駒子の備忘録

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宝塚歌劇月組『アルジェの男/DanceRomanesque』

2011年10月02日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京宝塚劇場、2011年9月27日マチネ、29日ソワレ(新人公演)、30日マチネ。

 第二次世界大戦前、アルジェリアがまだフランスの植民地で会った頃、総督府の置かれたアルジェの街にジュリアン・クレール(霧矢大夢)はいた。孤児として育ち、仲間たちと悪事に手を染めながら暗く惨めな青春を送っていたジュリアンは、いつの日かパリへ渡り陽の当たる場所へ躍り出る野望を胸に抱いていた。革命記念日の夜、仲間のジャック(龍真咲)に総督ボランジュ(越乃リュウ)の懐から財布を抜き取れるか賭けようと言われたジュリアンは、恋人のサビーヌ(蒼乃夕妃)が止めるのも聞かずに応じるが…
 作/柴田侑宏、演出/大野拓史、作曲・編曲/寺田瀧雄。1974年に鳳蘭主演で初演、83年に峰さを理で再演された名作の三演。

 バッドエンドの悲劇である、とは聞いていました。
 大劇場公演の初日が開いて、幕切れの形に呆然、という声をツイッターなどで聞いていて、どういうことだろうと楽しみにしていたのですが…「歌劇」の記事でオチがネタばれしていたんですよね、それが残念。
 なのでわかって観る形になってしまいましたが、それでもラストシーンはドラマチックで鮮やかで、こうでしか終われないだろう、と震えるほど感動しました。
 幕切れがショックだった、という方は、ジュリアンとサビーヌの愛の逃避行を夢見たから裏切られた感じがした、ということなのかなあ? でもそんな未来はサビーヌでさえ信じていなかったのではなかろうか、と私には思えました。
 だからストーリーとしてはこれでよかったんだと思うんだけれど、でも役者の演技として、観客を誤誘導するようなところがあったんならそれは問題だし、演出のミスだし、すっきりしない。
 反芻してみるといろいろ考えられるし、運良く新人公演も観られてまた印象が違ったので、いろいろ考えてみたいと思いました。
 ちなみに私個人は組ファンとは言えないし、ソノカ卒業後探して見てしまうのは越リュウくらいで、好きな生徒はまりもとあーちゃんかなあというていたらくなのですが、柴田スキーではあります。
 なので組や生徒のファンが補完して熱心に観るのとはまた違う形で、そもそもの脚本が示そうとした形を追ってしまいがちな鑑賞の仕方をしているかもしれません。とか言って「ル・サンク」未購入なんですけれど(^^;)。
 でもとにかく作品としては好きだなあ、贔屓組の公演だったらガンガン通いまくっていたと思います。

