※東京新公を観劇できたので追記しました。
宝塚大劇場、2017年10月28日11時。
東京宝塚劇場、11月30日18時半、12月7日18時半(新公)。
1927年、ドイツ。ハリウッドと並ぶ映画の都ベルリンで数数の名作を世に送り出してきた映画会社UFAは、巨額の負債を抱えて倒産の危機に瀕していた。UFAには、ナチスの息のかかった実業家フーゲンベルク(壱城あずさ)に事業を譲渡する道が残されていたが、社長のクリッチュ(美稀千種)は作り手の表現が規制されることはあってはならないと抵抗する。社長と思いを同じくするプロデューサーのカウフマン(七海ひろき)は、低予算で大衆が喜ぶ娯楽作品を制作して危機を救うと宣言してしまう。その無謀な仕事にひとりの青年が名乗りを挙げた。テオ・ヴェーグマン(紅ゆずる)、UFAのスタジオで助監督を務める青年だったが…
作・演出/原田諒、作曲・編曲/玉麻尚一。
大劇場で観たときには、ナチス政権下のベルリン映画界についてひととおり勉強しただけの中学生が浅薄なイメージだけで作ったみたいな作品だな、と思いましたが、東京観劇時にはまあ高校生くらいかな、と思えました。ともあれ具体的なエピソードやドラマを構築する力量がないところが立派に成人済みのプロ作家としてありえない、としみじみ残念です。例えとして適当ではないかもしれませんが、なんか、何かの二次創作みたいなんですよね。そして素人の二次創作ならそれでもいいと思うんですよ、素人なんだし二次なんだから。イメージだけでふわっとしていてストーリーもドラマもグダグダでもアリなんだと思うのです。きちんと作りこまれた母体の作品があってのものなのですからね。でも自分の名前で発表する作品が歴史に対する二次創作どまりでいいわけかないですよね、仮にもプロの座付き作家として商業演劇やってるんですからね? 史実にインスパイアされたんだとして、そこで何を描くかに作家の個性や才能は現れます。要するにダーハラ(ダーイシに続きこの呼称で私はいきます)にはそれがないってことですよね…やはり少しも早くショー作家に転向した方がいいと思います。今回もセットは素敵でしたが、それはもちろん装置の松井るみ氏の力量あってのものでしょう。
観客の大半はこの組のトップスターが誰か知って来ているし、その人が演じている役が主人公だと知ってお話を観始めます。感情移入し共感する気満々です。しかしそれに甘えてはいけないと思う。なんの実績もない、ただ声がでかいだけの一助監督の青年に何故、こんな起死回生の大プロジェクトを(低予算とはいえ)プロデューサーが任せるのか、まず納得できなくて私はつまづきました。
いいんですよ?何もなくて。誰にだって初めてはある。情熱だけはある、でもかまいません。でもその情熱の表現をもっときちんとしてほしい。なんなら、観客の恐怖や驚異を煽るような怪奇映画はもう古い、もっと日常的でささやかでも心温まる話がいいと思う…と語る、程度でもいい。テオが映画で何をしたがっている青年なのか描いてほしい。今、映画が作りたいとしか言っていません。そうではなくて、どんな映画が作りたいのか、それでどうしたいのかが問題なのです。小品でも、みんなに喜ばれ、世界を明るくする映画が撮りたい、こんなご時世だからこそ…とテオが語ってくれていたら!(アレクサンドラ皇后口調)…書いていて今気づきましたが、ダーハラ本人にその意識がないからそれが描けないんですね、絶望的だわ…
テオの親友のエーリッヒ(礼真琴)がどうやら売れない絵本作家らしいことはわかりました。では何故売れていないのか? 彼はどうしたい、どうなりたいと思っているのか? それはまったく描かれないまま、テオの大声にだけ押し切られて脚本を引き受ける。中身はノープラン。…おかしくないですか? それとも宝塚歌劇の上演演目はこういうノリで決定されるからダーハラにとってはこれが自然だということですか?
無名で売れていないけど優しくていいものを書いている、ああいうものが大衆に喜ばれるはずだ、アイディアとして温めていると言っていた青年と伯爵令嬢の悲恋を僕の映画でやってくれ…とかなんとか、テオに言わせるだけで全然違うと思うんですが。単に友達だから、手近にいたから、気やすいから依頼したんじゃないでしょう? エーリッヒもちょっと行き詰まりを感じていたけど、目先を変えることでがんばれるかもしれない、と決心したんじゃないの? 単に押し切られただけ? 今はそう見えていて、なんだかなあという気分になります。これもダーハラ自身が知り合いに頼まれてなんとなく仕事しているからこうなっちゃうんでしょう。
テオがスカウト(?)するジル(綺咲愛里)も、実際にあーちゃんは可愛いんだしお互い一目惚れでもいいんだけれど、そのあとにはちゃんと彼女の魅力や個性、そして意思を描いていただきたいです。苦労している身なのはわかった、それで?ってことですよ。性格としては引っ込み思案で恥ずかしがりやで、仲良しのレーニ(音波みのり)の金魚のフンでもいいけれど、彼女にも何かもっといいところがあったからこそ映画で輝いた、ということでなければおかしいじゃないですか。あるいは本当は彼女も映画にチャレンジしてみたかったのだ、とかさ。やってみたら楽しかった、そして意外な才能を発揮した、とかでもいいけれど。それはテオがカメラ映えするメイクを教えた、とかそういう姑息なテクニックのレベルではなくて、たとえば声量がなくてレビューでは目が出なかったけど実は歌がめちゃめちゃ上手くてトーキーならその歌唱力が発揮できたとか、舞台だと地味で埋もれていたけどアップにできる映画だと清楚さが際立っていい、とか、なんでもいいんですよ。何か具体例、ディテールが必要なんだと思うのです。
そういうのが全然なくて、「私なんか」とか言っている娘があれよあれよとスターになったんじゃ、レーニじゃなくったって「はあ?」ですよ。
