先日知人と話をしていたら、その方の“理解できない職場の同僚”の話になりました。
「いえ、何人かいるのですが、一人は大事な伝言を携帯メールでしか伝えられない、という人。もう一人は、周りから見るとそれほど多くの量の仕事をしているとは思えないのに、仕事が処理できずに溜まり気味で忙しそうにはしている人。特にこの方は、ある種の書類を出してくれといっても、なんやかやと理由をつけてうだうだして書類が出てきません。なにかその書類のこととなると苦手というか"作れない、出せない"、という感じなんです」
「それってある種の発達障害ということはありませんか?子供なら分かるけど、いい大人がどうして?という感覚です。何かが欠落しているというか…」
「ああ、分かります。子供の時に『それは人前でやってはいけません』とか、『人として約束はちゃんと守りましょう』といった基本的な事柄ができないんじゃないかなあ、という印象を持ちます。しかしそれが発達障害かどうか、ということは考えたことがありませんでしたね」
実は少し前に、『発達障害に気づかない大人たち(星野仁彦著・祥伝社新書)』を読んでいたので、もしかしたらそういうことかな、と思った会話だったのです。
人は多かれ少なかれ、得意でやりたくてやれることと、苦手でやろうと思ってもやれないことがあるものです。
そしてそれでもその多くは、子供時代の教育とトレーニングで、苦手な事でも社会生活に影響が出ないくらいに抑え込む訓練をして大人になって行きます。
ところが中には、そうしたある種の苦手を克服しないまま、あるいは苦手を克服しないといけないという自覚そのものを欠いたまま大人になってしまう人もいます。
自分たちの周りに、どうも普通ではないちょっと困ってしまうような人はいないでしょうか。もしいるとしたら発達障害ということを考えて対応をする方が良いのではないか、というのが『発達障害…大人たち』の趣旨です。
この本によると発達障害の定義とは、注意力に欠け、落ち着きがなく、時に衝動的な行動を取る「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」、対人スキルや社会性などに問題のある「自閉症」や「アスペルガー症候群」などを含む「広汎性発達障害」、ある特定の能力(読む、書く、計算など)の取得に難のある「学習障害(LD)」などの総称、ということになっています。
最近では発達障害の子供の割合は約一割と言われるとされているようで、クラスにも2~3人はいてもおかしくないといわれているようです。
しかし実際にはその多くは『障害』という語感からくるような、「知能に遅れがあって、学校の勉強について行けない」というイメージではなく、ちゃんと授業について行けて中にはトップクラスな子供もいると言います。
こうした成績が普通だったりまして優秀だったりすると、「ちょっと困った」行動が見られたとしても、「あの子は変わったところがあるなあ」で済まされてしまうケースが多いのだ、とも。
そうして抱えている欠落した部分は、大人になり社会人になったところで顕在化して「変な人」という評価を受けることになってしまいます。
本当はそれらがちゃんとわかったところで適切なトレーニングや医療を受けることで修復することがかなりできるというのですが、周りにそうしたことへの理解や見抜く力がないために、煙たがられ遠ざけられて孤立してしまうということも少なくありません。
まずはそうしたことがあるのだ、という認識が必要です。
この本では、いくつか典型的に見られる症状について説明がなされ、治療やサポートの方法などが語られています。
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興味深かったのは、こうした対人関係障害はごく最近のものではなくて、実は吉田兼好の「徒然草」にもアスペルガー症候群と思われる人の話が書かれているというのです。
徒然草の第六十段に、真乗院の盛親(じょうしん)という高僧の話として書かれているものですが、「この僧都は容姿もすぐれ、力も強く、大食で書を書くことも上手で学問にも優れた傑物なので、仁和寺のなかでも重く思われていたのですが、世間を何とも思わない変わり者でなんでも勝手気ままで人に従うということをしないのだ」と書かれています。
さらに、「法事に出かけて饗応の膳につくときでも、人々の前に膳が並べ渡すのを待ちきれずに、自分の前に給仕がすえるとすぐに一人だけ食べて、帰りたくなると一人でふいと帰ってしまうのだ」とも。
「食べたい時には夜中でも夜明けでも食べ、眠くなると部屋に閉じこもったりもするなど、世間並みでないところがあるけれども、人に嫌われることもなく、すべて何事にも勝手気ままを許されていた。徳が達していたためだろうか」と兼好は結んでいますが、著者の星野先生によるとこれは、「おそらく日本で初めて報告されたアスペルガー症候群の事例ではないか」とのこと。
そして、「盛親の振舞いはアスペルガーそのものです。それでも才能を活かした職に就き、ちゃんと社会に認められ、受け入れられていたわけです。この段を読むたび、その事実に改めて思い至り、無性にほっとするのです」と書かれています。
星野先生は、たとえ障害があっても、それを克服したり与えられた才能を活かせるような仕事に就いたりすることで才能を大いに発揮することはできるとおっしゃいます。
実際、歴史に名を残す偉人や天才には発達障害を抱えていたとされる人物が多く、ベートーヴェンやモーツァルト、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ピカソなどもその典型と言われているそう。確かに彼らの天才性には理解不能な振る舞いがセットになっています。
そして何よりも、この本の著者の星野先生ご自身が「自分もADHDの経験者だ」と書かれていることがこの本の信頼性を増しています。
星野先生ご本人は立派なお医者さんなのですが、「医学部に入れたのは運がよかったのと、趣味や関心のあることには(ADHDに見られる過集中という特質で)人並み外れて集中ができたことによる」と自己分析されています。
まずは、無用に恐れるのではなく、そういうことが社会にはあるものだ、ということを理解するためにも、教養の一つとして読んでおきたい一冊です。
特に管理職として多少なりとも部下をもつような人にはお勧め。まずは現場の現実から始めましょう。