 最初に思ったのは、ジャックがもっともっと悪い感じが強く出ているといいのかもしれないな、ということでした。
 これは、観てきた方によれば大劇場公演ではもっぱら小者感があったのが東宝に来てかなりいいチンピラ具合になっているとのこと。
 確かにものすごく重厚なちゃんとした悪党である必要はなくて、逆に言えばチンピラであればあるほどいいキャラです。独立して自分がボスになりのし上がるビジョンや度量はなくて、一生ゆすりたかりでいくんだろうなって見えるほうがいい。その質の悪さがジュリアンを追い込むわけですからね。
 そしてそこにこそジャックの悲しさもある。ジャックはジュリアンのことが好きで、仲間だと思っていて、ずっと一緒だと思っていた。なのにジュリアンの野望の夢を共有することはできなかった。いい目を見たいとは思っていただろうけれど、ジュリアンほど具体的なビジョンが描けないでいたわけです。そこにふたりの差はあったわけだし、夢はしょせんひとりひとりが自分のものを見るしかないものなのです。
 でもジャックにはそれがわからなかった。だから「俺とあいつとでどこが違うんだ」とか平気で言ってしまえる。で、ひとり先に行くジュリアンにおいていかれるのが悔しくて悲しくて許せなくて、しがみつかないではいられないわけです。
 ジュリアンもジャックのことは好きだったでしょう。しかしあくまで対等な仲間であって、仲間たちの兄貴分みたいなことを務めながらも、みんなを丸ごと面倒見て引き受けようなんて思っていなかったし、独立独歩でいくべきだと考えていたのでしょう。ジュリアンはアタマの悪いチンピラにしては野望のビジョンが描ける程度には思索的でもあったのだろうし、仲間がいて兄貴と慕われていても、どちらかといえば本来は一匹狼タイプの人間だったのかもしれません。
 だから、払っても払っても降りかかってくる火の粉としてのジャックのうっとうしさについに耐えられなくなったとき、殺そうと決心して拳銃を手にしてしまった…あの時点でジュリアンは一線を越えたように、私には見えました。逆に言うとそれまでは、何ごとに対してもけっこう誠実に当たる真面目な人間に見えました。
 きりやんはニンとしては親分タイプの温かい豪放磊落キャラクターの方がむしろ全然上手く演じられるのでしょうが、クレバーで誠実そうにも見える役者です。この「誠実」が意外にポイントというか、下手をしたら仇になった気もします。
 というのは、パリへ渡ってからのエリザベート(彩星りおん)、アナ・ベル(花陽みら)と相手を変えていく部分なのですが、女を利用してのし上がるため、というよりも、なんか周りにそう要請されたので応えているだけ、にも見えてしまったからです。
 もちろんその場しのぎでその場だけその要請に沿うのは長い目で見ればむしろ不誠実だし困ったものなのですが、そして事実困った事態になるわけですが、でもとにかくなんかきりやんジュリアンが色悪に見えなかったんだよなー。
 これはエリザベートとアナ・ベルではどちらが財産持ちなのかとか政治的メリットがあるのかとかがよくわからなかったことにも原因があるのだと思いますが。つまり明らかにアナ・ベルの方が格上で、だからさっきまでエリザベートを口説くような真似をしていたジュリアンがあっさり乗り換えたんだよ、とわかれば、ジュリアンが明らかに財産目当てとか上昇志向のためにやっているとわかるわけですが、そういう説明がないのは脚本の弱点かも。シャルドンヌ夫人(邦なつき)は公爵夫人ということですが、爵位と財政界での地位はイコールとは限らないし。
 なので、ルイーズ(花瀬みずか)に「エリザベートと踊ってあげて」と言われればエリザベートのダンスの相手を務めるし、相手がなんかきゃんきゃんつっかかってくるので適当に相手したり応酬してあげたりしているだけで、真実口説こうとしているようには見えないような…
 夜会の喧騒に疲れてひとり一服しようと思っていたら、ひっそり姿を現した令嬢のために火をつけかけた煙草を捨て、紳士として相手を務める。そしてその叔母に意味ありげに「あの子を女として幸せにしてあげられるような誰か」とかなんとか頼まれたら、それに応じる。なんかそういう、ある種真面目な人に見えてしまった…
 まあでも真面目というよりはやはり「適当に相手する」という感じでもあり、そんな誠意のなさは人間としては実はけっこうダメなことなんだとも言えるわけで、そういう意味でジュリアンはやはり何かが大きく欠落した問題のある人間だったのであり、破滅するしか先のない人間だったのだ、という考え方はできるわけですが。
 なんか請われるままに応じていたらエリザベートが落ちてきたので結婚することにした、ただそれだけ、すべてなりゆき、そんな感じ。
 アナ・ベルが湖畔の別荘に出かけたことを彼は聞いていたでしょうか、聞いたとしてその理由を尋ねたりお見舞いの手配をしたりしたでしょうか。おそらくしなかったに違いない、アナ・ベルがあんなふうに嘘の理由を用意してアンリ(明日海りお)に頼んだことなど、すべて無駄だったに違いないのです。
 そういう欠落した怖さの方が効いたかもしれないけれど…物語としては、やはりジュリアンがもっとのし上がるためには女でもなんでも利用できるものは利用するとガツガツしていて、結婚なんて足がかりのひとつでしかないし、ボランジュが大臣に任命されたのにも自分の将来がより開けたこととして捉えて喜ぶ、くらいのギラギラさが見えた方がわかりやすかったろうとは思います。
 なのに、過去の絡みが自分を圧迫する。だから終止符を打つべく、ついに拳銃を手にする。
 アナ・ベルの自死は明らかに彼のせいであり、彼の手はすでに血で汚れているわけですが、それでもジャックへの明確な殺意を持って武器を手にしたこのときに彼はついに一線を越え、真の罪人になったのだと私ははっとさせられました。それくらい、きりやんジュリアンが引き出しから拳銃を取り出したのが意外に見えてしまったということでもある…
 ともあれ彼はこの瞬間から転落を始めたのです。すでに罪を犯したも同然なのです。実際にジャックを射殺したのがサビーヌだったということはあまり関係がない。それもまたジュリアンの罪なのです。
 そんな彼が、ここへ来て愛に心を叩かれて目が開いて本当の愛、本当に大事にすべきものを見つけたなんて言ったって信じられなかった。私にはジュリアンの台詞はすべてそれこそ「一時の感情」、興奮してわけがわからずしゃべっているだけのものに見えました。
 かつてサビーヌが、アルジェ時代の「恋人」というのはつまり肉体関係があったということなのかてんでわかりませんが、とにかくサビーヌはジュリアンに決してキスを許さなかった。ジュリアンが本気で自分を愛していないと知っていたから。自分はそれでもジュリアンを好きだし、だから体も与えるけれど、でもジュリアンが「愛している」とか言うのが嫌だった、本気じゃないのにそう認めないのが嫌なのです。そっちが本気じゃなくてもこっちは本気なんだからいいのよって言っているのに、聞いているんだかいないんだか「本気だよ」というその嘘が嫌、だからキスも絶対に嫌。何度折れそうになっても絶対に拒む。そしてジュリアンもそこだけはムリヤリいかないでいた。逃げようとするのを捕まえて、引き戻して、それでも力づくでキスすることはしなかった、その一線。
 そのキスを、ここにきてサビーヌがせがんで、それでジュリアンはサビーヌにキスするんだけれど、そのキスはアルジェでジュリアンが近くパリに渡ると告げたときのあの他人行儀な儀礼的な頬へのキスの冷たさよりもっとずっと、サビーヌには冷たく感じられたのではないでしょうか。
 でもジュリアンは興奮してすっかり視野狭窄しちゃっているからそういうことに気づかないし、とにかく逃げようとかなんとかなるとか言うだけで、サビーヌの手を引くのです。
 飛行場を目の前にしても、サビーヌはジュリアンに「これでいいの?」と問いました。どこかへ行ってふたりで幸せに暮らせるなんて、サビーヌにはとても信じられなかったのでしょう。そしてそれは正しい。
 そこへ、アンリが現れたのでした…