あと、レーニはこういうやる気満々のシャカリキ女優なので、やりすぎてしまって映画のヒロインとしては失格だった、というのはわかるんですが、テオが監督としてそれを止めなかったのなら結局テオってダメ監督ってことになりませんか? あとこの映画はウケたらしいけど、ヒロインがダメなのにウケるってどういうこと? それとも予期せぬところでジルが輝いていたからウケたってこと? ならますますテオってダメ監督なのでは? この映画ってどんな話になってるの? まさか最後に映像になるところが映画のラストシーンなの? テオが後半はもうジルメインで撮ってたってこと? 脚本を書いたエーリッヒはそれを許すの? なんかもう、こういうところに全部ダーハラの創作とか娯楽を舐めた甘さが表れているんですよ、ホント観ていてしんどい…(だいたいくらっちルイーゼロッテ〈有沙瞳)に「私なんかでもわかる映画がいいなあ」とか言わせることが許しがたい。私なんかってなんだ。あんたなんかが書くような話ってことかダーハラ。カフェの店員を下げているのか、娯楽を下げているのか? だが下がっているのはあんたの株です)
私もつらいのは嫌なので、途中からはあまり深く考えずに、青春群像劇を微笑ましく見守るスタンスに切り替えましたよ? せおっちとかPとかね。なのにそこに急にナチスとか表現が規制されるとか自由のために戦うぞとかがぶっこまれるんですよ。そんで生徒はみんな大真面目に大熱演していて、大ナンバーも高々歌いあげちゃうの。感動したいけど、でもこの話そんな真面目なことを深く考えて感動するような前提がそもそも組まれてませんでしたよね?って萎える、冷める、あきれるのです。ゲッペルス(凪七瑠海)のカチャとかホントいい仕事していますよ? でもまったく意味不明なの。
そこにさらに意味ありげにぶっこまれるみっきーと柚長の話とかもうホント謎。必要か? あと効果的か? それで言うと、私は退団者のためとはいえジョセフィン・ベーカー(夏樹れい)の場面も不要だったのではとも思いますけれどね…ショーアップ場面としてはあってもよかったけれど、彼女が黒人であること云々の部分は不発だったと思いました。ちゃんと扱えないならこういうネタには触らないでほしい。
あげく、映画で戦う!とか言っても撮るだけ撮って逃げ出すんだ? そんな主人公、カッコ悪くないか? この映画はベルリンでは上映できないから持ち出す。外国から戦う、とかならまだわからなくもない気もしないでもないけど、単にテオがもっと自由に映画を撮りたいからパリへ、そしてハリウッドへ行くと言っているだけに聞こえますが、それでいいの? あとジルの意思を聞かずに勝手に連れてきている気がするけどいいの? あと彼らに家族はいないの? 亡命ってそんな簡単に決心できることなの? おいていかれるエーリッヒやカウフマンたちのことはどうでもいいの? これで本当にハッピーエンドなの?
駅や列車のセットがチャチいとか、列車が奥まで行けないからって映像に切り替えるという、舞台でできないことを映像でやるそんな舞台敗北宣言をよく恥ずかしげもなくできるよね?ということも問題ですが、なんかもうそういうことより本当に根本的に、この作家が人間をどう捉えているのかが本当に露わになってしまっていて、それがダメダメで、つらい…そんな観劇でした。
各生徒やファンにしても、『邪馬台国』以上に、役は多いんだけど誰も美味しくない…みたいなんじゃないでしょうか。リピートせざるをえないファンはお気の毒です…
あっ、毎度のことですが、個人の感想です。楽しく通っている方には余計な心配でしたね、陳謝します。
個人的には、重役のおじさんたち場面でちょろちょろしている若者シンキワミを完全に識別できるようになったのが収穫でした。れ・ガールズでも、ショーでも。
これで卒業のしーらんは今回も渋くていい仕事をしていただけに。あまりにも作品が残念です…
※※※
お友達にお声がけいただいて急遽、東京新公を観劇できました。大劇場時に好評だったので観たかったのです、嬉しかった楽しかった!
新公の担当は栗田優香先生、雪組『幕末太陽傳』新公も担当してらっしゃいましたね。映画パートなどを使えない、といった点を逆手に取ったような、全体にとてもきめ細かく丁寧な演出をつけていた印象で、好感度が高かったです。まあ、私が座ったのが全体がとても見やすい良席だったということもあるのかもしれませんが…
星組さんの新公はほとんど観たことがないのですが、最近では『阿弖流為』などでの下級生の活躍も目覚ましく、今回もみんな本当に上手くて熱演で健闘していて、本公演よりキャラが立っていたり筋が通った役に見えたものもあるくらいで、そしてだからなおさら脚本の粗さがあらわになってしんどい、というなかなか得難い経験をしました。ホント恨むよダーハラ…
主人公のテオにはフレッシュ100期!の極美慎くんが初主演。丸顔で超絶スタイル、という点ではちょっとカチャを思わせましたが、熱く明るくハキハキがつがつと陽性! ああ、いいオーラを持ったスターさんだなあ、と感心しました。
私はベニーが苦手で、だから辛口だという自覚もあるのですが、ダーハラのノープランの台詞とあいまって、なんの根拠もプランもなく「やりたいやりたい」と言うだけのテオにハナから好感が持てなかったのですが、極美くんが「俺にやらせてください!」と熱く明るくガツガツ言うと、そりゃ若者だしなんにもないんだろうけどとりあえず熱意はあるしやらせちゃおうかな、って気になるんだから私もチョロいものです。
あと、ベニーは歌が本当に上手くなったと思うんですけれど、私にはやっぱり苦手な声で(私は変な声が好きなんですけど、好みの変さじゃないのです…ファンの方、ホントすみません)、申し訳ありませんが耳が自動的にふさがるようなところがあるんだとも自覚しています。だから最初の銀橋の歌も、なんかキラキラしいことを歌っているのはわかるのですが、歌詞が聞き取れませんでした。が、極美くんが歌うと聞き取れるんですよ、で、「いいねいいねうんうん、がんばれ!」ってなっちゃうんですよ。ほんとチョロくてすみません。でもつかみはOKでした!
