駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『グレイ・ガーデンズ』

2010年05月06日 | 観劇記/タイトルか行
 シアタークリエ、2009年11月25日マチネ。

 1941年7月。ニューヨーク州ロング・アイランド、イースト・ハンプトンのグレイ・ガーデンズ邸では、名門ブーヴィエ家の令嬢リトル・イディ(彩乃かなみ)とケネディ家の長男ジョー(川久保拓司)の婚約パーティーが開かれようとしていた。歌手にあこがれる美しい母イーディス(大竹しのぶ)は作曲家で専属ピアニストのグールド(吉野圭吾)とピアノに向かい、パーティーで歌おうと張り切っているが…台本/ダグ・ライト、音楽/スコット・フランケル、作詞/マイケル・コリー、翻訳/常盤景子、訳詞/中條純子、演出/宮本亜門。1975年のドキュメンタリー映画をミュージカル化した舞台で2006年オフ・ブロードウェイ初演、トニー賞3部門受賞。

 ジャクリーン・ケネディ・オナシスの叔母と従姉という実在の母娘を主人公にした物語。老いた時期のふたりを草笛光子と大竹しのぶが、若き日のふたりを大竹しのぶと彩乃かなみが演じるという趣向でした。

 ミホコがいい女優さんになっていてビックリでした。大竹しのぶとがっぷり四つになれる若い舞台女優なんていくらもいません! 難しい楽曲も歌いこなして生き生きしていてすばらしく、カーテンコールの晴れやかな笑顔のキュートさは健在で、泣けました…
 しかし大竹しのぶはやはりミュージカルには向いていないのではなかろうか…『スウィーニー・トッド』も観ていますが、いい歌い方じゃないんだよね…聴き苦しい、とまでは言わないにしても…
 もちろん芝居は圧巻な訳ですが。

 物語は、似た者同士の母娘の共依存の悲しくもおぞましく美しい関係…ということなのでしょうねえ。二幕で、荷物を抱えて門の前に立ち止まったリトル・イディが、ついに決心して顔を上げたとき、私は彼女は出て行くことにしたのだ、と思いました。でも次の瞬間、彼女は「今行くわ、お母様!」と声を張り上げ、屋敷に戻っていったのでした。
 そして、再び母親の無理難題を聞く日々が始まる。けれど母親は、夕食のスープの種類を娘に選ばせてくれるくらいにはなっていたりする。そんな小さな自由!?と私はぞっとしましたが、娘はニッコリ笑って、そしてまく、という物語でした。あああ、恐ろしい。悲しい。でも、肉親だし…

 実在のふたりはそのフリーダム精神でゲイ・アイコンにまつりあげられたりもしたそうです。
 少人数の舞台でしたがそれぞれ良くてよかったです。『ウルトラマンネクサス』が出世作というモデル出身の川久保拓司も、いい舞台役者さんで剋目しました。
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『レザネ・フォール』

2010年05月06日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京厚生年金会館、2009年11月21日マチネ。

 1928年、パリの石畳を、ふたりの若き日本人が踏みしめていた。ひとりはレヴュー研究のためにパリ留学に赴いた白井鐵造(宝塚歌劇団演出家)。もうひとりは元憲兵大尉の甘粕正彦(福井貴一)。後に満州帝国の影の支配者として、また満州映画協会理事として歴史にその名を刻む人物であった。甘粕はパリで諜報員まがいの仕事をしていたが、失敗から追われる身となり、あるレヴュー小屋に迷い込み、白井と誤解される…作・演出/大野拓史、音楽/長谷川雄大、振付/平澤智、御織ゆみ乃。宝塚歌劇団OG公演。

 レヴューシーンのミュージカルナンバーがもう、すんばらしい宝塚伝統メドレーで、久々に現役の組の公演でもこういうレトロなのが観たい!と心震えました。

 幕開けのソロ歌はマリコさん(麻路さき)の悶絶のあの歌声だったので、彼女を観るのは卒業以来でしたが、一気に17年の年月が吹き飛びましたよ…
 ファントムという役名でもいいのでは、と思ったワタル(湖月わたる)のダンスがまた反則で、びしっと燕尾を着込んでいるのに脱いだらビスチェで胸アリなんてもう…素敵でした。
 ユリちゃん(星奈優里)は逆に、もっともっと踊りたかったろうなーと思ってしまった。
 そしてなぜか、現役時代はぴんとこなかったのに、女優さんになってから妙に好きなサエちゃん(彩輝なお)はまた細くて色っぽくていい感じで…ヨダレもの。

 ほか6人も、知ってるよ、好きだったよ!ってメンバーで、楽しかったです。

 何よりショースター・ツレちゃん(鳳蘭)の健在っぷりは尋常ではない。「セ・マニフィーク」を生で聴けて、私は本当に感涙です! いくら星組っ子が多いとはいえ時代の差は大きいと思いますが、マリコさん以下子供扱いのトークのおもしろいこと。宝塚の生徒さんはみんな先輩の前では礼儀正しくかつ可愛い後輩になってしまうところが本当にほほえましいです。

 というわけで「地味な芝居」に存分なショーがついた楽しいミュージカル・レヴューでしたが…

 芝居小屋のダンサーたちが「男装の麗人」である必要は、はたしてあったのでしょうか…こんなOG公演、宝塚ファン以外は見に来ないと思うからさ、そういう観客に、彼女たちがレズビアンの役なんかやるところを見せちゃっていいの? もう、大野先生ってば大胆ね…とヒヤヒヤしてしまいまして。
 エトワールとトラバーユはレズビアンのカップルで、だから同姓愛者を弾圧しようとしている時の政府に対し反対的で、だから甘粕を助けようとするのだ…というのは、わかりやすいっちゃわかりやすいけど、でも彼女たちが単に愛と平和を愛する理想主義者だから…というんでもいいと思うんですよねー。
 本物の男優を登場させているので、ややこしいのかもしれませんが、それでもエトワールもゴロワットも男性キャラってことでもよかったと思うんですよね。
 ゴロワットなんざ、エトワールの妹ですが一人称は「僕」で、だけどエトワールとトラバーユの関係を嫌っていて、同性愛なんて胸くそ悪いとか公言している。それって何? まさかトランスセクシャルでヘテロセクシャルで、男として女の姉を愛してるってこと? そらタイヘンすぎるだろ…
 そこらへんがちょっと中途半端で、据わりが悪いかなーと思いました。でも大野作品っぽいと言えば言える。

 あと、そうなると女性だけで男女ともに演じる劇団が、宝塚歌劇団よりほかにパリにあったということになるので、そこもどうなのよ、と思ったというのもあります。なんてったって今年95周年の、世界唯一の、恐るべき劇団ですからねー…

 ま、でもまだまだいろいろ展開できる余地はあるのだということはわかりました。100周年、無問題だと思いますよ!
 
 ちなみにタイトルは、フランスの1920年代を指す「狂乱の時代」という意味だそうです。
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