 と、一応物語が辿れたところで、すぐ新公を観て、またいろいろと考えました。
 殊勲者はなんといってもジャックに扮したちなっちゃん(鳳月杏)、非常にガラの悪い悪党に見えてとてもよかった。
 そして主演のゆりやん(紫門ゆりや)も線が細すぎないかと心配していたのですが、ちょうどいいつっぱらかり具合で、ジュリアンとジャックのあり方のバランスとしては新公の方がよかったかもしれません。
 というか、本公演がおちつきすぎていたということは決してないのですが、やはり若手ががむしゃらに演じている感じが、全体に世界観にとてもフィットしていました。
 そしてゆりやんジュリアンは運転手姿になってもまだ似合っていない、という感じもよく出ていてよかったと思いました。
 パリではやはりギラギラ感は弱いかなーと思いましたが、意外だったのはサビーヌ(愛希れいか)がジャックを撃ってしまった後。
 ゆりやんジュリアンは、本当にここでやっと愛に目覚めてしまった青年のように見えました。つまり本当にサビーヌを愛していて、サビーヌとの未来を手に入れようとしているように見えた。
 野望を抱いて足元を見ず駆け抜けてきたけれど、実は青い鳥は家にいたのだ…というアレですね。それは本当に若くて愚かな青年の生き方なんだけれど、でも「やっとわかった! 他は全部捨てていい!!」と決心しているように見えました。
 そして、これでいくのなら、アンリ(珠城りょう)が放つ弾はむしろジュリアンをかばったサビーヌに当たってもいいのかもしれない…とかも思いました。やっと見つけた愛を失うという報いを受ける主人公…という展開の方が、単に主人公が命を落とすだけよりふさわしい気もしたのです。
 ただそれだとアンリが報われなくなっちゃうけれどね…