で、そんなテオがカフェに行くと、じゅりちゃんルイーゼロッテがぴーすけエーリッヒに『メトロポリス』の感想をごくごく素直に語っている。で、ベニーも同じことをやっていたのかもしれませんが、ここで極美テオは彼女の感想をメモり、そこから自分が撮る映画の着想を得るんですね。私が引っかかったルイーゼロッテの「私なんかでもわかる話がいいな」みたいな台詞も、だから今回はすごく素直に聞こえて、私が観たいものはもっと明るくて単純でもいいからとにかく素敵なもの…という主張のように捉えられて、その意見を一般大衆の要望だとテオが素直に受け止めて、それってエーリッヒが描いている絵本と同じ世界観だなってなってその場で彼に脚本を頼むことに決める…っていう流れが、すごく自然に見えました。そのイージーさ、素直さ、若さが微笑ましく見えて、かつ納得できたのです。
またエーリッヒが、まこっちゃんがやるとどうしてももうちょっとちゃんとしてそうな、売れてないかもしれないけれど(そういう描写は特にないけれど、少なくとも創作に苦労しているようではありましたよね?)絵本作家としてプライドを持っていて、同じ字書きだろみたいな感じで安易にシナリオを頼まれることにはちょっと抵抗を示しそうに見えなくもなかったと思うのです。でもぴーすけはもっとさらりとしているというかのんきそうで人が良さそうな役作りに見えて、しょうがないなあって引き受けちゃうのが自然に見えました。新公主演経験もあるぴーすけが受け手に回って、極美くんをおおらかに受け止めてあげている、ということもあるんだと思います。
それからこれまた私が悪いんだけれど、私はくらっちが好きすぎて(以前はちょっと意地悪そうに見えかねない顔立ちだなとか思っていたくらいだったのですが、最近は本当に可愛く見せるのが上手くなってきたというか、可愛く見せる表情や仕草が本当に上手くて、娘役芸として確かなものになってきていると思います)、まこっちゃんとも恋人設定だと聞いていて、わーいいなあラブラブなんだ!と思い込みすぎていたのかもしれませんが、試写会に向かう冒頭の場面も世話女房みたいなノリだったし、だからエーリッヒとは公私共に認めるラブラブカップルなのかと思っていたのですよ。だから「忘れ物」とか言ってキスするあまりの可愛らしさや恥じらいが意味わからなかったし、そのあとまこっちゃんがまたええ声でせつせつと歌うのがまったく意味わからなかったのです。え? 好きだって言ってないの? 好き同志だけど、つきあってはいないことになっているふたりなの? と激しく混乱したんですね。
でも新公のふたりは、冒頭も確かにルイーゼロッテが世話を焼いているんだけどこのエーリッヒはそれに甘えているというよりは本当にボーっとしている感じでデキてる感は全然なかったし、カフェで執筆中でルイーゼロッテが入れてくれたコーヒーに対してぞんざいなところも、単純に仕事に集中しているからで恋人に甘えて扱いが雑、というふうには見えませんでした。だからお互いに好意を持っているんだけれどお互いまだ踏み込めてなくて、どっちかと言うとルイーゼロッテの方が押せ押せなんだけどそれでもエーリッヒからの告白を待っているんだ、とやっと私にはこの設定が理解できたのでした。
だからエーリッヒの部屋の場面も、部屋にルイーゼロッテを上げたりしてるしふたりきりにもなってるんだけどやっぱり何もないふたりで、でもそういうエーリッヒがこのルイーゼロッテは好きで、だからそのまま時間だから仕事に行こうとするんだけど、でも最大限勇気を出して初めて「忘れ物」と言ってキスしちゃったんだな、とその可愛らしさ、微笑ましさに感動しちゃいました。
それを受けて、ぴーすけが、それこそまこっちゃんほど上手くはないけれど、とても心情豊かに、ていねいに歌う「Ich liebe dich」がとてもとても良くて、やっとこの場面というか一連のエピソードの意味がわかったし、うっかり涙ぐんじゃったのでした。
本当はこういうことだったのね? でもこれをあらかじめダーハラがやりたかったんだとしても、それはやはりまこっちゃんとくらっちには役不足だったのではあるまいか。栗田演出でぴーすけとじゅりちゃんが初々しくやったからこそ名場面になったのではあるまいか。…ダーハラに厳しすぎますかね私?
