青山劇場、2010年5月17日マチネ。
東西冷戦さなかのバリ。ソ連芸術の偉大さを示すために派遣されていたロシア人作曲家ボロフ(渡部豪太)は電報を受け取ってあわてていた。彼を連れ戻しにモスクワから使者(戸井勝海、伊礼彼方、神田恭兵)がやってくるというのだ。ハリウッドの敏腕プロデューサー・スティーブ(今村ねずみ)はボロフの音楽で映画を作るため、あの手この手で使者を引きとめる。ソビエト政府は最後の切り札として、「最強の模範共産党員」ニノチカ(湖月わたる)を送り込むが…作詞・作曲/コール・ポーター、脚本/ジョージ・S・カウフマン、ルイーン・マクグラウ、エイブ・バロウズ、演出・訳詞・上演台本/荻田浩一。原作は1939年公開のグレタ・ガルボ主演の映画『ニノチカ』、1955年ブロードウェイ初演。日本初演。
古式ゆかしいロマンチック・ミュージカルで、甘く優しい楽曲の数々はいかにもザッツ・コール・ポーター。上手く脚韻を踏ませた日本語歌詞も聞き取りやすかったです。
これまたやや長く感じましたが、楽しかったです。
キャストで絶品、出色だったのはハリウッドのお色気女優ジャニス役の樹里咲穂でした。ニンとはちがうかもしれない、キュートでセクシーで教養がなくて手練手管はある美女役を、とても楽しそうに演じていました。かわいかったなあぁ!
なんで助演ばっかりなんだろうなあ、やっぱり宝塚現役時代にトップスターを張っていないということがネックなのかなあ…ともあれいい女優さんです。
他のキャストも、アンサンブル含めて好演なのですが、唯一よくわからなかったのが今村ねずみでした…
ダンサーだから、というキャスティングだったのかもしれませんが、そんなに激しく踊るタイプのものではないし、なんか浮ついたセリフまわしが気持ち悪くて、ただでさえスティーブというのはただの山師ギリギリのところがあるわけで、ニノチカに対して本当に本気で恋しているのかとかがまったく見えず、不安でした…
ワタルより背が低いのはギャグになっていたしいいんだけれど、もっと別のキャスティングがよかったんじゃないのかな…
それから、派手で素敵なフィナーレ・ナンバーがついているせいかもしれませんが(ワタルとジュリちゃんが白燕尾に白パンツで踊りだした時にはなんてサービス!と思いましたし、パンツ引き抜いてダルマになったときにはさらにきゃあ!でした。しかしジェンヌはみんな美脚だが胸が今ひとつ残念なんだよね…)、お芝居のラストはわかりづらかったです。え?これでハッピーエンド?みたいな。
今だからこそファンタジーに見える、とオギーはパンフレットで語ってはいますが、ナチスドイツほどではないにしてもソ連時代の大変さというのは笑うにはやや重い気がしました…あるいはそれは、私が社会主義思想には一理あると思っていて、ただ人間の方がそれを実践するには幼すぎたがゆえに成功しなかったんだと思っているからかもしれないのですが。
つまりこのお芝居では、コメディだからというのもありますが、「ソ連のやり方のひどさ」というのがそんなに強く出ていなかったので、下手したら義務とか全部捨てて逃げ出そうとしているニノチカたちがただのわがままでダメな人間に見えてしまう危険があるかな…という点が引っかかったのでした。
映画公開時は、完全に東側を敵国・悪者扱いして笑っていてすんだと思うんだけれど、いまや「価値観のちがう人と付き合えるか」が大事な時代でもあり、そんな一方的なことは許されないと思うんですよね。スティーブの儲け主義で著作者を軽んずるちゃらんぽらんさはもっと糾弾されるべきだし、ニノチカがスティーブによって変わっていくのと同様にスティーブもまたニノチカによって変わらなければ公平ではないのです。浮ついた業界人だった彼がニノチカの純粋さによって真の愛を知る…という描写は必要だったのでは?
