駒子の備忘録

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『夜来香ラプソディ』

2022年03月15日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアターコクーン、2022年3月14日18時。

 第二次世界大戦末期、日本軍の支配下にもかかわらず租界という名の治外法権で、台風の目のように文化が育まれていた魔都・上海。1945年、日本の人気作曲家・服部良一(松下洸平)は陸軍報道班員として上海に渡っていた。そこで中国人作曲家・黎錦光(白洲迅)や人気女優で歌手でもある李香蘭(木下晴香)と知り合い、ついには陸軍報道班少佐・山家亨(山内圭哉)の計らいで、彼らを中心に人種や思想を越えて大規模な西洋式コンサートが開催される計画が持ち上がる。しかしコンサートの実現には、日本軍や中国国内の政治勢力、上海の裏社会などの思惑が絡み合い…
 作/入江おろば、演出/河原雅彦、音楽/本間昭光。株式会社キューブ25周年企画の音楽劇。全2幕。

 実際に開催されたコンサートだそうです。1979年、終戦後の内戦や文革の嵐で行方不明になっていた黎氏がビクターに「夜来香」の著作権について問い合わせる連絡をしてきて、そこから服部氏や当時参議院議員だったかつての李香蘭、大鷹淑子氏にも連絡が行き、81年に黎氏が初来日、3人で36年ぶりの再会を果たしたんだそうです。それを知って始めた企画だそうです。さもありなん…残念ながらそれしかない、いたって拙い脚本だと思いました。現実のドラマチックさに勝てていない、ただの事実の羅列のような作品でした。「音楽劇」と言えばちゃんとした芝居、ちゃんとしたミュージカルにしなくても、歌入り紙芝居で許される…と思って作ってるんじゃないだろうな、という拙さだったと私は感じました。
 役者はみんな歌えるし、ちゃんとしていました。山内圭哉の杖のつき方だけはちょっと変かなと思いましたけど。あと「ラ・クンパルシータ」支配人・五木勝男(川原田樹)というのは実在の人物なんでしょうか、いわゆるオカマ芝居をしていたのは気になりましたが…とにかくアンサンブルもみんな歌えるし踊れるし、ちゃんとしていました。「男装の麗人・川島芳子(壮一帆)」役のえりたんの男役芸、「伝説の歌姫・マヌエラ(夢咲ねね)」役のねねちゃんの華と本人の口調に似せた芝居と取っ替え引っ替えお衣装と美脚、のっけから売春婦役で超美声スキャットを聞かせたかと思えば中国人女優役と李香蘭のロシア人の幼なじみのち…というリュバ(仙名彩世)の三役までこなすゆきちゃんのさすがの歌声と演技ももちろん素晴らしかった。ホントこの布陣で何故…というホンだったと思います。言うなればダーハラのダメな伝記ものみたいだった…青臭い台詞や冗長な展開で、ミザンスというか芝居場面での役者の動きも単調というかあまり効果的でなく、とにかく素人臭く感じました。モブ芝居とか、わざとなのかと思うほどに学芸会的でしたが、あれはそうした方がわかりやすいということなの…? そういう演出も全体にちょっとナゾでした。
 それでいうとラストのコンサート、というか「夜来香幻想曲」も盛り上がりに欠けたと思います。もっとジャズアレンジの、「ラプソディ・イン・ブルー」ばりにしてみんなで狂乱の歌とダンスで盛り上げてシメ!となるのかと期待していたのに…コンサートを始めるところから始めて、コンサートの歌の合間に過去に遡ってそこに至るまでの芝居を進める、という手法はまあ珍しくはないけど、良かったとは思います。でも挟まれる歌にノスタルジーを感じる世代ってもっとずっと上の世代だろうし、今や知られていない歌の方が多いと思うし、コンサートの歌として歌われているからミュージカル楽曲のようなパンチもパッションもなくて、これまた単調に感じられたんですよね…残念でした。劇中劇ならぬ劇場イン劇場みたいになっているところや憲兵役の役者を客席登場させるところなんかはよかったんですけどねえ…あと幕切れもよかった。
 あ、アンサンブルのダンスで男女を組ませるならホールドを逆にするのはやめてほしかった…! 見栄え重視なのかもしれませんが、ダンスを見慣れた目には違和感が先に立って楽しめませんでした。カップルダンスに対するリスペクトがなさすぎると思うぞ!(振付/青木美保)
 
 幕開きの口上で、「こんなご時世にいらしていただいて…」みたいな主人公の台詞があり、それは今のコロナ禍を思わせるものでもありましたが、同時に今となっては戦時下であることをも思わせるもので、それはちょっとげんなりしましたね。もちろんロシアのウクライナ侵攻に日本はまだ戦争の形で関わっているわけではないのですが、というか日本には戦争放棄を謳った憲法があるのですが、この機に改憲がどうとか核共有がこうとか騒ぎ出すバカがいるわけじゃないですか。でもかつての日本、つまり大日本帝国は今のロシアとまったく同じことをしていたのであり、この作品でも軍部は悪役とされていますがしかし要するに現代日本の我々と地続きなのだということを客席は、またそもそも製作側はちゃんと捉えられているのだろうか、と改めて考えさせられてしまったのです。我々がなるとすればウクライナ側、被害者側ではなくロシア側、加害者側なのだ、このまま暴走しようとする与党政府を止められないのであればその日は近いかもしれないのだ、ということを我々はちゃんとわかっていられているのでしょうか。
 ああ、本当はこんなことを考えずにエンターテインメントを楽しみたいのに…でも生きることはすなわち政治です。目を背けてはならないのでしょう。平和あってのエンタメであり、平和は不断の努力なくして得られないものなのです。がんばるしかありません、がんばれるだけはがんばります。
 と思うなど、しました。



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