日生劇場、2009年12月22日マチネ。
1957年、フランス北西部の港町・シェルブール。自動車工場で働くギイ(井上芳雄)は足の悪い叔母エリーズ(出雲綾)とふたり暮らし。彼は今ジュヌヴィエーヴ(白羽ゆり)という若く美しい娘と情熱的な恋愛をしている。だがジュヌヴィエーヴは、雨傘店を経営しながら女手ひとつで自分を育ててくれた母・エムリー夫人(香寿たつき)にギイのことを打ち明けられないでいた。結婚などまだ早いと反対されるに決まっているからだ…脚本・作詞/ジャック・ドゥミ、音楽/ミシェル・グラン、演出・振付/謝珠栄、翻訳・訳詞/竜真知子。カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞の名ミュージカル作映画の舞台化。
新聞評で歌唱力をほめているのを読んで、急遽チケットを取りました。
宝塚歌劇を見慣れてしまうと、東宝ミュージカルは…というか男優さんは…というか井上くんは…とか思って躊躇してしまっていたのですが。
ベタベタだし、映画のとおりだし、あまりにも有名な主題歌の美しいメロディーラインにやっぱり日本語の歌詞はうまく乗り切れず、正直、歌唱力が生かされた舞台だとは思いませんでしたか…でも、ぼろぼろ泣いてしまいました。
誰が悪いのでもない、何が悪いのでもない、みんなが幸せになっている、悲劇…
映画の記憶はうろ覚えだったのですが、『カサブランカ』とか『雪景色』の「愛ふたつ」のように、ジュヌヴィエーヴのところにはギイの戦死通知でも届くのかなーと思っていました。だから彼女はギイの子を宿しながらも、宝石商カサール(岸田敏志)のもとに嫁ぐのだ、と。
でも、そうではなかった。ギイに妊娠のことも知らせ、ギイもまた「必ず帰るからね、待っていてね」という手紙を書いていたのに、戦況が厳しくなって手紙が滞っただけで、ジュヌヴィエーヴはカサールと結婚することを選んでしまった。
家の経済的な苦境を助けてくれた恩義、というのが大きかったのだろうし、当時は父なし子を出産するということが世間的にかなり難しかったのでしょう。
でも、薄情だ、とも言えるようでもあり、仕方なかったのかな、と思えるようでもあり…
おそらく映画にはなかった、アルジェリア戦線でのギイの描写が重ねられていたからこそ、せつなかったです。
あと、個人的には、マドレーヌ(ANZA)が最初っからギイを好き好きって感じじゃなくて、待って待ってついに結婚に持ち込んだぜ、みたいな感じじゃなかったのが良かった(^^;)。
「時間」というものに勝てる者はいない…誰のせいでもない…戦争が悪いというのは簡単だけれど、誰かが戦わなければいけなかったのだし…とか、とか。
演技としてはやはりエムリー夫人が際だっていました。元星組男役トップスターですがきれいなソプラノ。未亡人で、自分も若くして何も知らないまま結婚したようなことが語られますが、女手ひとつで娘を育てて店も経営しているにもかかわらず、少女っ気が
抜けないところがあるというか、パリッとしたスーツを着ていてもぜんぜんキャリアウーマンじゃない、お嬢様っぽいところが抜けない女性で。
結局のところ明らかにカサール氏を娘に薦めているのは、若い女を売り飛ばして自分の安寧をはかる年増の女の意地悪さそのものなんだけれど、悪びれて見えないところがかわいらしくも憎らしい…そんな「女」そのものを演じてくれていたようでした。
そして久々に観た井上くんは「こんなに長身で素敵だったっけ、すまん」と謝るしかない素敵さでした。
シーンとしてぐっときたのは、一幕ラスト、シェルブール駅での別れのシーン。
長く深いキスをして、し続けて、でもギイの方が引きはがすように離れたときの、ジュヌヴィエーヴの「ああっ」って言わんばかりの悲痛な表情。
ギイを見送ってひとり残されたジュヌヴィエーヴが、幕が下りきるまで続ける慟哭。
二幕、世間知を歌うエムリー夫人に重ねて、戦地で傷つきながら主題歌のフレーレズを歌うギイ…あたりでした。
そして、今までのように雨ではなく、雪になってしまっているラストシーン。
ギイはジュヌヴィエーヴの娘・フランソワーズに会わないと言いました。それにもう、涙、ナミダ。
もちろんカサールはフランソワーズを自分の娘として溺愛しているでしょうし、フランソワーズも何不自由なく幸せに暮らしていることでしょう。ジュヌヴィエーヴだって娘を見るたびによく似ているというギイのことを思いだしているわけはない。だからギイがフランソワーズと会ったからって、むしろいいことは何もないかもしれない。でもギイは娘の顔を見ないことを選んだ、娘は事実を何も知らないまま、父親の顔も知らずに生きていくのだ…と思うと、なんだか泣けて泣けて仕方なかったのでした。
