日生劇場、2023年1月15日18時。
イギリス領北アイルランドの首都ベルファスト。街ではIRA(北アイルランドの独立を訴えるカトリック派の組織)の活動が日増しに盛んになり、宗派の争いは街を分断していた。それでもここで暮らしサッカーを愛する人々は、試合を「ザ・ビューティフル・ゲーム」と呼び、応援するチームの試合を最も大事にしていた。ジョン(小瀧望)はそんなサッカーチームのエース選手であり、将来はプロサッカー選手になることを夢見ていた。チームメイトのトーマス(東啓介)、ダニエル(新里宏太)、ジンジャー(皇希)、デル(木暮真一郎)たちと共にサッカーに青春を捧げ、国内リーグでの優勝を目指して毎日汗を流していた。スタンドに座るメアリー(木下晴香)、クリスティン(豊原江理佳)、バーナデット(加藤梨里香)ら女の子たちは、それぞれ意中の若者たちに声援を送っていた。しかし街ではプロテスタント派とカトリック派の争いが激化し、チームにも不穏な空気が忍び込み始める。逆らうことのできない運命は、ジョンに人生を変える大きな選択を迫る…
作曲/アンドリュー・ロイド=ウェバー、作詞/ベン・エルトン、上演台本・演出/瀬戸山美咲、振付/ケイティ・スペルマン、訳詞/福田響志。2000年ウエストエンド初演、06年日本初演、08年には『The Boys in the Photograph』と改題されたミュージカル。全2幕。
2014年の公演を観ていて、そのときの感想はこちら。本国でも都度ブラッシュアップして上演されている演目のようで、今回の公演は15年版をもとにしているのと訳詞も演出も違うので、また全然違う味わいになっているのかもしれません。イヤくわしく覚えていないので比べられないのですが…(^^;)
ただ、シンプルというか剛毅というか、こんなに剥き出しな作品だったかなあ?という印象を持ちました。ただ、前回感じたようなわかりづらさはないかな、とも思いました。でもやはり異教徒の身からしたらカトリックもプロテスタントも同じキリスト教なんでしょ、とか言いたくなるし、キャストたちが勉強会をしたように彼らはみんな、家族の誰かがこの争いで死傷しているような、死と隣り合わせのヒリヒリした現実を生きているということのようですがそれはちょっと伝わらないかな、とは感じました。
でもジンジャーが襲われるのが唐突だとは感じなかった。それは作品がそういう空気を作り出せていたからというよりは、我々観客が生きる現実が、現在の日本社会でテロなどの暴力行為やヘイト暴力なんかが顕在化されてきたからかもな、とも思いました。でもメアリーが奮闘しているようなデモ活動やロビー活動は、未だあまりメジャーじゃないし心ない連中に冷笑されたりしている。そして彼らが神の国を讃えて歌う感動的な歌は、今の我々には話題のカルト宗教とそれに癒着した与党政府とのキャッチフレーズを思い起こさせて、恐ろしいし気持ちが悪く感じられます。不幸なことです…五十年前のベルファストと同じくらい今の日本は荒廃しつつあり、ベルファストやアイルランドはそれでも遅々としてであれ前進してますが我が国はむしろ凋落している。悲しいことです。かつてこの演目を観たときには、遠い国の昔の話でやや他人事であり、でもここから学んで我々はより良き世界を作っていかなければ…などと考えたと思うのですが、人間とは学習できない生き物なのでしょうか? それともこの国に生きる者特有の病??
