駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『瑠璃色の刻』

2017年05月04日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 シアタードラマシティ、2017年5月2日16時。

 18世紀のヨーロッパに、不老不死と言われ、錬金術師・予言者・魔術師と称され数々の伝説を残したサン・ジェルマン伯爵という男がいた。フランス、ロワール川の畔にあるシャンボール城は、サン・ジェルマン伯爵が太陽王ルイ14世から与えられたという城。旅芸人一座の役者シモン(美弥るりか)とジャック(月城かなと)はこの城で宝を探し出そうと忍び込んでくるが…
 作・演出/原田諒、作曲・編曲/玉麻尚一、振付/麻咲梨乃、良知真次、装置/松井るみ。新生月組二番手スター美弥るりか待望の単独初主演公演、月城かなと組替え初公演。

 …「だが原田」という覚悟を胸に、観に出かけてきました。装置と照明と楽曲が素晴らしく、見慣れたドレスや宮廷服のお衣装も素晴らしい。そしてキャストはもちろん揃っている。けど一幕終えた時点では、話はなんかあらすじっぽいんだよなー二幕に期待…と思っていました。
 二幕中盤から、「というかこういうことがしたい話なんだったら最初からもっとさあ…」とイライラと考え始め、ラスト、「ちょっと待てオチてなくない!?」となりながら幕が下りるのに仕方なく拍手し、フィナーレが素晴らしすぎたのでなんかもう虚脱しました…
 が、やっぱりこれちょっともったいなさすぎると思うよ!? なんかいっつもいっつもそんなことばっか言ってるけどさー、箸にも棒にもって出来じゃないからこそ、そして生徒の命運が常にかかっているからこそ、一作一作もっと大事に作ってよ劇団!って、作家でもなく理事長でもなく漠然と「劇団」という架空の存在の胸倉ひっつかんでわあわあ言ってやりたい気持ちで今いっぱいです。そういう姿勢が全体にもっと欲しいと思っているからです。

