座・高円寺1、2019年5月17日19時。
野心に燃える戦国武将・醍醐景光(高木トモユキ)は、天下盗りのために生まれてくる我が子の肉体の四十八か所を魔物たちに与える取引をする。四十八か所を失って生まれた赤子は川に流されながらも生き抜き、運命的に出会ったコソ泥の男・どろろ(山中崇史)を供とし、奪われた肉体を取り戻すために魔物を倒す旅に出るが…
脚本・演出/横内謙介、原作/手塚治虫、浄瑠璃作曲・指導/竹本英太夫、三味線演奏/鶴澤慎治、振付/ラッキィ池田、彩木エリ、振付・所作/花柳輔蔵。2004年初演、2009年に再演した作品の十年ぶりの上演。全一幕。
私は横内さんの後輩でして、前回観劇した『リボンの騎士』の感想はこちら。今回もとても刺激的で、おもしろい舞台でした!
私は手塚読者としては幼いというか下の世代でして、リアルタイムで読んだのは『ブラック・ジャック』くらいで、他に愛読しているのは『火の鳥』だけです。大人になっていくつか読みましたが、お恥ずかしながら読んでいない作品もたくさんあります。『ジャングル大帝』とか『鉄腕アトム』とかね。『どろろ』は読んでみて、どろろが主人公ではないこと、どろろが少女である設定が回収されていないこと、というか物語そのものがオチていないことに驚いたことしか記憶にありません。アニメは未見、今も新しいものが放送中なんですよね。なにがしかの性癖に刺さるのだろうな、とは思っています。
さて、で、この舞台は、『どろろ』ではなく『百鬼丸』と題されているように、単に『どろろ』を舞台化したものではなく、むしろ『どろろ』エピソード0、みたいなものでした。でもタイトルは『百鬼丸』だけれど。でも主役はやっぱりどろろかな、ファーストクレジットは少なくともどろろ役者です。そしてこのどろろは中年男性なのです。つまり、「あの」どろろとは別人なのです。これはどろろが代表する人間の人間らしさ、みたいなものを百鬼丸が手に入れるまでのお話、なのでした。
今回の百鬼丸は、魔物にすべてを奪われたのっぺらぼうの状態でずっといるので、要するに普通の赤ん坊の半分くらいしかない、おくるみの中の赤子としているのです。ぶっちゃけ小道具です(笑)。それをどろろがずっと抱いています。そして百鬼丸の声を吉田美佳子が演じ、百鬼丸の影を三浦修平が演じています。
声の役、というのは、ただ声を当てているのではなくて、まさしく「声を演じている」「声に扮している」んですね。黒子の格好で舞台にいて、誰の目にも映っていないことになっていて(冒頭の「この鮭!?」笑ったなあ、上手いなあ)、でも百鬼丸の心を表現しているのです。そして「影」は完全に黒子姿で、百鬼丸が心の力で動かすことができる、赤子の守り刀の百鬼丸を動かす役をやっています。これがミソ。
百鬼丸には身体がなくて心しかなくて、だから人間ではなく、優しく清く正しく、恨みや憎しみを知らず、理想を夢見、語り、それはあまりに清浄すぎるのでした。身体がないから痛みも知らないし、なんなら死なない。ただただ父母を懐かしく慕い、母親にもう一度抱かれたい、父親の非道を諫めたい、とだけ願っています。自分を魔物に売った父を、自分を川に捨てた母を恨むことを知らないのです。そしていくつか魔物を倒して手が生え、内臓が宿っても、血は戻らず、「人間」にはなれないまま、清いままなのでした。
それが、いろいろあって、どろろが命を賭してかばってくれ、また血を分けた弟の多宝丸(新原武)と斬り結び、その血を浴びて、ついに百鬼丸の身体に血が流れるようになり、同時に怒りや悲しみ、痛み、憎しみ、恨みを理解するようになる…そして三浦修平が青年の肉体を得た百鬼丸を演じ、心を演じていた吉田美佳子はおいていかれる…
母と和解し、父は討たれ、百鬼丸は残りの身体のいくつかを取り戻すために再び魔物を追う旅に出ます。そこで私が思いついたオチは、そんな百鬼丸が浮浪児に扮した吉田美佳子に出会って終わる…というものでした。それがどろろなのよ、盗人で、実は少女なのよ、彼女は百鬼丸がかつて知っていた男と同じ名を名乗るのよ、そこから原作漫画が始まるのよ…!
でも、そうではありませんでした。生まれたばかりの百鬼丸、両目を取り戻してやっと世界が見えるようになった百鬼丸は、竹とんぼが飛んできたのと同時に心を取り戻し、そして残りの身体を取り戻すのと同時に、この世にある美しいもの、優しいものをもっと見るために旅に出るのです。広い世界を知り、真の人間になるために…そんなすがすがしい形で、舞台は終わったのでした。
少年役を女優が演じることはよくあるし、その対比として今回はどろろを成人男性としたのでしょうか。どこが発端となってこの舞台が生まれたんでしょうね、とても不思議です。でもとてもよくできていると思いました。
さまざまなギミックもとても上手くて、効果的で、コロスも素晴らしく、お衣装なんかは最低限なんだけど全然十分でした。舞台って、演劇って本当に、自由だな無限だな魔法だな、と感動しました。
阿佐比の伴美奈子や橘姫の砂田桃子も素敵でした。てか役者はみんな達者で立派でした。
「手塚というより水木」には吹いたなー。タケコプターとか、小さなギャグ、ユーモラスなところもとてもよかったです。
いい劇団ですよね。『リボンの騎士』はまた再演するんですね、また行っちゃおうかなあ。楽しい観劇でした。
野心に燃える戦国武将・醍醐景光(高木トモユキ)は、天下盗りのために生まれてくる我が子の肉体の四十八か所を魔物たちに与える取引をする。四十八か所を失って生まれた赤子は川に流されながらも生き抜き、運命的に出会ったコソ泥の男・どろろ(山中崇史)を供とし、奪われた肉体を取り戻すために魔物を倒す旅に出るが…
脚本・演出/横内謙介、原作/手塚治虫、浄瑠璃作曲・指導/竹本英太夫、三味線演奏/鶴澤慎治、振付/ラッキィ池田、彩木エリ、振付・所作/花柳輔蔵。2004年初演、2009年に再演した作品の十年ぶりの上演。全一幕。
私は横内さんの後輩でして、前回観劇した『リボンの騎士』の感想はこちら。今回もとても刺激的で、おもしろい舞台でした!