クリスティンがトーマスを嫌い、デルと恋に落ち、子供に恵まれ、アメリカに移住することが救いであり希望です。もちろんアメリカだって楽園ではなく、差別も貧困も困難も彼らを待ち受けていることでしょう。でも、まず、物理的に広い。だから精神的にも逃げ場ができるし選択肢が増えるし視野が広がると思うんですよね。それが希望です。
一方でジョンは、物理的に閉鎖空間である監獄に入れられて、周りがIRAシンパばかりで、偏向させられてしまう…非常にわかりやすく対照的だと思いました。
なんせ覚えていないのでオチはどうなるの?とハラハラしながら観たわけですが、これはハッピーエンドなような単なる妄想エンドのような…な気がしました。もちろん、こうやって生還し家族のもとに帰ってくる者もいるでしょう。でもそうでない者、抗争の中で落命する者の方が圧倒的に多かった闘いのはずです。細かい経緯は語られないまま主題歌リプライズのラストシーンになだれ込むので、幻想感はいや増します。それでも現時点ではこうとしかこの物語をまとめられない、というのもわかります。ラストの不協和音コーラスは、この作家独特のものでもあり、やはりこれが単純な、美しく理想的なハッピーエンドではないことを示しているようでもあります。一方で、多様性とか、ハモらなくていい、調和しなくても生きているだけでいい、みたいな素朴なエネルギーを寿ぐもののようにも聞こえる気もします。どんな捉え方もできるように観客に委ねられて、暗転、閉幕。しっかりした作品でした。
役者がまたみんな達者で危なげがなかったのも、作品に没頭できてよかったです。ジャニーズファンにあんなチューチューする芝居を見せてええんかいなとか、余計な心配はしましたけどね。
描かれていなかったけれど、どうかバーナデットにもその後の未来、幸福が訪れていますように。やはり描かれていないだけでその後とっくに落命しているのかもしれないけれど、生きているなら、ダニエルにも。ジンジャーやトーマスには「未来」はなくなってしまったのだから。
生きて、幸せになること、少しでも良き世界を作る努力を重ねること。生きている者、生き残った者の義務です。物語の中だけのことではなく、舞台の外、我々観客も同じことです。すべての差別、ヘイト行為にNOを。すべての人が等しく尊重される社会を。生命や財産や健康や幸福を脅かされ侵害されることのないような社会を。健康で文化的な最低限度の生活を送れるような社会を。求め、声を上げ、働きかけ続けるしかないのでしょう。でないと早晩、こうした観劇などの娯楽すら奪われる未来が来る…そんな「戦前」など、冗談ではありません。
微力ながら、がんばりたいと思います。
イギリス領北アイルランドの首都ベルファスト。街ではIRA(北アイルランドの独立を訴えるカトリック派の組織)の活動が日増しに盛んになり、宗派の争いは街を分断していた。それでもここで暮らしサッカーを愛する人々は、試合を「ザ・ビューティフル・ゲーム」と呼び、応援するチームの試合を最も大事にしていた。ジョン(小瀧望)はそんなサッカーチームのエース選手であり、将来はプロサッカー選手になることを夢見ていた。チームメイトのトーマス(東啓介)、ダニエル(新里宏太)、ジンジャー(皇希)、デル(木暮真一郎)たちと共にサッカーに青春を捧げ、国内リーグでの優勝を目指して毎日汗を流していた。スタンドに座るメアリー(木下晴香)、クリスティン(豊原江理佳)、バーナデット(加藤梨里香)ら女の子たちは、それぞれ意中の若者たちに声援を送っていた。しかし街ではプロテスタント派とカトリック派の争いが激化し、チームにも不穏な空気が忍び込み始める。逆らうことのできない運命は、ジョンに人生を変える大きな選択を迫る…
作曲/アンドリュー・ロイド=ウェバー、作詞/ベン・エルトン、上演台本・演出/瀬戸山美咲、振付/ケイティ・スペルマン、訳詞/福田響志。2000年ウエストエンド初演、06年日本初演、08年には『The Boys in the Photograph』と改題されたミュージカル。全2幕。
2014年の公演を観ていて、そのときの感想はこちら。本国でも都度ブラッシュアップして上演されている演目のようで、今回の公演は15年版をもとにしているのと訳詞も演出も違うので、また全然違う味わいになっているのかもしれません。イヤくわしく覚えていないので比べられないのですが…(^^;)