 とりあえず、三人で話を締めるなら三人から話を始めようよダーハラ。てかこの作品のメインキャストは三人だろう、みやちゃんとれいこちゃんとくらげちゃんだろう。別に三角関係を無理にやらなくてもいい、幼馴染の劇団仲間、それでいい。でもそういう設定なんだからそういうところをまず見せようよ、なんで宝探ししてるおバカな子供みたいな男ふたりから始めるの? なんでここあんな幼い、馬鹿っぽい役作りなの? それで何を表してるの?
 別にシリアスに作れと言っているんじゃないんです、コミカルな部分があってもいいし全体にコメディーに仕上げたってかまわない。でも意味なくふざけたりゆるくして何がしたいの? 笑いをなめないでいただきたい。
 三人は旅芸人一座の役者で仲間。だからそこをまず見せましょうよ。フィリッポ(夢奈瑠音。無駄遣いで悔しい…)が訛って言ったあの台詞、締めの場面でシモンが諳んじたあの台詞、あの芝居を普通に最初に観客にまず見せればいいんですよ。相手はアデマール(海乃美月。ヒロイン力がついてきたよねえ…!)で、ジャックも役者として出ていてもいいし小道具やプロンプターをやっていてもいい。小さい一座ですからね。とにかく役者の役なんだから役者をやっている場面から始めるのがストーリーとして一番手っ取り早いに決まってるじゃないですか。そうでないならこんな設定いらねーだろむしろ。
 三人は役者としてそれなりにがんばっている。もしかしたら多少大根でもいいのかもしれない、でも流れ流れてこういう暮らしをしているんだから生業としてがんばっている。けれどウケない。王室の浪費や貴族の傲慢に国は荒れ民衆は疲れていて、旅芸人一座の芝居を楽しむ元気もないから。そういう時代背景を見せる。アデマールとも、ラブでないのだとしても同志愛とか家族愛みたいなものはあるとちゃんと見せる。でもウケなくてイヤになっちゃった男ふたりは、役者稼業に見切りをつけてなんかもっとでかいことできねーのかなーとか考えて、怪しい伝説の残る城の宝探しを思いつく。なんかちょっとくすねられる金銀財宝があればいいな、って程度だったんだけれど、シモンそっくりの肖像画を見つけて、役者の技を生かしたなりすましを思いつき…
 ってだけで、全然スムーズになるじゃないですか。このとき、シモンとジャックの関係性やキャラクターの違いがもっと見せられるとなおよかった。肖像画が似ていたのはたまたまシモンの方だったからシモンがサン・ジェルマンになりすましジャックがその従者テオドール(宇月颯の二役。素晴らしかったよね!)に扮することになるんだけれど、そもそもシモンの方がちょっと年上なんだろうし性格的にも兄貴分だったのでしょう。そういう部分とか、シモンは一座に連絡なんかしないでこのままバックレちまおうぜ、ってタイプなんだけれど、ジャックはもうちょっと真面目というかいい子というか小心者で、もしかしたらアデマールのこともちょっと好きだったりとかして(三角関係をやらなくてはいけないということでは必ずしもないとは思っているけれど、ベクトル的にはシモンはアデマールのことをただの仲間だと思っていてもアデマールはシモンを憎からず想っていてでも言えなくて、そしてジャックはそれも全部わかっていてアデマールのことを好き、というのが自然な構造だしそれくらいのフラグは立ててもよかったのではないだろうかとは個人的には思っています)、一座に置き手紙くらい残していきたかったなとか思ってでも仕方なくシモンについて行って、それがのちのちのふたりの離反の原因のひとつにもなる…とまでできるとベストだったかもしれません。
 ちょっと考えてもこれくらい思いつく、もっとできたはずの工夫があるんだよー、それが悔しい。
 私が雪組大劇場公演からハシゴして観たせいもありますが、例えば佐平次もシモンも口八丁手八丁の詐欺まがいで世渡りしてやる!って生き方は同じなんですね。でも佐平次には、胸の病があって余命が少ないことがわかっているから、海のそばの暖かな土地で最期を迎えたくてそこに居続けたくて、という理由がちゃんとあるし、それがきちんと劇中で説明されています。なーこたんはそういうことがそつなくできてるの、でもダーハラにはできていないの。私は、いかに宮廷貴族が軽佻浮薄で国家や国民のことなんか考えていない輩でも、だから主人公がそれを騙して金品せしめて成り上がって高笑いしてもいいんだ、とするにはやはりそれなりの説得力が必要で、だからこそ冒頭で芝居がウケない場面を入れて、貧乏は嫌だこんな人心荒んだ世の中は嫌だってグレた主人公に言わせてその反動でダークヒーローになる(そしてジャックはそれを心配して見守る、という構図)、とかにしておいた方が、観客が感情移入しやすかったと思いますよ。現状、シモンはあんまものを考えていてなおバカさんに見えかねないと思うんですよね…そりゃ元役者だからみんなが自分の芝居に騙されてうれしい、とか貴族を観客にもっとでかい芝居打ったるで!とかの気概はあるのかもしれないけれど、彼がその先何をしたくてサン・ジェルマンの振りをし続けているのか、よくわからないし…
 一方でアデマールにはちゃんとドラマがあるんですよ、そこは原田先生は書けてるんですよ。両親を貴族に殺されて、だから貴族を恨んでいて、なのにアントワネット(白雪さち花。正しい起用だよね素晴らしかったよね!)に重用されてとまどって、貴族への復讐として殺してやりたいと襲いかけるんだけど、この人も意外と普通の人だったんだなとか、寂しい、悲しい、ひとりの女であり母親だったんだなとか気づかされて…ってくだりはお話としてすごくよかったと私は思う。その後、王室が幽閉されたチュイルリー宮まで王子の面倒を見るためについていったってのは、『1789』をやったばっかりだしちょっとなんかオイオイってデジャブが残念ながらかなりありましたけれどね(だから組と公演と扱う時代と国のバランスをもっとちゃんと考えて配分してよ劇団! 重なりすぎなんだよ芸がないなアタマ悪いな!!)。
 そう、このキー・パーソンたるアントワネットをせっかくならもっと活用するべきだったと思います。そして同様のドラマをシモンにも作るべきだったんですよ。アデマールとのラブがないなら、むしろアントワネットへの敬愛、情愛みたいなものを入れてもおもしろかったかもしれません(ソレどこの『ジャン・ルイ・ファージョン』…)。
 おもろしおかしく貴族を騙してちやほやされて楽しくて…という日々を送っていたときに、ついに王妃さまからまで夢占いを頼まれて。それが断頭台を表すものだと観客はみんなわかっているんだけれど、ここでなんかちょっとシモンがもっとおどけて、例えばそれは天上への階段です、王妃さまはそれにふさわしい天使のような方ですから、とかおべんちゃら言って、アントワネットは受け入れてコロコロ笑っちゃうようなすごく単純で可愛いところがある人で、シモンはこんな浪費家で諸悪の根源みたいな女いくら騙してどう利用してもいいとか思っていたけどなんかちょっとかわいそうになっちゃったなオレ間違ったことしてるのかな、とふと罪悪感を感じるようになり…とかさ。なんかもうちょっとこのくだり、アイディア入れられたと思うんですよね。だってシモンがただ「ご安心ください」とか言うだけって芸がないし、それで安心しちゃうアントワネットもアタマ悪く見えちゃうじゃん。作者がアタマ悪くて芸がないのがみんな登場人物に反映されちゃうんだよ、それをやらされる中の人のファンが観るんだからさ宝塚歌劇ってものは。ちょっとこのつらい構造ホントなんとかしてほしいわけですよ、だから作家はもっと最大限がんばって知恵絞んなきゃいけないの! 独力でできないならプロデューサーに見てもらったりしてもっともっと工夫してアイディア投入してクオリティ上げなきゃいけないの!!
 貴族も人の子、オレちょっとまずいかも…ってシモンもちょっと思い始めたところに、ロベスピエールたちに感化されたジャックがオレやめる、って言い出すから、かえって衝突して意地張っちゃったりして物別れになっちゃって、敵味方みたいになっちゃって、兄弟みたいだったのに腹心の親友だったのにああせつない…!ってBLバディもの展開に持ち込めるわけじゃないですか。そういうこともやりたかったんでしょう? でも現状、中途半端で萌えづらいんですよ…もったいない。敵味方に別れても、お互い相手の正体は言わない…みたいな展開も、もっともっと萌えるよう作れるはずだったのになー。
 で、ラストなんですけれど、結局ジャックってどうすることにしたの? シモンとアデマールは何がしたくてあの部屋にいたの? 私が何か台詞を聞きもらいましたかね? なんかよくわからなかったんですけれど…
 別にシモンがジャックの腕の中で死んだりしなくてそれはよかったと私は思っているんですけれど、なんか壮大だけど歌詞が抽象的な歌を歌っているうちに幕が下りちゃった印象なんで、え?待って待って?ってなっちゃったんですよね。あの歌、なんかもっと、不老不死とか永遠の命なんてない、いらない、むしろ有限だからこそ人生は美しく生きる意味がある、微力でも頑張って自分の人生を大切に丁寧に生きよう…みたいなことを歌うべきだったんじゃないでしょうか。それがテーマだったんじゃないでしょうか。それでシモンはサン・ジェルマンを演じるのをやめる、と。革命の嵐が吹き荒れる中、貴族にも同情すべき余地はあると考えるようになった一市民のこの三人が上手く生き残れるかはまた別の話だけれど、また三人出会えた、戻れた、またがんばっていこう、自分らしく自分の人生を生きよう、スネたりグレたり恨んだりするのではなく…!ってのが結論であるべきだったんじゃないのかなあ…
 まあこれは私の考えにすぎませんけれどね。そう読み取りたかったのにそうではなかったので、アレレレレ?となって終わってしまったのでした…

