがあります。
凡庸な教師は良くしゃべる
良い教師は説明する
優れた教師はやってみせる
偉大な教師は、生徒の心に火をつける
人の心に火をつけるというのは実に難しいですね。でも年寄りの責任でもあるのだと思います。
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