それでいうとあまじぃのカウフマンもとても良くて、それはやはり本公演だとかいちゃんには役不足でしどころがない役に見えたんだけれど、新公だと若者を親身に支援する、でもまだ実はそんなにおじさんではない、まだまだ本人も熱いキャラクターに見えて、いちいち駆け込んでくるのも似合って見えるんですよ。
若く見えてよかったのはくらっちゲルダと颯香くんライマンもそうで、颯香くんの学年詐欺は月組のまゆぽんに匹敵しそうなところがあると思うんだけれど、ちゃんと渋いし重い芝居をしているんだけれど(みっきーが毎回アドリブでやっているところのアイディアと芸は素晴らしかった!)色気というか汁気というかがありそうで、要するに若き日にちょっと何かあったらしいこのふたりにまだまだお互い未練がありそうな感じがとてもよかったのです。このライマンさんは近々この店を本当に再訪するな、と思えました。でもみっきーと柚長は、もう十分に枯れていてそれはないな、という気がしたし、全体から見たときにやはり唐突で、いるかこのエピソード?って気がしちゃったんですよね…あと新公のライマンさんならロルフを敵視しそう、って納得できたというのもありました。
おじさん組は本当に素晴らしくて、フーゲンベルクの遥斗くんのヤラしいイケオジっぷりがたまらなかったし、桃堂くんゲッペルスは殊勲賞ものではなかったでしょうか。ナチスの宣伝大臣だけど本当に映画が好きでアメリカ映画の娯楽作を高く評価していて、だから芸術性に走るばかりの自国の映画を本当に物足りなく思っていて、権力をふるって自分の思うような映画を作りたいと思っていたんでしょうね。そういう屈折が脚本では全然書けてないしカチャもそうは演じていなかったと思うけれど、桃堂くんにはそのニュアンスがありましたよ。だからとてもおもしろいキャラクターになっていました。でもだからこそジルへの態度が変で、それは脚本のせいなんだけれど、せっかく生徒が作り上げたキャラクターに脚本が追い付いていないんですよね、変な言い方なんだけれど。この場合は描くべきドラマを描いていない脚本の方が悪くて、演じるべきドラマを感じ取ってやってみせた生徒を放り出しちゃってるんですよ…
クリッチュ以下のおじさん軍団もとてもちゃんとしていました。
レーニは、私は申し訳ありませんがほのかちゃんの顔がわりとダメなんですけれど、大劇場では場をさらったそうですが東京はお客がクールなこともあってそこまでではなくて、それでかえって良かったんじゃないかなと感じました。ちょうどよかった。星蘭ちゃんのジルとも組み合わせがよかったと思います。
その星蘭ひとみちゃん、初ヒロインは大健闘だったのではないでしょうか。美貌が先行して話題になってきましたし、私が好きなタイプの美女ではないのだけれど(痩せすぎていてギスギス見えかねない美人の娘役ちゃんがわりと苦手なのです…)、声がいいし、お芝居もしっかりしていました。歌はあの量ではちょっとわからないかな。雪組の星南のぞみちゃんと混同されがちだと思うのですが(失礼!)、あちらのとにかく美人なんだけど芝居は棒で歌は破壊的…より(失礼!)、断然うまく育ちそうな娘役さんなんじゃないでしょうか。期待したいです。
華鳥ちゃんのジョセフィン・ベーカーは歌が思いの外あまり良くなくて、ちょっとパンチに欠けたかな? そしてエヴァ役の水乃ゆりちゃんがホント首が長くてスタイル良くて、この役には無駄に美人だったなあ!
ロルフの天飛くんはカフェの歌の失敗(と言っていいでしょう、あれは)が痛かったかな。オペレッタを歌うのはいいんだけど、音程的に聞かせづらい箇所をセレクトしたのが敗因でした。あそこはとにかく無駄なくらい歌が上手い、というかサイレント映画には無駄な上手さだ…と思わせなきゃならない場面でしたからね。そこが失敗するとあとは何もない役なので、それからするとせおっちってやはり華でなんとかしていたんだなあすごいなあ…
エルマー咲城くんとクリストフ天希くんも、麗しかったけれどまあしどころはない役でしたよね…
話は何しろ後半になればなるほど気が遠くなる出来なので、それは新公のせいとか生徒のせいではないので、もう語りません。
ご挨拶ではけっこうテンパり気味な極美くんもまた微笑ましかったです。いいものを観ました。
※※※
タカラヅカレビュー90周年作品は作・演出/酒井澄夫、作曲・編曲/吉田優子、鞍富真一、竹内一宏、青木朝子。
ベニーはブランコが似合うタイプのスターなので、華やかなプロローグが楽しかったです。ずっと手拍子なのはつらいんだけど。
まこっちゃんとじゅりちゃんの場面では蝶の少女の水乃ゆりちゃん、めっかわですよね! しかしまこっちゃんにはもっと違うタイプの歌を歌わせてもよかったのでは…あと、今やるには場面全体の尺がやや長いと思いました。
シャンソンのアタマはレ・デュエットとしてあーちゃんとくらっちを並べる暴挙に驚きました…あそこはトップコンビだけでいいのでは、それかベニーではなくカチャとかかいちゃんとかにすべきだったのでは…
アパシュはさすが、ブギウギもさすが。あと「サ・セ・ラムール」がめっちゃよかった! ちゃんと歌えてて、ハモれてて、三者三様でアピールできていてスマートでコミカルで!
スパニッシュも素敵でした。バリバリ踊るまこっちゃんはやっぱかっけー! でも刃傷沙汰をひとつのショーで二度もやらんでも、とは思いました。
フィナーレ群舞には『ビバフェス』フィナーレのお衣装が早くも使われていていましたね。そして「花夢幻」、素晴らしいね! じゅりちゃんのエトワールも素晴らしいね!!
