駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『リラの壁の囚人たち』

2010年05月28日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 日本青年館、2010年5月25日マチネ、26日マチネ。

 1944年、ドイツ占領下のパリの街は、夜には外出禁止令が布かれ、人々は自らの街を思うように歩くことすらできず、リラの花咲く春を迎えても陰鬱とした空気に満ちていた。とあるうらぶれた袋小路の中庭では、住人たちが閉塞感を抱えながら夜をすごしていたが、そこへ突然、ゲシュタポに追われたレジスタンスの男たちが、負傷した英国情報部員を連れて逃げ込んできた…
 作/小原弘稔、演出/中村一徳、作曲・編曲/吉崎憲治。1988年に月組で初演された故・小原弘稔作・演出の第二次世界大戦レジスタンスシリーズ三部作の第一作、22年ぶりの待望の再演。

 カナメさんの初演を観ていません。主題歌しか知りませんでした。

 再演希望が多かったというのも肯ける、深い、渋い、いいお話でした。
 決して宝塚歌劇を低く見ているわけではないのですが、男役の夢々しい美しさ、というものに立脚した物語ではないので、宝塚歌劇とは思えない深い渋い名作だ、よその小劇団が小さい劇場で公演していてもおかしくない芝居だ、と思ってしまいました。
 ショーアップされていますが(特にフィナーレは今回かなり新しく追加されたそうですし)、基本的には裏庭だけを舞台にした、非常に演劇らしい演劇ですからね。
 でも、20数年ぶりの再演、というのもまたふさわしい気がしました。
 しょっちゅうしょっちゅう繰り返し再演される、というのもちがう気がするのです。
 観た人が、
「よかったね、いつかまた観たいね」
 という想いをまたずっとずっと長い間胸に大事にしてきて、そしてまたずいぶんと経ったときに再演される…そんな感じがふさわしい演目なのではないかしら、とも思いました。
 重いからつらい、というのとはまた別に、です。
 何度も何度もやったら、損なわれてしまう…そんなはかなさ、美しさが、あるように思えて…

 さて、「天然のタラシ」とも言われるエド(鳳稀かなめ)。
 初演のカナメさんとはニンが似ていそうな、でもテルの方がもうちょっとだけ優男かなー。やはりカナメさんへの当て書きだったのかも、とちょっと思いました。好演していたと思うんだけれど、テルだったらもっと輝く役が別にあるな、と思えてしまった。
 しかし罪作りな優しさは朴念仁と決まっているイギリス人とも思えないわー。フランス人だというお母様の血なのかしら(^^)。そしてこの感じはもしかしたら本物の男優さんでは意外に成立させられなくて、だから宝塚でやってこその演目なのかもしれませんね。
 ちなみに初見時はあの見づらい青年館で3列目上手通路際という絶好のポジションで、客席から登場のテルちゃんをそれはそれは間近でまじまじと見られたわけですが、舞台に上がってからの方がスタイルがよく見えるのはなんのマジックなんだろう…イヤもちろん素でも素敵なのですが。
 幕開けとラストシーンは16年後。もうちょっと渋く作ってもいいかもね、と思いました。髭は素敵でしたが。
 英国陸軍の武官として今もがんばっているのでしょう、子供ふたりにも恵まれ、穏やかな家庭を持っているのでしょう。それも素敵なことです。この裏庭のことは片時も忘れたことはなかった、それでもだから今もひとりだ…なんてのはちょっと哀しすぎるので。そこも、作者の優しい、深いまなざしを感じました。

 ヒロインのポーラは白華れみ。
 花組に組替えになって次期トップ娘役候補かと思われていたのに、すでに同期の夢咲ねねがトップ娘役を務めている星組にまたしても組替えと、歌劇団の意図を疑う荒波にもまれていますが、テルとは映りが良くて美しいコンビでしたね。
 ただし私は個人的にはあまり好きなタイプではないのだった…年末のタカスペのときは可愛いなと思ったんだけれど、なんかやや歯が出ているのが気になるし、ぶっちゃけ今回の役がぴったりすぎで、そして私はポーラが好きか嫌いかと言われれば、すみません好きじゃないかもね、としか答えられないからなのでした…
 イヤいい子なんですよポーラは。戦争で不具になって人が変わってしまった婚約者に仕えて、愛しているから愛してほしい、一言でいいから優しい言葉をかけてほしいと願っていて、でもずっとずっと言えなくてただひたすら耐えて、待って、待つことに慣れてしまった不幸な娘…
 わかるんです、そのありかたも、つらさも。だからこそ目を背けたくなるのかもしれない…
 ぶっちゃけエドが、何故マリーじゃなくてポーラを好きになるのかはやや不可解なんだけれどね(^^;)。マリーも同じくらい同じように不幸ですからね。

