駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『祈りと怪物 蜷川バージョン』

2013年01月21日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアターコクーン、2013年1月20日マチネ。

 KERAバージョンの感想はこちら

 二回観てみて、最初の観劇では見えなかったものが見えてきた部分もあり、演出違いを見比べるのでどうしても最初のものの方がよく思えたり…いろいろおもしろい体験でした。
 もちろんそもそもは「俺たちの野々すみ花」宝塚歌劇団卒業後初舞台、を観に行ったわけですがね。
 そのスミカからまず語ると、カッサンドラ役まで任されるくらいで、存在感があって、声もしっかりしていて、贔屓目なしにいい舞台女優さんになりそうだなあと思いました。
 小柄すぎて見えたりほっそりしすぎているということもなく、本当にすごくよかったと思いました。
 問題の、もろ肌脱いで背中(の焼印)を見せる場面は、夏帆ちゃんはわりと舞台奥でまっすぐ奥を向いて立っていたのでどこからでも本当に背中しか見えなかったと思いますが、スミカのレティーシャは舞台のけっこう手前で斜めを向いて立って脱ぐので、上手の席からはけっこう身体の表が、ぶっちゃけ胸が見えたと思います。ヌーブラしてたけどね!

 というワケで相違点などの感想を。
 まずプログラムの人物相関図が袋とじじゃない(^^;)。普通のコクーンのプログラムだからということもあるけれど、もうあと出しじゃんけんみたいなものだと考えられているのでしょう。
 「過去なのか、未来なのか」も不確かな「架空の国の架空の町」ということを表すのに、まずコロスが全員黒紋付着て現われます。そして合唱はラップ。KERA版とそりゃ違うよね!というスタートです。
 そして美術、セットもシンプル目というか抽象的。逆に言うと、しっかり作ってあったのにそれでもどこともつかない時代、国を思わせたKERA版もやはりすごいのかも。そしてエイモス家の居間は奥の壁がおなじみの鏡です。ワンパターン…!
 ヒヨリの焼印はハーケンクロイツをみっつ重ねたもの、とあったけどふたつだよね…
 そして左右にモニターを出して、合唱の歌詞や場面転換ごとに状況説明のト書きみたいなものを出していましたが、私はこれはいただけないと思いました。説明されなくたってわかるし、聞き取れなくてもだいたいの意味がつかめるくらいでいいんだよこういうものは…まあ趣味が違うのは仕方がない。

 トビーアスは森田剛が演じた今回の方が正しいあり方なのかな、と思いました。
 前回のトビーアスはちょっと気が弱いだけの青年に見えました。対してパブロが向こうっ気が強い、というだけに見えた。
 でも森田トビーアスはすごく繊細で純朴そうで、逆に言うとああちょっと足りないんだな、だからこそこんなに優しくて純粋なんだな、と思えました。だからマチケものちにドン・ガラスも彼を気に入るのではないでしょうか。
 対して満島真之介のパブロは世間知があってちょっとずうずうしそうで、猥雑さすら感じさせる生身の男っぽい感じ。キャラクターとしてはこれが正しい形なのかな?と思えました。

 三姉妹は原田美枝子、中嶋朋子、宮本裕子。舞台は久々だという原田美枝子がさすがに声量が足りないかな、という以外はみんなちゃんとしていて、役作りとしてはKERA版とまったく同じであり、これはもう確立されているのだと思います。
 それで言うとドン・ガラスもそっくりだったな。ヘンに年上に作っていたけど…

 いいなと思ったのは染谷将太のヤン。いかにも流れ者っぽい、いわくありげな異分子感、違和感が素晴らしかった。
 エレミヤはもっと美人がよかったなー。ペラーヨは安っぽい感じが今回の方がよかった。
 ダンダブールの橋本さとしは存在感がありすぎて役不足に見えてしまいました。そしてパキオテどうするの、と思っていましたがなんと三宅弘城! なるほどなという配役にニヤリとしました。

 さて、で、私が問題に感じたのはラストでした。まちもコクーン蜷川必勝パターン(なのか?)の、奥を開けたら駐車場が見えるよ演出!
 そこへ向かってドン・ガラスがよたよた歩いていきながら幕、なんだけど、私はKERA版の、「いい夢が見られそうだぜ」とか言いながらランプに覆いかかり、寝入ってしまったのかはたまた死んでしまったのかわからない…というのが正しいオチのありかただと思ったんだけれど!?
 天罰を受けて死んだのかもしれない、それとも天罰なんて落ちなくて惰眠を貪りいい夢を見ているのかもしれない、この世とはなんて理不尽な…という怒りに震えるべきなのか、でもとにかくどちらかわからない中、暗転…という物語だったんじゃないの?
 歩いて去っちゃったら生きているってことじゃん。現実の雑踏の中に消えていき、要するにこれは現実にも通じる話なんですよ、ということではあるのかもしれないけれど、えええなんか意味がちがくなっちゃってない?と思ってしまったんだけれどなあ…
 でもまあもちろん感じ方は人それぞれなのであり、KERA氏本人も演出を任せた以上、違うと思ったとしてもそんなことは口に出して言わないでしょうしね…
 戯曲のト書きはどうなっていたんだろう…
 そしてそんなにわかりやすいことではないとは思うけれど、何が祈りで何が怪物だったというのだろう…
 まあそういう意味では私はあまりいいタイトルだとは思わないし、ものすごい傑作だとも思いません。でもおもしろくは観ました。そういうことです。