色味がきれいな、スミオちゃんらしいレビューで、スターの起用も新陳代謝がある感じで、でも退団者ピックアップもちゃんとあって、ミーハーに観る分には目が足りなくて楽しかったです。
でも展開がスローだとか、星組の芸風に合わないと感じる方も多いのかもしれません。そこもやはり、回数を観ない者のひとつの意見として捉えていただければと思います。
宝塚大劇場、2017年10月28日11時。
東京宝塚劇場、11月30日18時半、12月7日18時半(新公)。
1927年、ドイツ。ハリウッドと並ぶ映画の都ベルリンで数数の名作を世に送り出してきた映画会社UFAは、巨額の負債を抱えて倒産の危機に瀕していた。UFAには、ナチスの息のかかった実業家フーゲンベルク(壱城あずさ)に事業を譲渡する道が残されていたが、社長のクリッチュ(美稀千種)は作り手の表現が規制されることはあってはならないと抵抗する。社長と思いを同じくするプロデューサーのカウフマン(七海ひろき)は、低予算で大衆が喜ぶ娯楽作品を制作して危機を救うと宣言してしまう。その無謀な仕事にひとりの青年が名乗りを挙げた。テオ・ヴェーグマン(紅ゆずる)、UFAのスタジオで助監督を務める青年だったが…
作・演出/原田諒、作曲・編曲/玉麻尚一。
大劇場で観たときには、ナチス政権下のベルリン映画界についてひととおり勉強しただけの中学生が浅薄なイメージだけで作ったみたいな作品だな、と思いましたが、東京観劇時にはまあ高校生くらいかな、と思えました。ともあれ具体的なエピソードやドラマを構築する力量がないところが立派に成人済みのプロ作家としてありえない、としみじみ残念です。例えとして適当ではないかもしれませんが、なんか、何かの二次創作みたいなんですよね。そして素人の二次創作ならそれでもいいと思うんですよ、素人なんだし二次なんだから。イメージだけでふわっとしていてストーリーもドラマもグダグダでもアリなんだと思うのです。きちんと作りこまれた母体の作品があってのものなのですからね。でも自分の名前で発表する作品が歴史に対する二次創作どまりでいいわけかないですよね、仮にもプロの座付き作家として商業演劇やってるんですからね? 史実にインスパイアされたんだとして、そこで何を描くかに作家の個性や才能は現れます。要するにダーハラ(ダーイシに続きこの呼称で私はいきます)にはそれがないってことですよね…やはり少しも早くショー作家に転向した方がいいと思います。今回もセットは素敵でしたが、それはもちろん装置の松井るみ氏の力量あってのものでしょう。
観客の大半はこの組のトップスターが誰か知って来ているし、その人が演じている役が主人公だと知ってお話を観始めます。感情移入し共感する気満々です。しかしそれに甘えてはいけないと思う。なんの実績もない、ただ声がでかいだけの一助監督の青年に何故、こんな起死回生の大プロジェクトを(低予算とはいえ)プロデューサーが任せるのか、まず納得できなくて私はつまづきました。
いいんですよ?何もなくて。誰にだって初めてはある。情熱だけはある、でもかまいません。でもその情熱の表現をもっときちんとしてほしい。なんなら、観客の恐怖や驚異を煽るような怪奇映画はもう古い、もっと日常的でささやかでも心温まる話がいいと思う…と語る、程度でもいい。テオが映画で何をしたがっている青年なのか描いてほしい。今、映画が作りたいとしか言っていません。そうではなくて、どんな映画が作りたいのか、それでどうしたいのかが問題なのです。小品でも、みんなに喜ばれ、世界を明るくする映画が撮りたい、こんなご時世だからこそ…とテオが語ってくれていたら!(アレクサンドラ皇后口調)…書いていて今気づきましたが、ダーハラ本人にその意識がないからそれが描けないんですね、絶望的だわ…
テオの親友のエーリッヒ(礼真琴)がどうやら売れない絵本作家らしいことはわかりました。では何故売れていないのか? 彼はどうしたい、どうなりたいと思っているのか? それはまったく描かれないまま、テオの大声にだけ押し切られて脚本を引き受ける。中身はノープラン。…おかしくないですか? それとも宝塚歌劇の上演演目はこういうノリで決定されるからダーハラにとってはこれが自然だということですか?
無名で売れていないけど優しくていいものを書いている、ああいうものが大衆に喜ばれるはずだ、アイディアとして温めていると言っていた青年と伯爵令嬢の悲恋を僕の映画でやってくれ…とかなんとか、テオに言わせるだけで全然違うと思うんですが。単に友達だから、手近にいたから、気やすいから依頼したんじゃないでしょう? エーリッヒもちょっと行き詰まりを感じていたけど、目先を変えることでがんばれるかもしれない、と決心したんじゃないの? 単に押し切られただけ? 今はそう見えていて、なんだかなあという気分になります。これもダーハラ自身が知り合いに頼まれてなんとなく仕事しているからこうなっちゃうんでしょう。
テオがスカウト(?)するジル(綺咲愛里)も、実際にあーちゃんは可愛いんだしお互い一目惚れでもいいんだけれど、そのあとにはちゃんと彼女の魅力や個性、そして意思を描いていただきたいです。苦労している身なのはわかった、それで?ってことですよ。性格としては引っ込み思案で恥ずかしがりやで、仲良しのレーニ(音波みのり)の金魚のフンでもいいけれど、彼女にも何かもっといいところがあったからこそ映画で輝いた、ということでなければおかしいじゃないですか。あるいは本当は彼女も映画にチャレンジしてみたかったのだ、とかさ。やってみたら楽しかった、そして意外な才能を発揮した、とかでもいいけれど。それはテオがカメラ映えするメイクを教えた、とかそういう姑息なテクニックのレベルではなくて、たとえば声量がなくてレビューでは目が出なかったけど実は歌がめちゃめちゃ上手くてトーキーならその歌唱力が発揮できたとか、舞台だと地味で埋もれていたけどアップにできる映画だと清楚さが際立っていい、とか、なんでもいいんですよ。何か具体例、ディテールが必要なんだと思うのです。
そういうのが全然なくて、「私なんか」とか言っている娘があれよあれよとスターになったんじゃ、レーニじゃなくったって「はあ?」ですよ。