 というわけでこの物語の軸はポーラの婚約者ジョルジュ(紅ゆずる)にあるわけです。
 バウ公演よりだいぶ抑えたという演技ですがそれでもキレキレ。でも私はこれくらいでいいと思いました。ホントは4年もグレ続けるのは疲れるし、そうそうできないもので、もっとおちつくか別の段階に進んでしまう方が自然だと思う。でもお芝居としてはこの段階の状態を見せる必要があるのだと思いますしね。
 彼は自分以外の何もかもがとにかく憎いのだ、と最初は思えました。しかしやがてドイツ軍の方がより憎いのであり、その前にはフランス人をかばったり肩入れしたりすることもできるのだ、と見えたときに、泣きそうになりました。エドが歌い出したフランス国歌に最初に和するのは彼なのです。
 エドは裏庭から脱出できずに
「まるでリラの壁に囲まれたこの庭の囚人のようだ」
 と嘆くのですが、ジョルジュは自分の周りに高い壁を自分で作ってしまうのを自分でも止められず、その中で囚われている自分を嘆き泣き叫び絶唱します。泣けました…フィナーレで晴れやかに踊るベニーを観られてどれほどほっとしたことか!
 ポーラには死亡フラグが立っていたけれど、ジョルジュにもまたそういう運命が待っていたわけで、それを救いとか解放とか呼びたくないのだけれど、父親のルビック医師(にしき愛)に抱きしめられてこときれているジョルジュにただただ涙です。ポーラとちがって即死だったところもまたなんとも…
 初演はノンちゃん。それはそれはまた上手かったことでしょう…!

 パンフレットで剋目したのはみやるりちゃんのギュンター・フォン・ハイマン大尉(美弥るりか)でした。美貌だけれど好みのセンではなかったのですが、とにかく美しさが目を引いたし、舞台でも決して書き込まれた役ではないのですが、やたらと注目してしまいました…
 「結婚しよう」ではなく「世話をしよう、面倒を見よう」としかマリー(音波みのり)に言えなかったのは、マリーを愛していなかったわけではなくて、ナチスの将校としてフランス人に対する人種差別意識があったりとか、故国にドイツ貴族の婚約者とか妻とかがいたのかもしれません。でも彼は確かにマリーを愛していたし、マリーにある程度は愛されていたと思っていたわけです。そしてマリーも自覚がきちんと追いついていなかったにせよ、ギュンターをある意味きちんと愛していたのだと思うのです。ただ彼女も幼く、また人種差別意識があって、「こんなのは愛じゃない、気がする」と思ってしまっていたのでしょう。
 そこにエドが現れて、波風を立ててしまった…
 連合軍がパリを解放して、ドイツ軍は撤退し、ギュンターはドイツに撤収しました。将校だった彼にその後どんな運命が待っていたのか、少なくとも彼はパリには戻らなかったようです。
 マリーが16年後もこの裏庭でキャバレー「パラディ」を継いでいたのは、別にギュンターの帰りを待っていたからではなかったかもしれない。エドの再訪を待っていたわけでもなかっただろう。けれど彼女が「エド、結婚は?」と聞いたのは、彼女はきっといまだ独り身なんだろうなと思わせます。それは決して不幸を意味しないけれど…すごい台詞を書くなあ、すごい芝居を作るなあ、と作者に敬意を感じざるをえないのはこういう瞬間です。

 ポーラに横恋慕しているジャンの壱城あずさも、とても嫌な男の役を好演。
 ポーラの父ロジェ・モランの美城れんも渋いわ上手いわですばらしかったです。
 それからエドのレジスタンス仲間ピエールの天寿光希が体型の補正がすばらしくて、ホントに刑事ドラマに出てきそうな若いゴツい男って感じでこれまたすばらしかった。

 ノルマ役の白百合ひめの声が星奈優里ちゃんに似て聞こえてときめきましたが、この公演でご卒業とのこと。残念です。
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