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6 コメント

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蜷川演出について (ももくり)
2013-01-27 21:51:17
蜷川版しか見ていませんので、ケラ版との比較はできないのですが、
ラストの、奥がリアルな公道に見える演出、
あれは、コクーン蜷川芝居には、よくあるのでしょうか?
架空の街が、現実の東京にリンクするのは、
怪物(強欲な権力者)が、時空を超えてしぶとく生き続ける象徴のように思え、衝撃的でした。

あの作品では、多くの登場人物が死を迎える中で、
最も強欲な祖母と父は生き残りますよね。
なぜか。
私見ですが、それはこの二人が怪物だから。

祈りは、自分の上位者に対する信頼、信仰の現れですが、
怪物は、自分以外の上位者を認めません。
自分の欲にのみ忠実で、自分の力だけを信じるために、
祈る対象はそもそも存在しないのです。
そういう者が生き延びる世界や、仕組みに対する、
蜷川さんの、憤りや悲しみのようなものを、強く感じました。
ケラさんの創作意図とは異なるかもしれませんが、
蜷川演出は、そこから始まり、
そこで帰結するように、私には思えるのです。
もしかしたら、昨年暮れ、「トロイアの女たち」を見た時の印象が、
オーバーラップしているのかもしれません。

すみ花ちゃんは、そうした世界でもりんと咲く、
小さな白い花のようにも見え、
カッサンドラの狂気と共に、印象的でした。
何年後かに、すみ花ちゃんのヘカベを見てみたいです。
蜷川さんには、それまで元気でいていただきたい、なんて、
勝手なことを希望しております(笑)
返信する
駒子より (ももくりさんへ)
2013-01-27 22:29:14
コメントありがとうございました。

蜷川さんはコクーンではラストに奥の扉を開けて駐車場とか現実の街を見せる、というのを演出として実によくやります。
シェイクスピアの「移し世は夢、世の夢こそ真」というのを実によく表していると思うのですが、何度も観ると「またか…!」と思ってしまい…
(ちなみに奥の壁が鏡で客席が映っている、というのもよくやる)
でも、ももくりさんの感想をうかがうとなるほど!と思いましたし、元の脚本がどうあれ(読んでいないのでなんとも言えませんが)そう演出したかったんだな、という企画意図は感じられました。
『トロイア』観ていないのが残念です!
スミカが蜷川さんのミューズたらんことを祈っています!!

●駒子●
返信する
Unknown (ももくり)
2013-02-02 15:21:22
おお、よくあるパターンだったのですね!
蜷川初心者の私は、凄いと感心しておりました。
ご教示、ありがとうございます。

脚本のラストは、「毛布にくるまったガラスが横になり、
教会の鐘が鳴る中でゆっくりと溶暗」
と書かれていますので、
蜷川版の演出と異なるのは確かです。
ケラ版も見たかったなあと、今頃後悔しています。
返信する
駒子より (ももくりさんへ)
2013-02-02 18:42:29
脚本を教えてくださいましてありがとうございます!

朝日新聞だったかに演出対決についてのコラムがあり、
演出は脚本への批評性も込めた上でなされるものだから、とあり、
脚本家であるケラさんがそのまま演出したものと
蜷川版では違っていたり脚本の意図と違って見えたりするのは
むしろ当然なんだな、と考えさせられました。

コクーンの奥の扉を蜷川さんがよく使うのは
(ちなみに客席が映る鏡の壁もよく使う)
最近でぱっと思いついたのは『サド侯爵夫人』でした。
このときは冒頭も奥の扉開けてセットを搬入するところから見せて、
組み立て終わったら芝居が始まって、
芝居が終わったらまた扉を開けて撤収するまで見せたと思います。
そこまでが「作品」なんですね(^^;)。
http://blog.goo.ne.jp/komakoblog/e/9d70d4ff5278557636feb759b52385d1

それにしてもホント舞台って生物だから、
気になるものはなんとか観ておかないと、
なかなか取り返しがつきませんよね…
最近はゲキシネみたいなものもあるわけですが…(><)
返信する
はじめまして (天藍)
2013-02-10 23:29:05
はじめまして、大阪で見てきた者です。
へえ、コクーンだと例の駐車場に舞台ぶち抜き演出なんですね!
現実の雑踏に向かって消えていく、というのも、
雑踏に埋没していく=彼の生死はわからなくなってしまう、
というイメージを持ちました。
(ただ、脚本通りのほうが絵として綺麗かなとは、コメントを拝見して思いました)
KERAさん版のほうが、「祈り」も「怪物」も分かりやすかったかな、と思います。
返信する
駒子より (天藍さんへ)
2013-02-16 22:56:50
はじめまして、コメントありがとうございます!
そう、奥を開けて現実の空間を見せるのは
コクーンならではの演出で、よその劇場ではどうなのかな?と思っていました。
なんにせよ、演出対決というのはやはりおもしろいものなんだなーと思いました(^^)。
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