あと、レーニはこういうやる気満々のシャカリキ女優なので、やりすぎてしまって映画のヒロインとしては失格だった、というのはわかるんですが、テオが監督としてそれを止めなかったのなら結局テオってダメ監督ってことになりませんか? あとこの映画はウケたらしいけど、ヒロインがダメなのにウケるってどういうこと? それとも予期せぬところでジルが輝いていたからウケたってこと? ならますますテオってダメ監督なのでは? この映画ってどんな話になってるの? まさか最後に映像になるところが映画のラストシーンなの? テオが後半はもうジルメインで撮ってたってこと? 脚本を書いたエーリッヒはそれを許すの? なんかもう、こういうところに全部ダーハラの創作とか娯楽を舐めた甘さが表れているんですよ、ホント観ていてしんどい…(だいたいくらっちルイーゼロッテ〈有沙瞳)に「私なんかでもわかる映画がいいなあ」とか言わせることが許しがたい。私なんかってなんだ。あんたなんかが書くような話ってことかダーハラ。カフェの店員を下げているのか、娯楽を下げているのか? だが下がっているのはあんたの株です)
私もつらいのは嫌なので、途中からはあまり深く考えずに、青春群像劇を微笑ましく見守るスタンスに切り替えましたよ? せおっちとかPとかね。なのにそこに急にナチスとか表現が規制されるとか自由のために戦うぞとかがぶっこまれるんですよ。そんで生徒はみんな大真面目に大熱演していて、大ナンバーも高々歌いあげちゃうの。感動したいけど、でもこの話そんな真面目なことを深く考えて感動するような前提がそもそも組まれてませんでしたよね?って萎える、冷める、あきれるのです。ゲッペルス(凪七瑠海)のカチャとかホントいい仕事していますよ? でもまったく意味不明なの。
そこにさらに意味ありげにぶっこまれるみっきーと柚長の話とかもうホント謎。必要か? あと効果的か? それで言うと、私は退団者のためとはいえジョセフィン・ベーカー(夏樹れい)の場面も不要だったのではとも思いますけれどね…ショーアップ場面としてはあってもよかったけれど、彼女が黒人であること云々の部分は不発だったと思いました。ちゃんと扱えないならこういうネタには触らないでほしい。
あげく、映画で戦う!とか言っても撮るだけ撮って逃げ出すんだ? そんな主人公、カッコ悪くないか? この映画はベルリンでは上映できないから持ち出す。外国から戦う、とかならまだわからなくもない気もしないでもないけど、単にテオがもっと自由に映画を撮りたいからパリへ、そしてハリウッドへ行くと言っているだけに聞こえますが、それでいいの? あとジルの意思を聞かずに勝手に連れてきている気がするけどいいの? あと彼らに家族はいないの? 亡命ってそんな簡単に決心できることなの? おいていかれるエーリッヒやカウフマンたちのことはどうでもいいの? これで本当にハッピーエンドなの?
駅や列車のセットがチャチいとか、列車が奥まで行けないからって映像に切り替えるという、舞台でできないことを映像でやるそんな舞台敗北宣言をよく恥ずかしげもなくできるよね?ということも問題ですが、なんかもうそういうことより本当に根本的に、この作家が人間をどう捉えているのかが本当に露わになってしまっていて、それがダメダメで、つらい…そんな観劇でした。
各生徒やファンにしても、『邪馬台国』以上に、役は多いんだけど誰も美味しくない…みたいなんじゃないでしょうか。リピートせざるをえないファンはお気の毒です…
あっ、毎度のことですが、個人の感想です。楽しく通っている方には余計な心配でしたね、陳謝します。
個人的には、重役のおじさんたち場面でちょろちょろしている若者シンキワミを完全に識別できるようになったのが収穫でした。れ・ガールズでも、ショーでも。
これで卒業のしーらんは今回も渋くていい仕事をしていただけに。あまりにも作品が残念です…
※※※
お友達にお声がけいただいて急遽、東京新公を観劇できました。大劇場時に好評だったので観たかったのです、嬉しかった楽しかった!
新公の担当は栗田優香先生、雪組『幕末太陽傳』新公も担当してらっしゃいましたね。映画パートなどを使えない、といった点を逆手に取ったような、全体にとてもきめ細かく丁寧な演出をつけていた印象で、好感度が高かったです。まあ、私が座ったのが全体がとても見やすい良席だったということもあるのかもしれませんが…
星組さんの新公はほとんど観たことがないのですが、最近では『阿弖流為』などでの下級生の活躍も目覚ましく、今回もみんな本当に上手くて熱演で健闘していて、本公演よりキャラが立っていたり筋が通った役に見えたものもあるくらいで、そしてだからなおさら脚本の粗さがあらわになってしんどい、というなかなか得難い経験をしました。ホント恨むよダーハラ…
主人公のテオにはフレッシュ100期!の極美慎くんが初主演。丸顔で超絶スタイル、という点ではちょっとカチャを思わせましたが、熱く明るくハキハキがつがつと陽性! ああ、いいオーラを持ったスターさんだなあ、と感心しました。
私はベニーが苦手で、だから辛口だという自覚もあるのですが、ダーハラのノープランの台詞とあいまって、なんの根拠もプランもなく「やりたいやりたい」と言うだけのテオにハナから好感が持てなかったのですが、極美くんが「俺にやらせてください!」と熱く明るくガツガツ言うと、そりゃ若者だしなんにもないんだろうけどとりあえず熱意はあるしやらせちゃおうかな、って気になるんだから私もチョロいものです。
あと、ベニーは歌が本当に上手くなったと思うんですけれど、私にはやっぱり苦手な声で(私は変な声が好きなんですけど、好みの変さじゃないのです…ファンの方、ホントすみません)、申し訳ありませんが耳が自動的にふさがるようなところがあるんだとも自覚しています。だから最初の銀橋の歌も、なんかキラキラしいことを歌っているのはわかるのですが、歌詞が聞き取れませんでした。が、極美くんが歌うと聞き取れるんですよ、で、「いいねいいねうんうん、がんばれ!」ってなっちゃうんですよ。ほんとチョロくてすみません。でもつかみはOKでした!