 でもフィナーレはホント素晴らしかったです。るうさんもひびきちもにーにもまゆぽんもねるっこも結局無駄遣いだったよ役不足だったよ!と思いましたがここでは胸のすくような素晴らしいダンスと色気! そしてそのセンターにとしちゃん! でも奥のれんこんも観ちゃう!みたいな至福の時で。
 からの、れいこが娘役従えてセンターでバリバリ躍るんだけどれいこが一番美人ってどういうことホント美の暴力怖い!ってなって。
 そうしたら今度は総踊りになってれいこととしちゃんがシンメになるんだけど、まあれいこの輝きの強さといったら! 意外とガタイがいいしでも垢抜けてきていてオーラがハンパなくて、存在感バッチリでした。早く珠城さんとの並びが観たい!!
 そしてみやちゃんとくらげちゃんのデュエダンはちょっとたいそうなお衣装なんだけれど、すっごく踊っていて衣装を邪魔にしていなくてもちろん美しく見せていて、感心しましたし感動しました。こんな王子さまとお姫さま、世界になかなかないですよ!!!
 これで半分の戦力なんだからホントたいしたものですよ月組。三銃士楽しみだなー! イケコのことは信じています、でもまた初日からねちねち語ると思いますそこは謝っておきます。
 赤坂でも盛り上がりますように、ファンが喜びますように、ファンが増えますように。生徒が楽しく心身元気に公演し完走しますように。いつもいつも祈っています。



 ※追記※

 その後、台詞が足されて話が多少改変されたそうですね? 改良であることを祈っています…
 最初からやれよ、とはもちろん言いたいけれど、直さないより直した方がもちろんいい。ただ私は観られないので判断できないってだけですし、観客のみんながみんなリピーターでないということはもちろん押さえておいていただきたいです。
 映像には改変版が残るのかな? ただ私が一年後のスカステ放送まで記憶できているかはまた自信がないのだけれど…
 やっぱショー作家に転向した方がいいんでないのかね? ハラダくん……


 
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