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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

函館の棒二森屋問題 ~ 函館はどこにでもあるまちではない

2019-01-27 23:55:55 | Weblog

 

 昨夜は函館に泊まって、今日も昨日に続いて朝から都市計画学会の「まちづくりサロン」です。

 今日の会場は、駅前のメイン通りの片隅にある「函館あうん堂ホール」。

 ここは、函館では伝説のライブハウスで、若きGLAYが活動拠点にしていたことで知られています。

 今日は2階のホールでの討論会でしたが、3階の楽屋にはいろいろなアーティストたちのサインがあるそうですよ。


    ◆


 さて、昨日は函館全体でのまちづくりに関する勉強会でしたが、今日は一転して、この1月31日をもって営業を終える函館の老舗デパート「棒二森屋」さんがテーマになりました。

 今日、全国の地方都市でデパート、いわゆる百貨店と言われたお店が閉店しているそうです。

 まちの中心部に商業床を設けて、そこをテナントに貸して店賃を取ることがビジネスになった時代が終わろうとしています。

 モータリゼーションの発達ともに土地代が安く大型の駐車場を設けられる郊外のショッピングセンターが栄えてきたことの裏返しです。

 「棒二森屋」は、150年続いた函館一番の老舗デパートで、昭和12年に函館駅のすぐ前に建てられていますが、建物は最初の建築から6回に亘って増築が行われ、今の姿になっているのだそう。

 建築を設計したのは明石信道(あかし・しんどう)さんという方で、日本の建築に影響を与えた、フランク・ロイド・ライトを研究した方。

 その明石さんは、すでに亡くなられていますが、棒二森屋の6回にわたる増改築全てに携わったそう。

 で、実は、今の棒二森屋さんの外観は、後半の回収の時に古い建物の外側に新建材を張ったもので、この建材を剥がすと、最初に建築した当時のアール・デコ調と呼ばれる様式で建てられた往時の姿が蘇りそうだというのです。

 1月いっぱいで閉店する棒二森屋の建物は、資本を出しているイオンによってマンションと商業床で構成される、一見日本中どこの町でも見られそうな、新しい再開発ビルにとって変わられる構想があるそうです。 

 それに対して、地元商業者からは、商業スペースと居住空間を分離するような代替案が出されていますが、いずれにしても現在の建物は壊されることが前提。

 ところが今日はそれらに対する「第3の提案」として、同じように居住スペースと商業床が必要だとしても、建設当初の棒二森屋の建物は函館の財産であり、その歴史的価値を再認識して残すことを前提にしたうえで、プランニングすべきではないか、という問いかけに対する勉強会ということになったのです。

 棒二森屋の初期建築の建物を残したとしても、そこはもう商業床だけではなく、まちづくりのための行政施設や今後求められるであろうニーズを展開すればよい。

 また経営コンサルタントの河村さんからは、「ランニングコストもいろいろな工夫で乗り越えられるので恐れる必要はない」というプレゼンもあって、第3の提案が、単なるおねだり的な願望ではないことも良く分かりました。

 再開発事業の事業主体は最終的に所有者の意向によるところが大きいわけですが、建物の価値や函館の価値として行政はどう考えるのか、ということや、函館市の将来にとって、あるべき姿はどのようなものであるべきか、という一般市民の考えや熱意がどのように発揮されてくるかによっては、地域のデザインは大きく変わることも十分考えられます。

 収支が合って利益を最大にすることだけがまちづくりではありません。

 そこに、歴史の長い年月の批判に耐えられるような意義やデザインを組み込んでおくことの方が、まち全体としての付加価値を上げられるということもあるでしょう。

 今後の議論に注目していたいところです。


    ◆


 棒二森屋の建築の説明の中では、プレゼンをしてくださった石王さんという方が、「この建材を剥がすと、その下には金色のモールが隠されているのだそうです。ぜひその姿を市民にも見てもらいたい」という熱い願いを語られていました。

 私も観てみたいですし、それを見て函館市民の皆さんはどう思うのでしょうか。

 函館は、どこにでもある、通り一遍のまちであるべきではありません。

 

 

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