で、そんなテオがカフェに行くと、じゅりちゃんルイーゼロッテがぴーすけエーリッヒに『メトロポリス』の感想をごくごく素直に語っている。で、ベニーも同じことをやっていたのかもしれませんが、ここで極美テオは彼女の感想をメモり、そこから自分が撮る映画の着想を得るんですね。私が引っかかったルイーゼロッテの「私なんかでもわかる話がいいな」みたいな台詞も、だから今回はすごく素直に聞こえて、私が観たいものはもっと明るくて単純でもいいからとにかく素敵なもの…という主張のように捉えられて、その意見を一般大衆の要望だとテオが素直に受け止めて、それってエーリッヒが描いている絵本と同じ世界観だなってなってその場で彼に脚本を頼むことに決める…っていう流れが、すごく自然に見えました。そのイージーさ、素直さ、若さが微笑ましく見えて、かつ納得できたのです。
またエーリッヒが、まこっちゃんがやるとどうしてももうちょっとちゃんとしてそうな、売れてないかもしれないけれど(そういう描写は特にないけれど、少なくとも創作に苦労しているようではありましたよね?)絵本作家としてプライドを持っていて、同じ字書きだろみたいな感じで安易にシナリオを頼まれることにはちょっと抵抗を示しそうに見えなくもなかったと思うのです。でもぴーすけはもっとさらりとしているというかのんきそうで人が良さそうな役作りに見えて、しょうがないなあって引き受けちゃうのが自然に見えました。新公主演経験もあるぴーすけが受け手に回って、極美くんをおおらかに受け止めてあげている、ということもあるんだと思います。
それからこれまた私が悪いんだけれど、私はくらっちが好きすぎて(以前はちょっと意地悪そうに見えかねない顔立ちだなとか思っていたくらいだったのですが、最近は本当に可愛く見せるのが上手くなってきたというか、可愛く見せる表情や仕草が本当に上手くて、娘役芸として確かなものになってきていると思います)、まこっちゃんとも恋人設定だと聞いていて、わーいいなあラブラブなんだ!と思い込みすぎていたのかもしれませんが、試写会に向かう冒頭の場面も世話女房みたいなノリだったし、だからエーリッヒとは公私共に認めるラブラブカップルなのかと思っていたのですよ。だから「忘れ物」とか言ってキスするあまりの可愛らしさや恥じらいが意味わからなかったし、そのあとまこっちゃんがまたええ声でせつせつと歌うのがまったく意味わからなかったのです。え? 好きだって言ってないの? 好き同志だけど、つきあってはいないことになっているふたりなの? と激しく混乱したんですね。
でも新公のふたりは、冒頭も確かにルイーゼロッテが世話を焼いているんだけどこのエーリッヒはそれに甘えているというよりは本当にボーっとしている感じでデキてる感は全然なかったし、カフェで執筆中でルイーゼロッテが入れてくれたコーヒーに対してぞんざいなところも、単純に仕事に集中しているからで恋人に甘えて扱いが雑、というふうには見えませんでした。だからお互いに好意を持っているんだけれどお互いまだ踏み込めてなくて、どっちかと言うとルイーゼロッテの方が押せ押せなんだけどそれでもエーリッヒからの告白を待っているんだ、とやっと私にはこの設定が理解できたのでした。
だからエーリッヒの部屋の場面も、部屋にルイーゼロッテを上げたりしてるしふたりきりにもなってるんだけどやっぱり何もないふたりで、でもそういうエーリッヒがこのルイーゼロッテは好きで、だからそのまま時間だから仕事に行こうとするんだけど、でも最大限勇気を出して初めて「忘れ物」と言ってキスしちゃったんだな、とその可愛らしさ、微笑ましさに感動しちゃいました。
それを受けて、ぴーすけが、それこそまこっちゃんほど上手くはないけれど、とても心情豊かに、ていねいに歌う「Ich liebe dich」がとてもとても良くて、やっとこの場面というか一連のエピソードの意味がわかったし、うっかり涙ぐんじゃったのでした。
本当はこういうことだったのね? でもこれをあらかじめダーハラがやりたかったんだとしても、それはやはりまこっちゃんとくらっちには役不足だったのではあるまいか。栗田演出でぴーすけとじゅりちゃんが初々しくやったからこそ名場面になったのではあるまいか。…ダーハラに厳しすぎますかね私?
それでいうとあまじぃのカウフマンもとても良くて、それはやはり本公演だとかいちゃんには役不足でしどころがない役に見えたんだけれど、新公だと若者を親身に支援する、でもまだ実はそんなにおじさんではない、まだまだ本人も熱いキャラクターに見えて、いちいち駆け込んでくるのも似合って見えるんですよ。
若く見えてよかったのはくらっちゲルダと颯香くんライマンもそうで、颯香くんの学年詐欺は月組のまゆぽんに匹敵しそうなところがあると思うんだけれど、ちゃんと渋いし重い芝居をしているんだけれど(みっきーが毎回アドリブでやっているところのアイディアと芸は素晴らしかった!)色気というか汁気というかがありそうで、要するに若き日にちょっと何かあったらしいこのふたりにまだまだお互い未練がありそうな感じがとてもよかったのです。このライマンさんは近々この店を本当に再訪するな、と思えました。でもみっきーと柚長は、もう十分に枯れていてそれはないな、という気がしたし、全体から見たときにやはり唐突で、いるかこのエピソード?って気がしちゃったんですよね…あと新公のライマンさんならロルフを敵視しそう、って納得できたというのもありました。
おじさん組は本当に素晴らしくて、フーゲンベルクの遥斗くんのヤラしいイケオジっぷりがたまらなかったし、桃堂くんゲッペルスは殊勲賞ものではなかったでしょうか。ナチスの宣伝大臣だけど本当に映画が好きでアメリカ映画の娯楽作を高く評価していて、だから芸術性に走るばかりの自国の映画を本当に物足りなく思っていて、権力をふるって自分の思うような映画を作りたいと思っていたんでしょうね。そういう屈折が脚本では全然書けてないしカチャもそうは演じていなかったと思うけれど、桃堂くんにはそのニュアンスがありましたよ。だからとてもおもしろいキャラクターになっていました。でもだからこそジルへの態度が変で、それは脚本のせいなんだけれど、せっかく生徒が作り上げたキャラクターに脚本が追い付いていないんですよね、変な言い方なんだけれど。この場合は描くべきドラマを描いていない脚本の方が悪くて、演じるべきドラマを感じ取ってやってみせた生徒を放り出しちゃってるんですよ…
クリッチュ以下のおじさん軍団もとてもちゃんとしていました。
レーニは、私は申し訳ありませんがほのかちゃんの顔がわりとダメなんですけれど、大劇場では場をさらったそうですが東京はお客がクールなこともあってそこまでではなくて、それでかえって良かったんじゃないかなと感じました。ちょうどよかった。星蘭ちゃんのジルとも組み合わせがよかったと思います。
その星蘭ひとみちゃん、初ヒロインは大健闘だったのではないでしょうか。美貌が先行して話題になってきましたし、私が好きなタイプの美女ではないのだけれど(痩せすぎていてギスギス見えかねない美人の娘役ちゃんがわりと苦手なのです…)、声がいいし、お芝居もしっかりしていました。歌はあの量ではちょっとわからないかな。雪組の星南のぞみちゃんと混同されがちだと思うのですが(失礼!)、あちらのとにかく美人なんだけど芝居は棒で歌は破壊的…より(失礼!)、断然うまく育ちそうな娘役さんなんじゃないでしょうか。期待したいです。
華鳥ちゃんのジョセフィン・ベーカーは歌が思いの外あまり良くなくて、ちょっとパンチに欠けたかな? そしてエヴァ役の水乃ゆりちゃんがホント首が長くてスタイル良くて、この役には無駄に美人だったなあ!