 エリザベートのちゅーちゃん(咲希あかね)、シャルドンヌ夫人の白雪さち花は本公演より好きだったかもしれません。
 りっちーのエリザベートは、子供なのかわがままな若い娘なのかちょっと不明瞭に私には思えました。ちゅーちゃんエリザはアルジェでの登場場面で明らかにこまっしゃくれた子供、という感じで出ていましたし、パリに行ってからも「もうすっかり大人ね」と言われる程度にまだまだ子供、という感じが出ていてとてもよかった。歳は若い、しかし賢い。だから自分の対外的な価値も見えているし、父親が自分をジュリアンに娶わせようとしていること、しかしジュリアンが自分に本当は関心がないことも見えている。そしてそれが許せないくらいに子供でかつ気位が高い少女なのでした。
 そしてシャルドンヌは、もちろん若い。亡き将軍の後添いくらいの若い妻のさらに一番下の妹だったのでは、くらいのアラサー程度にしか見えませんでしたが、それでもきっともう立派な未亡人で、「存分に好きなように生きてきた、姪の幸せな将来のほかに望むものはない」と言えるくらいには人生経験を積んじゃっている女なんですよね、この時代では。そのしたたかさ、あでやかさはきちんと出ていて、逆にどうしても本役さんからにじみ出てしまっていた慈愛や母性愛みたいなものはない方がいいキャラクターだと思えたので、こちらの方が良かったです。
 まんちゃんミシュリュー(貴千碧)はちゃんと妖しい色気を出していて良かった。でもボランジュ(有瀬そう)はさすがにつらかったかな。なので私はたまきちのボランジュを観てみたかったよ…アンリは抑えたみりおの演技がすばらしいというのもあるけれど、たまきちはおちつきすぎて見えて萌えなかった…
 ルイーズはこれで卒業の舞乃ゆか、ジュリアンを「ジュリちゃん」とか呼んでしまうノンシャランっぷりが素敵でした。そういえばルイーズは、本公演と新公では細かい芝居が違うので新公でどうだったか忘れましたが、少なくともあーちゃんルイーズはボランジュとジュリアンが「やるんだ」「やらない」の大声を出し合うところからおもむろに本を読み出すところがすばらしかったです。
 そして逆に新公の夜会では、ミシュリューがルイーズの手を必要以上に長く握るので、ボランジュがさっと割って入って場を離れるという仕草があって萌えました…そして本公演ではこの夜会の間中、ボランジュは基本的にずっとルイーズと談笑していて社交なんかしていないの(^^;)。まあ周りは見知った顔ばかりで内心つまらん夜会だと思っているのかもしれませんけれどね、本来は社交は立派な仕事のはずなんですけれど、でもルイーズと話しているのが楽しいんでしょうね、困ったヒトですね(^^;)。
 そして本役も泣かせたが、また違ったあり方で泣かせたアナ・ベル(愛風ゆめ)…! ほややんとした、おっとりしたはんなりした話し方が、単に幼さ故の無邪気ではなく、あくまで蝶よ花よと風にも当てられず育ったための無垢、と思わせるような美しさ。みくちゃんのアナ・ベルは夢なんか見てはいけないと自分を戒めてきた賢さ、けれどそれがもろくも崩れてしまった悲しさ…みたいなものを感じましたが、ゆめちゃんアナ・ベルは本当に初めて夢を見てしまったような、そしてそれがあっけなく奪われたような…そんなはかなさを感じました。
 どちらにせよアンリが本当に一瞬だけ目を離した隙に身を投げたんでしょうね。アンリが油断していはずはないものね。だからこそアンリはジュリアンを憎むことでしかその後の自分を支えられなかったのでしょうね…
 ラストのアンリのはけ方は本公演と新公では違いました。新公では本公演と違ってアナ・ベルの後追い自殺を匂わせている、と何かでたまきちが語っていたように思いましたが、しかしわたしにはそうは見えなかった…上手花道にはけて行った新公アンリの方が逃げる気満々、に見えました。本公演のアンリは飛行場に入っていきます。ジュリアンとサビーヌが乗れなかった飛行機に乗ってアルジェに行き、砂漠に入り、そして結局はそこで死ぬのかもしれない…と思わせました。
 でもどちらにせよ、はけた後銃声が響いてアンリの自死を思わせる…という演出があっても良かったのかもしれません。その場で自分の頭ふっ飛ばしたりすると、引っ込み方が難しいので。