ただ、シンプルというか剛毅というか、こんなに剥き出しな作品だったかなあ?という印象を持ちました。ただ、前回感じたようなわかりづらさはないかな、とも思いました。でもやはり異教徒の身からしたらカトリックもプロテスタントも同じキリスト教なんでしょ、とか言いたくなるし、キャストたちが勉強会をしたように彼らはみんな、家族の誰かがこの争いで死傷しているような、死と隣り合わせのヒリヒリした現実を生きているということのようですがそれはちょっと伝わらないかな、とは感じました。
でもジンジャーが襲われるのが唐突だとは感じなかった。それは作品がそういう空気を作り出せていたからというよりは、我々観客が生きる現実が、現在の日本社会でテロなどの暴力行為やヘイト暴力なんかが顕在化されてきたからかもな、とも思いました。でもメアリーが奮闘しているようなデモ活動やロビー活動は、未だあまりメジャーじゃないし心ない連中に冷笑されたりしている。そして彼らが神の国を讃えて歌う感動的な歌は、今の我々には話題のカルト宗教とそれに癒着した与党政府とのキャッチフレーズを思い起こさせて、恐ろしいし気持ちが悪く感じられます。不幸なことです…五十年前のベルファストと同じくらい今の日本は荒廃しつつあり、ベルファストやアイルランドはそれでも遅々としてであれ前進してますが我が国はむしろ凋落している。悲しいことです。かつてこの演目を観たときには、遠い国の昔の話でやや他人事であり、でもここから学んで我々はより良き世界を作っていかなければ…などと考えたと思うのですが、人間とは学習できない生き物なのでしょうか? それともこの国に生きる者特有の病??
クリスティンがトーマスを嫌い、デルと恋に落ち、子供に恵まれ、アメリカに移住することが救いであり希望です。もちろんアメリカだって楽園ではなく、差別も貧困も困難も彼らを待ち受けていることでしょう。でも、まず、物理的に広い。だから精神的にも逃げ場ができるし選択肢が増えるし視野が広がると思うんですよね。それが希望です。
一方でジョンは、物理的に閉鎖空間である監獄に入れられて、周りがIRAシンパばかりで、偏向させられてしまう…非常にわかりやすく対照的だと思いました。
なんせ覚えていないのでオチはどうなるの?とハラハラしながら観たわけですが、これはハッピーエンドなような単なる妄想エンドのような…な気がしました。もちろん、こうやって生還し家族のもとに帰ってくる者もいるでしょう。でもそうでない者、抗争の中で落命する者の方が圧倒的に多かった闘いのはずです。細かい経緯は語られないまま主題歌リプライズのラストシーンになだれ込むので、幻想感はいや増します。それでも現時点ではこうとしかこの物語をまとめられない、というのもわかります。ラストの不協和音コーラスは、この作家独特のものでもあり、やはりこれが単純な、美しく理想的なハッピーエンドではないことを示しているようでもあります。一方で、多様性とか、ハモらなくていい、調和しなくても生きているだけでいい、みたいな素朴なエネルギーを寿ぐもののようにも聞こえる気もします。どんな捉え方もできるように観客に委ねられて、暗転、閉幕。しっかりした作品でした。
役者がまたみんな達者で危なげがなかったのも、作品に没頭できてよかったです。ジャニーズファンにあんなチューチューする芝居を見せてええんかいなとか、余計な心配はしましたけどね。
描かれていなかったけれど、どうかバーナデットにもその後の未来、幸福が訪れていますように。やはり描かれていないだけでその後とっくに落命しているのかもしれないけれど、生きているなら、ダニエルにも。ジンジャーやトーマスには「未来」はなくなってしまったのだから。
生きて、幸せになること、少しでも良き世界を作る努力を重ねること。生きている者、生き残った者の義務です。物語の中だけのことではなく、舞台の外、我々観客も同じことです。すべての差別、ヘイト行為にNOを。すべての人が等しく尊重される社会を。生命や財産や健康や幸福を脅かされ侵害されることのないような社会を。健康で文化的な最低限度の生活を送れるような社会を。求め、声を上げ、働きかけ続けるしかないのでしょう。でないと早晩、こうした観劇などの娯楽すら奪われる未来が来る…そんな「戦前」など、冗談ではありません。
微力ながら、がんばりたいと思います。
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