ロルフの天飛くんはカフェの歌の失敗(と言っていいでしょう、あれは)が痛かったかな。オペレッタを歌うのはいいんだけど、音程的に聞かせづらい箇所をセレクトしたのが敗因でした。あそこはとにかく無駄なくらい歌が上手い、というかサイレント映画には無駄な上手さだ…と思わせなきゃならない場面でしたからね。そこが失敗するとあとは何もない役なので、それからするとせおっちってやはり華でなんとかしていたんだなあすごいなあ…
エルマー咲城くんとクリストフ天希くんも、麗しかったけれどまあしどころはない役でしたよね…
話は何しろ後半になればなるほど気が遠くなる出来なので、それは新公のせいとか生徒のせいではないので、もう語りません。
ご挨拶ではけっこうテンパり気味な極美くんもまた微笑ましかったです。いいものを観ました。
※※※
タカラヅカレビュー90周年作品は作・演出/酒井澄夫、作曲・編曲/吉田優子、鞍富真一、竹内一宏、青木朝子。
ベニーはブランコが似合うタイプのスターなので、華やかなプロローグが楽しかったです。ずっと手拍子なのはつらいんだけど。
まこっちゃんとじゅりちゃんの場面では蝶の少女の水乃ゆりちゃん、めっかわですよね! しかしまこっちゃんにはもっと違うタイプの歌を歌わせてもよかったのでは…あと、今やるには場面全体の尺がやや長いと思いました。
シャンソンのアタマはレ・デュエットとしてあーちゃんとくらっちを並べる暴挙に驚きました…あそこはトップコンビだけでいいのでは、それかベニーではなくカチャとかかいちゃんとかにすべきだったのでは…
アパシュはさすが、ブギウギもさすが。あと「サ・セ・ラムール」がめっちゃよかった! ちゃんと歌えてて、ハモれてて、三者三様でアピールできていてスマートでコミカルで!
スパニッシュも素敵でした。バリバリ踊るまこっちゃんはやっぱかっけー! でも刃傷沙汰をひとつのショーで二度もやらんでも、とは思いました。
フィナーレ群舞には『ビバフェス』フィナーレのお衣装が早くも使われていていましたね。そして「花夢幻」、素晴らしいね! じゅりちゃんのエトワールも素晴らしいね!!
色味がきれいな、スミオちゃんらしいレビューで、スターの起用も新陳代謝がある感じで、でも退団者ピックアップもちゃんとあって、ミーハーに観る分には目が足りなくて楽しかったです。
でも展開がスローだとか、星組の芸風に合わないと感じる方も多いのかもしれません。そこもやはり、回数を観ない者のひとつの意見として捉えていただければと思います。
すごく詳細に感想述べられてるとは関心しています。
星組は比較的みてるものとしては、お芝居は、舞台がスカスカなので、星組生の 出番となる場面はありですかね。レビューシーンなど沢山の組子、歌える美しい退団者の見せ場ってことで。
専科の方の出番になると、舞台に人がいない。セクハラしてる。何よりたいした華もなく、声良くないのがマイナスポイント。いきなり3番手各で不快だったかな。
ショーも、彼女の出番のせいで星組生割りをくった印象で。
この公演は、まぁハズレでリピートの価値はないし、踊らないトップのもとで、これからどんなショーをつくるのかは気になりました。
いろいろ書いたけど、ブログは興味深く拝見してますよ。
ご意見が聞けて嬉しかったです。
専科さんの起用もなかなか難しいものですよね…
とりあえずは『うたかた』『ジバゴ』そして次の本公演が楽しみです!
●駒子●
>この作家が人間をどう捉えているのかが本当に露わになってしまって
ここ、痛快です。劇作家なのにあまり人間に興味ないタイプなのかな。
絵画とか彫刻とかの抽象性が高いものでなければ創作とはすべて、
結局は人間を描くものじゃないですか…!
作者が人間に興味がないというより、作者がこの程度の人間だからそんなふうにしか描けないんだろうな、と
ひどいですが思っています、私。
だって人は結局自分のことが一番わかっているはずだし、そこを基準に人間というものや世界というものを見ているんだと思うので。
なので才能ないよダーハラ…(><)と言いたい、ということです。
生徒の邪魔するのはやめて―!!!
●駒子●