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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

認知症800万人時代の迎え方~自助はどこまで可能なのか

2014-05-25 21:47:53 | Weblog

 今朝のフジテレビ系『報道2001』という番組で、認知症のお年寄り問題がテーマになっていました。

 認知症のお年寄りが徘徊を始め、帰る場所が分からなくなってしまい同じところをぐるぐる回り続けたり、同じ相談所に何度も訪ねてくるということが繰り返されるのだと。

 もうこうなると家族という繋がりで必然的に世話ができる範囲を完全に超えていると思わせます。
 
 先日はまた、認知症の徘徊で鉄道事故を起こした事故の損害に関する裁判で、名古屋高裁が男性の妻に対して賠償命令を出すという判決が出されました。

【賠償命令が出た裁判】 http://huff.to/1ou4L0o

「これでは、在宅介護をすることがリスクになり皆施設に預けようとするのではないか」というのが識者のコメント。

 これに対して政府側の出席者からは国の財政の限界から、施設を増やすのは難しいという説明があり、福祉の世界を給付する国の側から見るか、受給する国民の側から見るかで意見はこうも違うものかと思いました。

 出す方はもう出せないと思っているし、もらう方はとにかくもっともらわなくては世話ができない、というジレンマ。

 先の徘徊による事故の補償責任の問題だって、個人が保証しないとなれば国、またはJRが負担することになり、それは結局国民の税金かJRの利用料金として徴収されるわけです。

 つまり法律ができたとしても、新たに発生する被害を誰がどうやって負担するかという負担と給付のバランスの問題でしかありません。

 社会にどれだけぶら下がれるか、社会をどれだけ支えられるか、そのどちらに自分は身を置くことになるのかを真剣に考えたいものです。


     ◆ 

 
 ところで先の認知症の徘徊老人の問題。

 先日ある知人と会話をしていて、その方の奥さんのお父さんがやはり認知症になり、奥さんが長く介護をすることになったのだそう。

 先日、認知症の方が6年間にわたって保護されていたのに本人の名前を警察が登録ミスしていたために本人と分からなかったということがありました。

「うちの妻に言わせると、あんなんじゃダメだ、ということなんだって」
「ではどうすれば良かったのですか?」

「うちの妻は、本人の住所と連絡先、そして妻の携帯電話番号を書いた布きれをお父さんの来ていた服からシャツ、下着の一枚一枚に全部縫い付けていたよ。そうすれば大体はいなくなっても携帯電話に連絡が来て、迎えに行けたんだと」
「そこまでしないと徘徊の実害を防ぐことは難しいんですね。なるほど、勉強になりました」

 
 認知症のお年寄りの問題は大変ですが、まずは自分だけはそうなるまいという自助努力をした方が良さそうです。

 身の回りのことや料理、洗濯、掃除など細々したことに頭を巡らせて体を動かすことは認知症の予防に良いそうです。

 男性もいつまでも「わしゃできん」とふんぞり返っていればよい時代ではありません。明日からでもできることを一つずつ増やしていきましょう。

 もはやそれは国民の義務のひとつかもしれません。 


【報道2001 認知症800万人時代 家族の介護に頼れるか】
 http://bit.ly/1mas8d4

 

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