私は手塚読者としては幼いというか下の世代でして、リアルタイムで読んだのは『ブラック・ジャック』くらいで、他に愛読しているのは『火の鳥』だけです。大人になっていくつか読みましたが、お恥ずかしながら読んでいない作品もたくさんあります。『ジャングル大帝』とか『鉄腕アトム』とかね。『どろろ』は読んでみて、どろろが主人公ではないこと、どろろが少女である設定が回収されていないこと、というか物語そのものがオチていないことに驚いたことしか記憶にありません。アニメは未見、今も新しいものが放送中なんですよね。なにがしかの性癖に刺さるのだろうな、とは思っています。
さて、で、この舞台は、『どろろ』ではなく『百鬼丸』と題されているように、単に『どろろ』を舞台化したものではなく、むしろ『どろろ』エピソード0、みたいなものでした。でもタイトルは『百鬼丸』だけれど。でも主役はやっぱりどろろかな、ファーストクレジットは少なくともどろろ役者です。そしてこのどろろは中年男性なのです。つまり、「あの」どろろとは別人なのです。これはどろろが代表する人間の人間らしさ、みたいなものを百鬼丸が手に入れるまでのお話、なのでした。
今回の百鬼丸は、魔物にすべてを奪われたのっぺらぼうの状態でずっといるので、要するに普通の赤ん坊の半分くらいしかない、おくるみの中の赤子としているのです。ぶっちゃけ小道具です(笑)。それをどろろがずっと抱いています。そして百鬼丸の声を吉田美佳子が演じ、百鬼丸の影を三浦修平が演じています。
声の役、というのは、ただ声を当てているのではなくて、まさしく「声を演じている」「声に扮している」んですね。黒子の格好で舞台にいて、誰の目にも映っていないことになっていて(冒頭の「この鮭!?」笑ったなあ、上手いなあ)、でも百鬼丸の心を表現しているのです。そして「影」は完全に黒子姿で、百鬼丸が心の力で動かすことができる、赤子の守り刀の百鬼丸を動かす役をやっています。これがミソ。
百鬼丸には身体がなくて心しかなくて、だから人間ではなく、優しく清く正しく、恨みや憎しみを知らず、理想を夢見、語り、それはあまりに清浄すぎるのでした。身体がないから痛みも知らないし、なんなら死なない。ただただ父母を懐かしく慕い、母親にもう一度抱かれたい、父親の非道を諫めたい、とだけ願っています。自分を魔物に売った父を、自分を川に捨てた母を恨むことを知らないのです。そしていくつか魔物を倒して手が生え、内臓が宿っても、血は戻らず、「人間」にはなれないまま、清いままなのでした。
それが、いろいろあって、どろろが命を賭してかばってくれ、また血を分けた弟の多宝丸(新原武)と斬り結び、その血を浴びて、ついに百鬼丸の身体に血が流れるようになり、同時に怒りや悲しみ、痛み、憎しみ、恨みを理解するようになる…そして三浦修平が青年の肉体を得た百鬼丸を演じ、心を演じていた吉田美佳子はおいていかれる…
母と和解し、父は討たれ、百鬼丸は残りの身体のいくつかを取り戻すために再び魔物を追う旅に出ます。そこで私が思いついたオチは、そんな百鬼丸が浮浪児に扮した吉田美佳子に出会って終わる…というものでした。それがどろろなのよ、盗人で、実は少女なのよ、彼女は百鬼丸がかつて知っていた男と同じ名を名乗るのよ、そこから原作漫画が始まるのよ…!
でも、そうではありませんでした。生まれたばかりの百鬼丸、両目を取り戻してやっと世界が見えるようになった百鬼丸は、竹とんぼが飛んできたのと同時に心を取り戻し、そして残りの身体を取り戻すのと同時に、この世にある美しいもの、優しいものをもっと見るために旅に出るのです。広い世界を知り、真の人間になるために…そんなすがすがしい形で、舞台は終わったのでした。
少年役を女優が演じることはよくあるし、その対比として今回はどろろを成人男性としたのでしょうか。どこが発端となってこの舞台が生まれたんでしょうね、とても不思議です。でもとてもよくできていると思いました。
さまざまなギミックもとても上手くて、効果的で、コロスも素晴らしく、お衣装なんかは最低限なんだけど全然十分でした。舞台って、演劇って本当に、自由だな無限だな魔法だな、と感動しました。
阿佐比の伴美奈子や橘姫の砂田桃子も素敵でした。てか役者はみんな達者で立派でした。
「手塚というより水木」には吹いたなー。タケコプターとか、小さなギャグ、ユーモラスなところもとてもよかったです。
いい劇団ですよね。『リボンの騎士』はまた再演するんですね、また行っちゃおうかなあ。楽しい観劇でした。
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