知人から、「小松さん、こんな副読本教材があるんですよ」と教えられました。
題して「中学生のための暗誦詩文集~高校国語へのかけはし」です。
中身は現代文、古文、漢文などから著名で知っていて損はない名文たる51個の詩文を集めたもの。
暗誦とは文章をそらんじて声に出して発することで、そのためのコツは実際に何度も声に出して読むことだと言われます。
この冊子では、暗誦することを大きな目的としているので、何度読んだかをチェックする項目や、横に印をつけて、「ここまで隠しても暗誦できること」を果たせるような工夫がされています。
こういう教材の助けを借りてでも、名文の一節を暗誦できるようになるのにはどんな意味があるでしょうか。
よく言われるのは、「記憶力がいいね」という評価ですが、多分暗誦の成果は記憶力ではないと思います。
「暗誦することは文章を自分の体の一部にすることだ」という言い方をすることもあります。
先人の名文が自分の口からすらすらと出てくることは一つの練習と鍛錬の結果であり、時間の差こそあれ、誰でもできることだと思います。
そして暗誦によって、自分自身が使える語彙や表現が増えることが言葉の豊かさにつながってゆくことでしょう。
日本人は古来より、暗唱というやり方は有効だと考えていて、九九、百人一首、いろはガルタ、素読などは、日本人が実践してきた教育の方法だったのです。
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ところがこうした反復練習による記憶という伝統的な学習手法は、戦後急速に失われ、西洋的な理解と思考の教育に取って代わられました。
そしてそれが行き着いたところで再び公文式のような反復練習による記憶の定着が評価される時代になります。
暗誦によって「地頭(じあたま)」が良くなって、勉強ができるようになれば良いのですが、やはり名文を覚えるという事はそれ以上に人生を豊かにする効果の方が大きいと思います。
私も学生のころから面白がってお経を覚えてみたり、祝詞をそらんじてみたり、世界の国々の首都を覚えるなどということをやっていました。
もっとも世界の国々の首都は、その後国の名前が変わったり、新しくできた国に全く対応できません。暗誦が完成した時で世界の首都は止まってしまっているのです。
やはり若い時の脳は柔軟で何でも吸収できる反面、歳を重ねると不利かもしれません。
でもあきらめずに、「死ぬまでには覚えてやるぞ」という気構えで何度も何度も読み返してやればいつかは脳に定着してくることでしょう。
一日10分程度で良いから繰り返すと良いそうですよ。
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こういう冊子で暗誦を始めることから、原典に触れるきっかけになるとなお良いですね。
いくつになっても、脳には良い刺激をたっぷり与えて苦しめてやりましょう。