北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

同質という幻想

2006-09-29 23:43:06 | Weblog
 外は涼しくても、室内が変に暑い今日この頃。風が室内を抜けないんですな。
 
【同質という幻想】
 ある人が言っていたのですが、「そもそも教育というのは、何かの考え方や知識を与えて感化するということを目的にしているはずですが、そのことと思想教育や内心の自由の侵害がごちゃごちゃにされているのではないでしょうか」ということになるほどと感じ入りました。

「世界の常識として、大人でも子供でも『既に持っている思想』を強制的に変えさせることは人権侵害になりうるでしょう。しかし発達段階にあってまだ思想が固まっていない子供たちには『適切な指導を行うことは構わない』ということが言われているようです。それが世界の大人の共通認識だと言えると思うのです」
「しかし日本では愛国心教育などが問題になっていますよ」

「そこなんです。そこがおかしいのは『愛国心を強制すること』は論争の対象になるのに『父母や祖先を大事にしましょう』ということは論争にならないでしょう?」
「そういえばそうですね」

「ですから、そこで本来問題なのは適切な指導=強制をするかどうかではなくて、その中身に対して大人達のコンセンサスが取れているのかどうか、ということなんですよ」
「なるほど、教育には一定の強制がつきものというところまでは共通認識として、その中身についての議論と一定の方向性を定めることが必要なんですね」

「そうなんです。そう考えた上で、なお日本という国は、『同質という幻想』が強いことが問題なんです」
「同質の幻想…とは?」

「それは『皆が自分と同じ考えをもっているはず』とか『自分と同じ考えを持つべきだ』と漠然と思っている現象です」
「確かに私にもそういうところがありますねえ」

「極端な話、『日本人はお米が大好き』と思いがちですが、大嫌いな日本人だっているはずです。『落とし物は警察に届けるべきだ』と多くの人が思っていると思いますが、外国ではごく普通の『落ちているものは拾った自分のもの』と思う日本人だっているはずです。でもそういう考えの人に『おまえは間違っている!』と言ってしまうのではありませんか?」
「ええ、あると思いますね」

「でしょう?私たちは日本民族ということでなんとなく同じアイデンティティを持っているような気がしてはいませんか?国の中の民族性や考え方、価値観がバラバラな国なんか世界にはたくさんあるんですよ」
「本当ですね。アメリカだってそのようです」

「そんなところでは、民族も多様ですし、当然見た目、言語、宗教、風習などが異なる人たちが同じ国の中でなんとか折り合いをつけながら生活しているんです。そんなところで、『あなたも私と同じ考えをお持ちでしょうね』などということは全くの幻想に過ぎないと言うことは容易に想像がつくでしょう」
「確かに。しかしそれではどうやって地域が一体となったり、国として力を結集すると言うことが出来るのでしょうか」

「問題はそこです。私はモラルとルールを区別すべきだと思うんです」
「モラルとルール…ですか」

「そう、モラルは個人の内面の問題で、それは他人から強制はされないんです。しかしそういう多様な人が人と接して生きて行く上で最低限必要なことは【決められたルールは守る】ということなんです」
「なるほど」

「日本人はなぜか、モラルを同質に保とうとはするのですが、逆にルールは少しくらい守らなくてもなんとかなる、と思いがちなのではありませんか」
「うーん…」

「自分の思想信条に合わないルールは守らなくても良いと思ってはいませんか?どこかに絶対的な価値があって、それに合致していれば多少はルールを破ることも構わないと思ってはいませんか?」
「…」

「本当にそこにより高い価値があって、ルールが違っているのならばルールを変えなくては駄目なんですよ。教育の面でも、子供達のモラルや個性を大事にするということがあってもよいけれど、万引きや援助交際は個性ではありません。それは社会のルール違反なんです。殺人事件が起きたときに、その対応として良く学校が『これからは命を大切にする心を育てたい』とよく言いますが、そうでしょうか?大事なことは『社会で生きて行く上では行動の上でルールを守れ!』というメッセージを伝え、それを徹底することなんです」
「そう、そうなんですね」

「モラルを語るのであれば、ルールを守ろうとする心を育てるということが大事なのではありませんか。それは各家庭内での門限なども同じなんです。家庭内のルールを守るということをこそ、家庭教育では大事にして欲しいものです」

 久しぶりに教育談義で熱く語る方に会いましたが、なるほどと考えさせられることが多かったのです。

 どうでしょう?私たちは仲間が同じマインドを持つことに安心感と共感をもちますが、その反動として異なるマインドの人を排除したりしてはいないでしょうか?

 私も陥りがちな日本人の思考回路にがつんと一撃を食らったような気がしました。

 皆さんはどう思いますか?
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