それから、タイトルは『シルク・ストッキング』の方がいいと思うけれどな…「靴下」ってやっぱりソックスのことでストッキングじゃないもん…
東西冷戦さなかのバリ。ソ連芸術の偉大さを示すために派遣されていたロシア人作曲家ボロフ(渡部豪太)は電報を受け取ってあわてていた。彼を連れ戻しにモスクワから使者(戸井勝海、伊礼彼方、神田恭兵)がやってくるというのだ。ハリウッドの敏腕プロデューサー・スティーブ(今村ねずみ)はボロフの音楽で映画を作るため、あの手この手で使者を引きとめる。ソビエト政府は最後の切り札として、「最強の模範共産党員」ニノチカ(湖月わたる)を送り込むが…作詞・作曲/コール・ポーター、脚本/ジョージ・S・カウフマン、ルイーン・マクグラウ、エイブ・バロウズ、演出・訳詞・上演台本/荻田浩一。原作は1939年公開のグレタ・ガルボ主演の映画『ニノチカ』、1955年ブロードウェイ初演。日本初演。
古式ゆかしいロマンチック・ミュージカルで、甘く優しい楽曲の数々はいかにもザッツ・コール・ポーター。上手く脚韻を踏ませた日本語歌詞も聞き取りやすかったです。
これまたやや長く感じましたが、楽しかったです。
キャストで絶品、出色だったのはハリウッドのお色気女優ジャニス役の樹里咲穂でした。ニンとはちがうかもしれない、キュートでセクシーで教養がなくて手練手管はある美女役を、とても楽しそうに演じていました。かわいかったなあぁ!
なんで助演ばっかりなんだろうなあ、やっぱり宝塚現役時代にトップスターを張っていないということがネックなのかなあ…ともあれいい女優さんです。
他のキャストも、アンサンブル含めて好演なのですが、唯一よくわからなかったのが今村ねずみでした…
ダンサーだから、というキャスティングだったのかもしれませんが、そんなに激しく踊るタイプのものではないし、なんか浮ついたセリフまわしが気持ち悪くて、ただでさえスティーブというのはただの山師ギリギリのところがあるわけで、ニノチカに対して本当に本気で恋しているのかとかがまったく見えず、不安でした…
ワタルより背が低いのはギャグになっていたしいいんだけれど、もっと別のキャスティングがよかったんじゃないのかな…
それから、派手で素敵なフィナーレ・ナンバーがついているせいかもしれませんが(ワタルとジュリちゃんが白燕尾に白パンツで踊りだした時にはなんてサービス!と思いましたし、パンツ引き抜いてダルマになったときにはさらにきゃあ!でした。しかしジェンヌはみんな美脚だが胸が今ひとつ残念なんだよね…)、お芝居のラストはわかりづらかったです。え?これでハッピーエンド?みたいな。
今だからこそファンタジーに見える、とオギーはパンフレットで語ってはいますが、ナチスドイツほどではないにしてもソ連時代の大変さというのは笑うにはやや重い気がしました…あるいはそれは、私が社会主義思想には一理あると思っていて、ただ人間の方がそれを実践するには幼すぎたがゆえに成功しなかったんだと思っているからかもしれないのですが。
つまりこのお芝居では、コメディだからというのもありますが、「ソ連のやり方のひどさ」というのがそんなに強く出ていなかったので、下手したら義務とか全部捨てて逃げ出そうとしているニノチカたちがただのわがままでダメな人間に見えてしまう危険があるかな…という点が引っかかったのでした。
映画公開時は、完全に東側を敵国・悪者扱いして笑っていてすんだと思うんだけれど、いまや「価値観のちがう人と付き合えるか」が大事な時代でもあり、そんな一方的なことは許されないと思うんですよね。スティーブの儲け主義で著作者を軽んずるちゃらんぽらんさはもっと糾弾されるべきだし、ニノチカがスティーブによって変わっていくのと同様にスティーブもまたニノチカによって変わらなければ公平ではないのです。浮ついた業界人だった彼がニノチカの純粋さによって真の愛を知る…という描写は必要だったのでは?
それから、タイトルは『シルク・ストッキング』の方がいいと思うけれどな…「靴下」ってやっぱりソックスのことでストッキングじゃないもん…
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