これが2009年の観劇納めでした。満足。
1957年、フランス北西部の港町・シェルブール。自動車工場で働くギイ(井上芳雄)は足の悪い叔母エリーズ(出雲綾)とふたり暮らし。彼は今ジュヌヴィエーヴ(白羽ゆり)という若く美しい娘と情熱的な恋愛をしている。だがジュヌヴィエーヴは、雨傘店を経営しながら女手ひとつで自分を育ててくれた母・エムリー夫人(香寿たつき)にギイのことを打ち明けられないでいた。結婚などまだ早いと反対されるに決まっているからだ…脚本・作詞/ジャック・ドゥミ、音楽/ミシェル・グラン、演出・振付/謝珠栄、翻訳・訳詞/竜真知子。カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞の名ミュージカル作映画の舞台化。
新聞評で歌唱力をほめているのを読んで、急遽チケットを取りました。
宝塚歌劇を見慣れてしまうと、東宝ミュージカルは…というか男優さんは…というか井上くんは…とか思って躊躇してしまっていたのですが。
ベタベタだし、映画のとおりだし、あまりにも有名な主題歌の美しいメロディーラインにやっぱり日本語の歌詞はうまく乗り切れず、正直、歌唱力が生かされた舞台だとは思いませんでしたか…でも、ぼろぼろ泣いてしまいました。
誰が悪いのでもない、何が悪いのでもない、みんなが幸せになっている、悲劇…
映画の記憶はうろ覚えだったのですが、『カサブランカ』とか『雪景色』の「愛ふたつ」のように、ジュヌヴィエーヴのところにはギイの戦死通知でも届くのかなーと思っていました。だから彼女はギイの子を宿しながらも、宝石商カサール(岸田敏志)のもとに嫁ぐのだ、と。
でも、そうではなかった。ギイに妊娠のことも知らせ、ギイもまた「必ず帰るからね、待っていてね」という手紙を書いていたのに、戦況が厳しくなって手紙が滞っただけで、ジュヌヴィエーヴはカサールと結婚することを選んでしまった。
家の経済的な苦境を助けてくれた恩義、というのが大きかったのだろうし、当時は父なし子を出産するということが世間的にかなり難しかったのでしょう。
でも、薄情だ、とも言えるようでもあり、仕方なかったのかな、と思えるようでもあり…
おそらく映画にはなかった、アルジェリア戦線でのギイの描写が重ねられていたからこそ、せつなかったです。
あと、個人的には、マドレーヌ(ANZA)が最初っからギイを好き好きって感じじゃなくて、待って待ってついに結婚に持ち込んだぜ、みたいな感じじゃなかったのが良かった(^^;)。
「時間」というものに勝てる者はいない…誰のせいでもない…戦争が悪いというのは簡単だけれど、誰かが戦わなければいけなかったのだし…とか、とか。
演技としてはやはりエムリー夫人が際だっていました。元星組男役トップスターですがきれいなソプラノ。未亡人で、自分も若くして何も知らないまま結婚したようなことが語られますが、女手ひとつで娘を育てて店も経営しているにもかかわらず、少女っ気が
抜けないところがあるというか、パリッとしたスーツを着ていてもぜんぜんキャリアウーマンじゃない、お嬢様っぽいところが抜けない女性で。
結局のところ明らかにカサール氏を娘に薦めているのは、若い女を売り飛ばして自分の安寧をはかる年増の女の意地悪さそのものなんだけれど、悪びれて見えないところがかわいらしくも憎らしい…そんな「女」そのものを演じてくれていたようでした。
そして久々に観た井上くんは「こんなに長身で素敵だったっけ、すまん」と謝るしかない素敵さでした。
シーンとしてぐっときたのは、一幕ラスト、シェルブール駅での別れのシーン。
長く深いキスをして、し続けて、でもギイの方が引きはがすように離れたときの、ジュヌヴィエーヴの「ああっ」って言わんばかりの悲痛な表情。
ギイを見送ってひとり残されたジュヌヴィエーヴが、幕が下りきるまで続ける慟哭。
二幕、世間知を歌うエムリー夫人に重ねて、戦地で傷つきながら主題歌のフレーレズを歌うギイ…あたりでした。
そして、今までのように雨ではなく、雪になってしまっているラストシーン。
ギイはジュヌヴィエーヴの娘・フランソワーズに会わないと言いました。それにもう、涙、ナミダ。
もちろんカサールはフランソワーズを自分の娘として溺愛しているでしょうし、フランソワーズも何不自由なく幸せに暮らしていることでしょう。ジュヌヴィエーヴだって娘を見るたびによく似ているというギイのことを思いだしているわけはない。だからギイがフランソワーズと会ったからって、むしろいいことは何もないかもしれない。でもギイは娘の顔を見ないことを選んだ、娘は事実を何も知らないまま、父親の顔も知らずに生きていくのだ…と思うと、なんだか泣けて泣けて仕方なかったのでした。
これが2009年の観劇納めでした。満足。