 物語は『赤と黒』を下敷きにしているということですが、野望を抱く青年、というモチーフだけで話は全然別物ですね。
 そして演出としては『ウェストサイド物語』が強く意識されているようです。プロローグの照明の入り方、ダンスの入り方などまさにそれです。
 アルジェリアはフランスの植民地だけれど、ジュリアンたちは白人、つまりフランスからの移民なのかなあ? それとも現地の人間なんでしょうか。とにかくそういう人種差別とかもあった時代と地域のお話ということですもんね。

 本公演で他に印象的だったのはイブ(憧花ゆりの)。さすがでした。ジャックより姉さん女房のように見えるところもいいし、サビーヌとはいい女友達同士なんだけれど、ジャックが端からサビーヌに気があることにちゃんと気づいている感じもいい。ジャックがサビーヌに「ジュリアンがいない間の面倒くらい見てやる」と言うとき、つらそうに目をそらしたの、見逃しませんでしたよ…!
 それからミッシェル(青樹泉)。もはや役不足なのかもしれないけれど、こういう本当の育ちの良さを全身に表した好青年というものは意外に難しいと思います。新公のゆうき君(煌月爽矢)は力んでしまって見えましたからねー。このまっすぐな人の良さは、決してジュリアンやジャックが手に入れられないものなのです。
 秘書官仲間による「パリは下町」の銀橋渡りとかもいい場面でした。フェリックス(光月るう)とルイ(紫門ゆりや)がやたらいちゃついてたけどな!
 あとはやっぱりボランジュですよね! 「拾え」という声の恐ろしさ、怒鳴り合いの迫力、清濁併せ呑む懐の深さをうかがわせるところ…すばらしかったです。
 ラストのトシちゃんのカゲソロもすばらしかったです。パンチありました!
 それで言うと歌は全体に当然かもしれませんが本公演の方が良かったので、新公組はみんな精進だ!!
 本公演で残念だったのはルーシー(琴音和葉)かなあ…聞かせどころだったろうに、あまり感心しませんでした。
 逆に何もしていないんだけどウェイトレスのゆめちゃんは可愛かったなあ。

 また、わりにお金がかかっていなさそうな装置やセットが、しかし色味や照明がすばらしく、とても美しかったです。
 冒頭、確かに海の向こうに輝くフランスが見える気がしました。しかしすぐに海は暗くなり、アルジェの街の白い壁が浮かび上がり、若者たちが群れ始める…美しい幕開きでした。
 ああ、いいお芝居を観たなあ…

***

 ショー・スペクタクルは作・演出/中村暁。
 ロマネスクの語り部が全編通して出る構成にしてもよかったのにな、と思いました。
 カモメの場面は一度くらい二階席から観たかったかなあ。
 全体にまさおの歌が効いていて良かったのと、フィナーレで娘役さんだけの場面が設けられていたのが印象的でした。
 でも基本的には越リュウばっか観てたなホント…(^^;)

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